Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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「科学信頼の二つの次元:学歴、科学的方法への信頼、科学制度への信頼」Achterberg, et al. 2014

Peter Achterberg, Willem de Koster and Jeroen van der Waal, 2017, "A science confidence gap: Education, trust in scientific methods, and trust in scientific institutions in the United States, 2014," Public Understanding of Science, Vol.26 No.6, pp.704-720.
科学的方法への信頼と科学制度への信頼を区別したうえで、それらへの学歴の効果を検討した論文。「科学への信頼」といっても様々な側面に分類して考えることができる。例えば、「物理学への信頼」「経済学への信頼」といった個別の分野への信頼は、個人内でもばらつく(例えば、物理学は信頼するが経済学は信頼しない、といった人は存在する)だろうし、科学的知識そのものは信頼するが、個々の科学者は必ずしも信頼できない(データのねつ造や犯罪に手を染める科学者もいる)、という人もいるだろう。この論文では、科学的方法への信頼と科学制度への信頼が区別されている。つまり、実験や調査、論理にもとづく科学的推論の方法は肯定するが、大学や学会、査読システムは腐敗している(あるいはその逆)とみなすことは可能である。

このような科学的方法と科学制度への信頼のギャップ(以下では信頼ギャップと略称)が存在し、それは学歴と関連していると Achterberg, de Koster, and van der Waal は主張する。具体的には、後期近代仮説(再帰的近代化という語が用いられているが、あまり再帰性は重要ではないのでここでは後期近代と意訳してある)とアノミー仮説の二つが検証されている。

後期近代仮説によれば、低学歴者よりも高学歴者のほうが信頼ギャップが大きくなる。高学歴者は豊富な知識と高い認知能力によって、科学的な方法の妥当性を吟味し、その正しさを理解することができる一方で、だからといって科学制度が正常に機能しているかどうかは別の問題だと、区別して考えることができるという。それゆえ、後期近代社会のさまざまなリスクに十分に対応できていない科学制度には批判的になるという。また後期近代では、文化的にアヴァンギャルドで、道徳的に相対主義的な価値観が強まるが、それは高学歴者に顕著である。こういった態度は既存の社会制度への批判的な視点につながり、科学制度もまたその批判の俎上に上ることになるという。低学歴者については説明がないが、低学歴者は漠然と科学的方法と科学制度をまとめて否定したり、受け入れたりしているということになろう。

いっぽうアノミー仮説によれば、アノミーに陥っている人は科学的方法を信頼する一方で科学制度は信頼しない。アノミーとはここでは自身が現代の社会・文化的な秩序から脅かされ、きまぐれで予測不可能、無秩序で無意味な世界に生きている感覚、と定義されている。疎外 (alienation) と呼んだほうが私にはしっくりくるが、いずれにせよ科学制度もアノミーに陥っている人から見れば、無意味でそれでいていつ自分の生活を脅かすかわからない存在の一部であろうから、信頼できないのは当然ということになる。このようなアノミーに陥った人は、秩序を希求する。科学的方法はそのような秩序をあたえる原理・原則の一つとして肯定的にとらえられ、信頼される、と Achterberg たちは言う。低学歴者のほうがアノミーに陥りやすいのは先行研究でも繰り返し確認されているそうなので、低学歴者のほうが科学信頼ギャップが大きくなると予測される。高学歴者については説明がないが、低学歴者ほどアノミーに陥っていないので、科学制度への信頼が相対的に高く、科学的方法についても特に否定する理由もないので、それなりに信頼するはずだ、という予測になろうか。

2014年の米国の全国データを使ってこれらの仮説を検証している。有効サンプルは 1798〜1984(モデルによって異なる)。年齢は 18歳以上で上限は不明。分析の結果、アノミー仮説のほうが支持され、後期近代仮説の予測に反する分析結果が得られている。つまり、科学制度は高学歴者のほうが低学歴者よりも信頼しているが、科学的方法への信頼は学歴による差は見られない。また媒介変数としてのアノミーの効果も検討されているが、予測通り低学歴者のほうがアノミーで、アノミーであるほど科学制度への信頼は低下し、科学的方法への信頼は高まる。後期近代仮説の予測では、知識の豊かさや後期近代的価値は、科学制度への信頼を低めるはずだが、逆に高めるという結果になっている。

科学的方法への信頼が一つの質問項目だけで測定されているのが気になるが、結果はおもしろい。疎外感が科学への不信につながるという示唆は私たちの研究からも得られており、アノミーやアパシーのたぐいは科学信頼と関連するのかもしれない。

