Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
<< May 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
RECOMMEND
後期近代と価値意識の変容: 日本人の意識 1973-2008
後期近代と価値意識の変容: 日本人の意識 1973-2008 (JUGEMレビュー »)

NHKの日本人の意識調査のデータをつっこんで分析した本です。
RECOMMEND
Labor Markets, Gender and Social Stratification in East Asia: A Global Perspective (The Intimate and the Public in Asian and Global Perspectives)
Labor Markets, Gender and Social Stratification in East Asia: A Global Perspective (The Intimate and the Public in Asian and Global Perspectives) (JUGEMレビュー »)

直下の和書の英語版です。審査を通過するためにレフェリーのコメントに従って若干修正してあります。
RECOMMEND
東アジアの労働市場と社会階層 (変容する親密圏/公共圏)
東アジアの労働市場と社会階層 (変容する親密圏/公共圏) (JUGEMレビュー »)

GCOEの成果をまとめた本です。日本を中心に韓国、台湾(中国も少し)との比較研究をしてます。
RECOMMEND
若年非正規雇用の社会学‐階層・ジェンダー・グローバル化 (大阪大学新世紀レクチャー)
若年非正規雇用の社会学‐階層・ジェンダー・グローバル化 (大阪大学新世紀レクチャー) (JUGEMレビュー »)
太郎丸 博
拙著です。非正規雇用に関する本はたくさんありますが、「なぜ正規雇用と非正規雇用では賃金格差があるのか」など当たり前と思われがちな問題を突き詰めて考えてみました。
RECOMMEND
フリーターとニートの社会学
フリーターとニートの社会学 (JUGEMレビュー »)

拙編です。オーソドックスな計量社会学の手法で、若年非正規雇用や無職にアプローチした本です。白い装丁なので、輪郭がわからないですね...
RECOMMEND
人文・社会科学のためのカテゴリカル・データ解析入門
人文・社会科学のためのカテゴリカル・データ解析入門 (JUGEMレビュー »)
太郎丸 博
拙著です。軽く読み流すのは難しいですが、まじめに一歩一歩勉強するために作りました。
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • アマチュア社会学の可能性
    読者 (02/20)
  • 社会システム理論の野望、あるいは全体性へのオブセッション
    宮国 (12/19)
  • 片山他 2015「図書館は格差解消に役立っているのか?」
    オカベ (12/09)
  • ランダム効果の意味、マルチレベル・モデル、全数調査データ分析
    YZ (12/07)
  • 学歴社会から「学習資本」社会へ:日本の教育と社会における階級形成の再編
    赤尾勝己 (02/11)
  • グラフィカル・モデリングとは?
    anonymous (11/30)
  • Rスクリプト覚書き:vglm関数で平行性の仮定を置かずに順序ロジット
    ほっくー (08/05)
  • 台湾の経済: 典型NIESの光と影
    おーまきちまき (07/19)
  • ペルー移民は日本でどのように社会移動を経験するのか
    佐藤悟 (03/21)
  • ペルー移民は日本でどのように社会移動を経験するのか
    佐藤悟 (03/21)
RECENT TRACKBACK
 
「嘘つきデマゴーグはなぜ信頼されるのか:正当性の危機に関する深い真実」Hahl, et al. 2018

Oliver Hahl, Minjae Kim and Ezra W. Zuckerman Sivan, 2018, "The Authentic Appeal of the Lying Demagogue: Proclaiming the Deeper Truth about Political Illegitimacy," American Sociological Review, Vol.83 No.1, pp.1-33.
なぜ嘘つきのデマゴーグを信頼する人がたくさんいるのか論じた論文。米国のトランプ大統領に代表されるように、あからさまな嘘をつく政治家が世論の支持をえることは珍しくない。Hahl, Kim and Zuckerman Sivan が大統領選の八日後に行ったネット調査によると、トランプ大統領に投票した者のうち、彼の言ったことが highly true だと答えたものは 5% しかおらず、彼が何かしらいい加減なことを言っていると認識している。それにもかかわらずトランプ投票者の 61.8% はトランプのことを highly authentic (本物、信頼できる)と考えている。嘘つきなのに信頼できるというのは矛盾しているように思えるが、Hahl らによれば、むしろ嘘つきだからこそ本物の政治家であり、信頼できるのだという。もちろん、嘘つきがどんな状況でも authentic だと認められるというわけではない。以下のような条件が整う必要がある。
  1. 正当性の危機がなければならない。Establishment と呼ばれるような政治エリートに対する強い不信と不支持がある程度多くの有権者のあいだにあるという大前提がある。
  2. さらに、Hahl らは明示していないが、 Establishment が嘘をつくという行為を正当な規範に対する違反だとはっきり認めていなければならない(日本ではこの条件が成り立つのか怪しい)。これらの状況がそろえば、嘘をつくという行為は、既存の秩序に対する挑戦であり、Establishment と自分はまったく違うというメタ・メッセージを遂行的に有権者に送ることができる。これを symbolic protest と Hahl らは呼んでいる。
  3. この場合の嘘は、誰でもちょっと調べればすぐに嘘だとわかるようなあからさまな嘘のほうがよい。嘘か本当かよくわからないような灰色の嘘の場合、聴衆はそれが symbolic protest なのかどうかよくわからず、Establishment に対する挑戦というメタ・メッセージが聴衆に届かないのである。
  4. 最後に、自分は何らかの意味で没落しつつあるような社会的カテゴリに属していると(少なくとも聴衆自身が)認識していることである。具体的には、政治エリートたちとは異なる集団に属しているか(代表性の危機 representation crisis )、あるいは政治エリートたちと同じ集団に