おまけ。上のような構成概念がどのような質問項目で測定されたのかメモしておく。まず科学制度信頼。

  • 「科学制度一般」への信頼の程度
  • 「科学者」への信頼の程度
  • 「つきつめれば、科学的知識も単なる意見に過ぎない」という言明への賛否
(上記はいずれも11点尺度)の3つの回答(11択)を加算した値が、科学制度への信頼の尺度である。科学的方法への信頼は
  • 「正しい知識は、公正で体系的な研究 (unbiased and systematic research) によってしかえられない」
という言明への賛否で測定されている。このような分かれ方をする主成分分析の結果が示されている。

アノミーに対応する質問項目はすべて11点尺度で以下の言明への賛否をたずねている。

  1. 今日、人は誰に頼ったらいいのかわからない
  2. 現代社会では、人は今日を生きることに必死で明日のことなどかまっている余裕はない
  3. 将来何が起こるかわからないこの世界で子供を産み育てることは正しいこととは言いがたい。、
  4. 現在でも何か価値のあるものなどあるのだろうかとときどき考えざるを得ない。

知識の豊かさと後期近代的価値の質問項目群は省略するが、知識を問う質問は高校の現代社会か,中学の公民の問題に近い。後期近代の価値は個人の自由、自己表出主義 (self-expressionism) に関するものが全 7問中 6問で、イングルハートなら自己表出主義と呼ぶようなものである。

さらにおまけ。小田 (2001, p.7) にあったアノミー尺度の抜粋は以下の通り。

  1. 一般庶民のことを真剣に考えている役人 は少ない
  2. 政治家や知識人が立派なことを言っても、 本当に国民のことを考えているとは思え ない
  3. 今の世の中は人のことなど考えていたら 損ばかりする
  4. 今日が楽しければよく、明日は明日の風 が吹く
  5. 今の世の中何が正しく何が間違ってるの かわからない
  6. 豊かな社会と言うが人々の生活は良くな っていない
  7. 親しい間柄といっても、いざとなったら 信頼できない
  8. 他人のために苦労するのは実にバカらし いことだ
「とにかく奴らは信頼できない:科学と科学者への信頼尺度の開発」Nadelson et al. 2018

Louis Nadelson, Cheryl Jorcyk, Dazhi Yang, Mary Jarratt Smith, Sam Matson, Ken Cornell and Virginia Husting, 2014, "I Just Don't Trust Them: The Development and Validation of an Assessment Instrument to Measure Trust in Science and Scientists," School Science and Mathematics, Vol.114 No.2, pp.76-86.
科学信頼尺度を初めて開発しました、という論文。科学に対する態度の尺度としては General Social Survey や World Values Survey で用いられているものが、比較的よく知られていると思うが、あれで本当にうまく科学に対する肯定的態度が測れているのかどうかは不明である。そこで、以下の 21 項目からなる科学・科学者信頼尺度を著者たちは作ったという。質問は、以下の言明に対する賛否を五段階で尋ねるものである。末尾の数値は学生調査の結果えられた item total correlations (個々の質問項目とその他の項目の総和の相関係数)。
  1. 科学者がこれまでの自分の主張を変えるならば、科学者の言ったり書いたりすることへの私の信頼は低下するだろう。.42
  2. 科学者は自分の主張と矛盾するような証拠は無視する。 .52
  3. 科学理論はあまりあてにならない。 .54
  4. 科学者はわざと研究成果の一部を秘密にしている。 .42
  5. 科学者は自分にとって不都合な発見をしても、それを広く公開している。 .37
  6. 科学者はほかの人のアイディアを評価しない。 .48
  7. 科学者の研究成果は人々の生活をよくするために役立っている。 .41
  8. 科学者は素人が自分の研究成果を理解できなくてもよいと思っている。.36
  9. 私たちは科学者の研究成果を信頼すべきだ。 .47
  10. 私たちは科学者が誠実に研究に取り組んでいると信じるべきだ。 .45
  11. 私たちは科学者が倫理的に正しく研究に取り組んでいると信じるべきだ。 .34
  12. 科学理論は信頼に値する。 .48
  13. 科学者が考える仮説はあてずっぽうにすぎない。 .37
  14. 科学をよく理解できる人ほど科学を信頼する。 .37
  15. 科学は自然現象を説明する答えを見つけられる。 .42
  16. 科学は私たちが直面する技術的な問題を解決できる。.36
  17. 科学者はモノの見方が偏っているので信頼できない。.63
  18. 科学者たちは自分たちが間違いを犯しても互いにかばいあう。.40
  19. 科学者は自身の考えに反する考えをまじめに検討したりしない。.57
  20. 今日の科学者は研究の発展のためならほかの人の幸せを犠牲にするだろう。.46
  21. 科学の発展は遅すぎるので、信頼できない。 .52
クロンバックのアルファ = .86 。保革自己認知や信心深さ、理系の単位取得科目数とも予測通りの相関を示している。質問項目は、科学者の誠実性、科学のパフォーマンスのよさ、科学の社会に対する貢献、の 3種類にわけることができようか。

信頼概念の検討が分析の前になされているが、それが質問項目の考案にどう関係しているのかよくわからないところが多かった。ただ、domain-general な尺度を作ったほうがいいという議論はなんとなく同意はできた。domain-general の意味もいまひとつよくわからなかったのだが、科学知識や科学という制度を信頼することと、科学者を信頼することは必ずしも同義ではないし、物理学を信頼することと社会学を信頼することも分けて考えることが可能だ。さらに科学制度を論文審査のシステムと真偽や一般性を評価するシステム、等々に分けて考える事もできようし、社会学を理論社会学と経験社会学に分けて、理論社会学は信頼できるが、経験社会学は信頼できない、と思っている人もいるだろう。このような細かい区分はいくらでもできるし、科学者や科学に詳しい人々ならばこれらを区別して異なる評価を下すかもしれない。しかし、一般の人々がこれらを明確に区別しているとは考えにくく、漠然とした科学・科学者にたいするイメージしかないと考えたよいと思われる。だから、こういう聞き方で悪くない、ということである。

「科学と宗教への信頼のマルチレベル分析」O'Brien and Noy 2018

Timothy L. O'Brien and Shiri Noy, 2018, "Cultural Authority in Comparative Context: A Multilevel Analysis of Trust in Science and Religion," Journal for the Scientific Study of Religion, Vol.57 No.3, pp.495-513.
信心深さ/学歴と、科学/宗教への信頼の関係が国によってどう異なるのか分析した論文。キリスト教的な文脈では、宗教と科学は対立すると考えられることがしばしばあるが、これらを対立的にとらえる場合、信心深くない人ほど、そして学歴が高いほど科学への信頼が強い(つまり宗教を信頼しない)、というのはこれまでの研究で繰り返し確認されている。しかし、このような効果がすべての社会に共通する普遍的なものだとは考えにくい。そこで国レベルの平均的な信心深さと研究開発の活発さによって、個人レベルの信心深さと学歴の効果がどのように異なるのか検討されている。仮説はいろいろ考えられるよね、という感じで、探索的な分析に近い。

データは International Social Survey Programme 2008 で、国レベルの独立変数の情報がえられた 37か国(日本も含む)である。従属変数は「私たちは科学を信用しすぎていて、宗教への信仰が不足している」という意見への賛否で、「そう思わない」または「どちらかといえばそう思わない」と答えた場合 1、「どちらともいえない」「どちらか問えばそう思う」「そう思う」は 0 とした二値変数にされている。信心深さは教会などの礼拝などの祭祀への参加頻度で測定されている。国レベルの信心深さは、個人レベルの信心深さの国ごとの平均値、研究開発の活発さは研究開発の分野で働く人の数(産業レベルか職業レベルかは不明、人口1000人あたり)である。

分析の結果、信心深くなく、研究開発の活発な国ほど、上記の個人レベルの二変数(学歴と個人の信心深さ)の効果が強くなることが示されている。結論部分ではギデンズなどをひきながら、信心深くなく、研究開発の活発な国というのは近代が深化した国であり、そういう国では個人のアイデンティティが(宗教や科学にコミットするという意味で)信頼にも大きな影響を持つ、という解釈が示されているが、そういう解釈をするなら 一人当たり GDP も近代性の指標として検討すべきだろう。ちなみに一人当たり GDP は国レベルの統制変数として投入されており、科学に対する肯定度を高める効果が示されている。

分析のまとめ方が雑で細部でわからない点が多い。いわゆるクロスレベル交互作用を検討しているが、ランダム傾きは仮定されておらず、標準誤差が過少に推定されているはずである。従属変数を無理に二値に変換する理由も不明だし、そのくせロジスティック・モデルの式は間違っている。さらに国レベルの変数の記述統計がなく、変数がセンタリングされているかどうかも書かれていないため、推定結果をどう解釈していいのかよくわからない。

日本の場合、あまり宗教と科学を対立的にとらえない人が多いと思うので、従属変数のような質問をされると「どちらかといえばそう思わない」と答える人が多いと思うが、それは科学を宗教よりも信頼しているという意味とは限らず、両者を対立的にとらえることに対する違和感の表明である場合も多かろう。キリスト教国がサンプルの大半を占めるので両者を対立的にとらえてもいいだろうと著者たちはいうのだが、私にとってはあまり役に立たないなー、という感じである。

「党派的な脳:耳障りな科学のメッセージはどのようにリベラルと保守を科学不信にするか」Nisbet et al. 2015

Erik C. Nisbet, Kathryn E. Cooper and R. Kelly Garrett, 2015, "The Partisan Brain: How Dissonant Science Messages Lead Conservatives and Liberals to (Dis)Trust Science," The ANNALS of the American Academy of Political and Social Science, Vol.658 No.1, pp.36-66.
科学の政治化についてのより一般的なメカニズムを検証した論文。米国では保守派の科学不信が共和党政権下での科学関連予算の削減にまでつながっており、研究者の関心をひいている。

保守派が科学と対立する原因を説明する仮説はいろいろあるが、ここでは本質説 (intrinsic thesis) と文脈説 (contextual thesis) にわけて論じられている。本質説とは保守が本質的に科学と相いれない性質を持っているから、保守派は科学と対立しているという説である。例えば保守派はリベラルよりも頭が悪いので科学をちゃんと理解できず、それで対立する、といった説や、保守派は「伝統」や現状維持を好むのに対し、科学は常に新しい発見、知識の増大、進歩を求めるため、両者は相いれない、といった仮説が考えられる。いっっぽう文脈説とは保守が科学と対立するのはそのような文脈に保守が置かれているからであって、時代や状況が異なれば、リベラルが科学と対立するような文脈に置かれる可能性もある、という前提に立つ説である。

本気で保守はバカだと主張している心理学者もいて笑ってしまうのだが(どの程度確かな説なのかは知りません)、少なくとも科学の政治化の原因とは考えにくい。近年の米国のデータでは科学知識を統制しても保守のほうが科学者共同体に対する不信感が強い一方、1990年以前では保守とリベラルの差はほとんどないからである。とうぜん著者たちも文脈説を支持しており、保守が科学と対立するようになったのは、保守にとって耳障りな (dissonant) 科学者の主張(例えば進化論や地球温暖化)が保守の人々の耳に多く届くようになったから、というのが Nisbet, Cooper, and Carrett の主張ということになる。

この論文で検証されているのは、自身の政治イデオロギーにとって不都合な科学的主張を聞くと、科学に対する否定的な感情 (negative affective experience) と科学に対して反論したいという気持ち (motivated resistance to persuasion) が高まり、それらが科学者共同体に対する不信につながる、という仮説である。データはネットでおこなった要因配置調査実験 (factorial survey experiment) からえたもので、いわゆるヴィネット調査のデータである。要因配置は 3種類あり、事前に

  1. 保守にとって耳障りな科学者の主張(人間の進化と地球温暖化)を読んでもらう場合、
  2. リベラルにとって耳障りな科学者の主張(水圧破砕 (hydraulic fracturing), 原子力発電)を読んでもらう場合、
  3. 保守にもリベラルにも特に耳障りでない科学者の主張(惑星間の関係、プレートテクトニクス説)を読んでもらう場合、
がある。水圧破砕については今回初めて知ったのだが、天然ガス等の採掘に用いられる技術で、米国ではシェールガスの採掘でも用いられており、これが環境破壊や健康被害につながるのではないかと、懸念する人たちもいるようである。確認していないが、その人たちがリベラルということなのだろう。

被検者は、これら3種類のヴィネットのいずれかを読んだ後に、科学に対する否定的感情、科学に対して反論したい気持ち、科学者共同体をどの程度信頼するか、を尋ねられる。もちろん保革自己認知や科学に対する知識などもたずねられている。

分析の結果はほぼ仮説通りで、保守が保守にとって耳障りな主張を聞くと、科学に対する否定的感情、反論したい気持ち、科学者共同体への不信が増すのと同じように、リベラルもリベラルにとって耳障りな主張を聞くと、科学に対して ...(中略)... 不信が増す。とうぜんだが科学的知識があるほどこのような不信の増大は緩和される、という結果であった。

違和感ない結果であるが、日本では保守が地球温暖化を否定するというふうにならないのはなんでなんだろう、とあらためて思った。保守が企業の経済活動への規制をきらうのは日本でも基本的には同じはずなのだが、日本企業は「地球にやさしい」技術を売り物にしているからなのだろうか。それとも日本企業は米国にくらべて規制慣れしていて、抵抗感が少ないのだろうか。

『要因配置調査実験』Auspurg and Hinz 2015

いわゆるヴィネット調査の教科書。普通の調査データの分析では回答者に関する何らかの情報(例えば、性別や年齢や学歴)で回答者の何らかの特徴(例えば、収入や生活満足度や余暇活動)を予測したり、説明したりしようとするが、要因配置実験 (factorial survey experiment) では、通常の実験と同様に独立変数は研究者の処置 (treatment) によって被験者に割り当てられる。例えば未婚者と既婚者の収入格差がどの程度、社会的に許容されるかを調べたいとしよう。そこで以下のようなフルタイムで会計事務の仕事をする人の賃金が安すぎるか、適当か、高すぎるか回答者に評価してもらう。

  1. 既婚の女性で月収が10万円
  2. 未婚の   〃    
  3. 既婚の男性で月収が10万円
  4. 未婚の   〃    
  5. 既婚の女性で月収が15万円
  6. 未婚の   〃    
  7. 既婚の男性で月収が15万円
  8. 未婚の   〃    
  9. (以下同様に月収を変えた設定を繰り返す)
選択肢は 0 = 「安すぎる」〜 5 = 適当 〜 10 =「高すぎる」、という具合に何段階かで評価してもらえばよい。上で評価されている労働者の設定がヴィネットと呼ばれる。ヴィネットとはこのように適当な設定の何かで、商品やサービスやストーリー、など何でもよい。この例ではとうぜん月収が高くなるほど「高すぎる」に近い回答をする回答者が多くなっていくだろうが、それが評価される労働者の性別や既婚かどうかでどのように異なるか調べることができる。

つまり、回答者による評価をヴィネット中の労働者の性別や婚姻状態、月収で予測・説明するわけである。分析の単位は回答者とヴィネットの二つの水準があり、ランダム効果モデルや誤差相関を仮定した頑健な標準誤差を利用した回帰分析が推奨されている。回答者はふつう複数のヴィネットを評価するが(この本によれば10程度までなら無理なくできる)、一人の回答者がすべてのヴィネットを評価する必要はない。ヴィネットは複数のグループに分けて、回答者は無作為に割り当てられたグループのヴィネットだけを評価する。これによって独立変数と残差の共分散がゼロになると期待できるので、内生性問題は回避できる。

このように要因配置調査実験ではひとびとの価値観や偏見などの詳細を調べることができる。コンジョイント分析とほぼ同じものだが、この本はコンジョイント分析は学問的厳密さを欠いている雑な調査・分析法だと批判している。

データを収集した後の分析法については特に目新しいことは書いていなかったが、調査票を作成するまでの過程について、いろいろアドバイスがなされており、勉強になった。

リタイア後の就業にリタイア前の職歴が及ぼす影響 Dingemans and Moehring 2019

Ellen Dingemans, Katja Möhring, 2019, "A life course perspective on working after retirement: What role does the work history play?," Advances in Life Course Research, .
福祉国家の黄金時代が終わり、年金をはじめとした政府によるさまざまな給付の削減は、多くの先進国で見られる現象である。これと並行して健康寿命が延長し、高齢期に就労できる人が増えたことで、壮年期と同じように、あるいは壮年期よりも負担の少ない形で就労を継続する人も増えている(少なくとも日本では)。このようなリタイア後の就労継続を規定する要因、特にこれまでの職歴やライフコース関連の要因の効果を本稿では分析している。「リタイア後の就業」という概念はある意味、自己矛盾だが(就業しているならまだリタイアしていないとも考えられるから)、この論文では、年金を受給しているのに就業している場合、「リタイア後の就業」とみなしている。

具体的には、以下の仮説を検証している。他の条件が同じであれば、

  1. 人的資本論が予測するように人的資本が高い人ほど高齢期であっても高い賃金で働くことができるので、就業率が高まる。人的資本の指標の一つとしてそれまでの就業経験年数があるので、就業経験年数が長いほどリタイア後にも就業しやすいはずである。
  2. 年金受給額が少ないほど、働くインセンティブがとうぜん高まるだろうが、平均としてみればパートタイム労働はフルタイム労働に比べて年収も少なく、その分将来もらえる年金額も少なくなるだろう。それゆえ、就業経験年数が同じならば、パートタイム就業年数が長いほど、リタイア後の就労率が高くなるはずである。
  3. 離別した女性は夫の年金をあてにできないし、子育てをしながら就労もしなければならない場合もあり、フルタイムであったとしても残業は難しく、労働時間は短くなりがちである。これがやはり老齢年金の受給額を低めるため、既婚女性よりもリタイア後の就労率が高くなるはずである。
  4. リタイア前に高い地位の職業についていた期間が長いほど、リタイア後も就業を継続しやすいはずである。なぜなら、地位の高い職業ほど内的報酬(やりがい、おもしろさ、成長する機会、人の役に立てる、等々)が高く、そのことが就業のインセンティブを高めるだけでなく、リタイア後に就業しても、比較的良い条件の職に就くチャンスが高いためである。
  5. 自営業で働いていた期間が長いほど、リタイア後も就業しやすい。日本では自明であるが、定年年齢が定まっていない国でどういう理屈でこう予測できるのかは不明。ただ自営ならば雇い主は自分自身なので自分自身が望む限り解雇される心配はない、とは言えるが、人的資本論的に考えると微妙な議論である。

データは、北はスウェーデンから南はギリシャまでの 12 か国のパネルデータで、2004, 2006, 2008, 2011, 2013 の 5波が用いられており、 60〜75歳のパーソンイヤー(ただし年金を受給しているもののみ)に限定されている。従属変数は調査時点での有職ダミーである。上記の仮説を検証するための独立変数は、20〜59歳のあいだの職歴データから作られており、職業的地位は国際社会経済的地位指標 (International Socio-Economic Index: ISEI) の個人内平均値ではかられている。推定にはランダム効果付きのロジスティック回帰モデルが用いられているが、固定効果モデルでなくていいのかどうかは検討されていない。

推定の結果、おおむね仮説通りの結果が示されているのだが(ただし、女性は 20〜59 歳時平均 ISEI は有意な効果がない)、いささか無理やり感のある点が二つある。第一に回答者の世帯の年金受給額はすべてのモデルで統制されているので、パートタイム就業経験年数の効果や離別女性の就業率の高さは、年金受給額とは別の要因によるものであると考えるのが普通である。少なくともこの点について筋の通った解釈を示す必要があるがスルーされている。第二に、就業年数の効果は人的資本の効果と解釈されているが、それならばフルタイム就業経験年数も同じように有意な効果を持つはずなのに、そうなっていないのは理論からの予測に反しているが、これも無視されている。

おもしろかったのは、学歴の効果が一貫して正で有意であることと、世帯年金受給額が一貫して有意でないことである。EU加盟国が対象なので、物価がいちじるしく異なることはないと思うが(ギリシャはどうなんだろう?)、年金が適切に測定されているかどうかはやや心配である。仮に適切に測定されているとすれば、おもしろいと思うが、どうなんだろう? ヨーロッパでは年金の受給開始の繰り上げや繰り下げのようなことはできるのか、などといった問題もからむので、慎重に考える必要があろう。学歴の効果は人的資本の効果とも読めるし、高学歴者ほどピューリタン的倫理観を強く内面化しているとも読めるが、これも興味深い。

総じて、60歳以下のころの職業経歴から予測していくという方向性はよいと思う。これらは年金受給額の Instrumental Variables としても用いることができるかもしれないし。

Macmillan 2005, ライフコースの構造:古典的論点と現代の論争

Ross Macmillan, 2005, "The Structure of the Life Course: Classic Issues and Current Controversies," Advances in Life Course Research, Vol.9 pp.3 - 24.
ライフコースに関する特集の冒頭の論文で、これまでのライフコース研究を整理し(て、この特集の論文を位置づけ)た論文。ライフコース論は1970年代ごろから発展した研究分野と思われるが、Macmillan によると、その主要な論点は
  1. 就職や結婚のようなライフイベントのタイミングや順番、継続期間の実態
  2. 上記の事象が、社会的、歴史的な文脈(例えば、大恐慌、戦争、移民、高学歴化、福祉制度の変化)から受ける影響
  3. ライフコースの多様性にまつわる不平等、社会階層との関係
  4. 類似のライフコースを生み出す社会規範の存在
であったという。このような関心は 2005 年時点でも継続しているが、近年の新しい傾向として、
  • ライフコースの標準化 standardization
  • ライフコースの個人化 individualization
という議論が出てきているという。ただ個人化は標準化の対義語として用いられているので、けっきょく新しい論点は「標準化か、それとも個人化か?」という一つのポイントに集約できる。ライフコースの個人化は標準的なライフコースをたどらない人たちの不利益を指摘することも多いので、けっきょくライフコースの多様性にまつわる不平等、社会階層との関係という古典的な論点を引き継いでいるのがわかる。ただデータの蓄積が進んだおかげでライフコースの多様性が増加しているのか(個人化)、それとも減少しているのか(標準化)、データをもとに議論できるようになってきたということなのかもしれない。

まとめてみれば当たり前の話なのだが、自分の考えを整理するうえで役に立った。気になったのは、Macmillan 自身はそれほどでもないのだが、ライフコース論という業界は holistic approach という方法/パースペクティブを強調する傾向があるという点である。ライフコース論者は、人生の軌跡の「全体」をとらえたい、という欲望にとりつかれているように、部外者の私からは見える。私たちが入手しうるデータは常に断片的で有限なので、holistic といっても完全に実現されることはない。もちろん、 20 代のころのライフコースと 30 代のころのライフコースの関係だけでなく、 10 代や 40 代以降との関係もわかるようになれば、私たちのライフコースに関する知識は増加したといえるだろうし、結婚や出産のような家族関係のライフイベントと職歴の関係だけでなく、居住地や交友関係の変化との関係も明らかにしたい、という意味で、 holistic という言葉を用いているなら、じゅうぶん賛同できる考え方/欲望なのだが、 holistic という言葉を強調する人たちはもっと別のものを求めている気がするのである。

「物質文化へのアプローチ:ファッションと被服の社会学」Crane and Bovone 2006

Diana Crane and Laura Bovone, 2006, "Approaches to Material Culture: The Sociology of Fashion and Clothing," Poetics, Vol.34 No.6, pp.319-333.
Poetics 誌のファッション特集のイントロ。ファッションについてはジンメルやヴェブレンのような古典で扱われているのはよく知られているし、流行については学生にも人気のテーマではあるが、社会学的研究の蓄積や発展についてはあまり聞かない。しかしながら衣服が物質文化の一部であることは疑いなく、Crane and Bovonoe はアパデュライらの研究をひいているが、ググってみると日本でもアパデュライ以前から、物質文化に着目することの重要性を説く論説はあるようである。よく言われるように、衣服にはその人のアイデンティティや価値観が何らかの形で表れる場合があり、集団への同調や反抗、地位の表出や偽装といったトピックも定番である。このように衣服は社会学の重要な研究対象となりうるとされる。具体的には以下の5つのアプローチがあるという。
  1. 衣服をテクストとして読み解く研究。具体的にどうすれば正しく読み解けるのか、その方法論は不明で(写真と同じように読解可能とされるが)、具体例も 1つしかあげられていない。バルトの『神話作用』みたいなのか?
  2. 衣服が生産され流通するシステムの研究。文化産業研究や業界研究がこれにほぼ該当し、デザインや流行の決定から、小売りの現場にいたるまでが研究対象となる。産業社会学や職業社会学の一種という位置づけ方もできるかもしれない。
  3. メディアなどで衣服がどのように扱われるかの研究。メディアによって象徴的価値や意味が衣服に与えられるが、その研究。ゴフマンの Gender Advertisements が例に挙げられている。
  4. 消費者による衣服の扱われ方の研究。消費者は製造元やメディアが付与しようとした象徴的価値をそのまま受け入れることもあるし、それらをずらしたり、読み替えたり、書き換えたりする。そのような活動、例えばストリート・ファッションやパンク・ムーヴメントの研究がこれにあたるのだろう。
  5. 国によるファッション文化の違いの研究。上記のような衣服の製造・流通・消費が国によって違っていたり、共通性があったりすることは自明で、これらについて研究することもできる。
これは partial list というから包括的な分類というわけではないが、今のところこんな感じということだろうか。最後にイタリアのファッション産業の特徴が軽く触れられて終わっている。

具体的な研究例が少ししか書かれておらず、残念。あまり多くないということか。しかし、流通の川上から川下へという視点で研究を整理している点は参考になった。

Hakim 2010 「エロティック資本」

Catherine Hakim, 2010, "Erotic Capital," European Sociological Review, Vol.26 No.5, pp.499-518.
ハキムがエロティック資本に関する自説を開陳した論文。エロティック資本の定義は明示されていないが、以下の 6つ(場合によっては 7つ)の要素からなるという。
  1. 美しさ beauty。顔が主に想定されているようだが、身体のその他の部分も含む
  2. 性的魅力 sexual attractiveness。これは美しさとは明確に区別され、立ち居振る舞いに宿るという。美しさが写真で表現できるものであるのに対して、性的魅力は動画でなければ表現できないそうであるが、それ以上の理論的・経験的区別はなされていない。
  3. 愛嬌、魔力、人々に好かれる能力 grace, charm, ..., the ability to make people like you。エロティック資本の社会的な側面であるという。
  4. 活気、すなわち、健康、社会的エネルギーと上機嫌であることの融合 liveliness, a mixture of physical fitness, social energy, and good humour。ダンスやスポーツの能力に表れることが多いという。
  5. 服装、化粧、香水、ジュエリー、その他の装飾品 adornment、髪形、アクセサリ
  6. 性的能力、エネルギー、エロティックな想像力、遊び心 sexual competence, energy, erotic imagination, playfulness そしてパートナーを性的に満足させるすべて
  7. 多産性 fertility。これは女性のみに限定され、必ずしもすべての時代や文化にあてはまるわけでもないので、留保がつけられている。
エロティック資本は、文化資本や経済資本、社会関係資本とは異なるものであることが強調されているが、文化資本と重なる部分もあることはハキムも認めている。また、他の形態の資本と組み合わされることで、エロティック資本は大きな力を発揮するという。例として外交官の妻が美しく魅力的で社交的である場合、夫の大きな助けとなることがあげられている。この例からもわかるように、ハキムによれば、女性のほうが男性よりも多くのエロティック資本をもち、感情労働がしばしば女性の役割であるのも、女性がエロティック資本を多く持つからであり、それに見合った賃金が支払われないならば、エロティック資本の収奪ということになる。

エロティック資本の多くはトレーニングや社会化によって高めることが可能であり、遺伝などの影響をハキムは否定しないが、後天的な可変性のほうが強調されている(女性のエロティック資本が高いのも女性の努力と学習の賜物)。今日、人々のエロティックなものに対する需要はますます高まっており、エロティック資本の重要性はかつてないほど高まっているという(が、経験的な証拠は薄弱)。とうぜんエロティック資本を多く持つ者のほうが、恋愛市場や結婚市場で有利であり、結婚後も配偶者とのあいだの交渉力が強く、労働市場においても有利であるという。

男性研究者もフェミニストもエロティック資本の価値を否定、ないしは無視し、せっかく女性が優位に立てる資本の価値を切り下げようとしている、とハキムは批判する。彼女によれば、このようなエロティック資本の働きと価値を認めるべきであり、ミスコン批判や風俗産業の取り締まりにも批判的な論調である。

以下感想。自説は new theory だと何度か言っているが、new といえるほど新しくもない。パーツになる議論は、すでに知られているものか、トンデモくさい議論で、俗説ではふつうに言われていることのように思う。おもしろいのは、上記のような 6つの要素をエロティック資本という一つの傘の下にまとめたというところだろうか。erotic という形容が適切かどうかはともかく、容姿や愛嬌、活気、ファッション、魅力といった要素は、社会的評価とも関係している可能性が十分あり、部分的には人的資本や文化資本ともかさなる。顔の美しさや体形が賃金に影響することは米国ではほぼ確認済みであり、西ヨーロッパでもチラホラそういう論文が出ている。

わざわざ「資本」というアナロジーを用いるならば、自己増殖し self-enforcing、他の資源(例えばお金や人脈)の獲得を容易にするような性質を持っている必要があると思うが、お金や人脈を得やすいというのはあるかもしれない。自己増殖性や文化資本の獲得については怪しいが、文化資本も自己増殖するかどうかははっきりしないので、この点でエロティック資本だけを批判するのはフェアではあるまい。測定の困難さも問題の一つであるが、ハキムが自己弁護しているように、文化資本などのその他の資本も測定が困難な点では大差ない。

脱工業化が進み、対人サービス、私たちの専門用語でいえば、ノンマニュアル職の比率が高まることで、よく知らない他人から好感を持たれる必要のある人の数は増えていると考えられる。エロティックという用語を使う気はあまりないのだが、そういう見た目や好感度のようなものをとらえる工夫はもっとなされてもよいと思う。

献本御礼:樋口・永吉・松谷・倉橋・シェーファー・山口『ネット右翼とは何か』
樋口 直人,永吉 希久子,松谷 満,倉橋 耕平,ファビアン シェーファー,山口 智美
青弓社
¥ 1,728
(2019-05-28)

プロパガンダに利用された bot の分析や桜井誠の支持者の分析など、おもしろそうな話題がいろいろあります。どうもありがとうございました。勉強させていただきます。

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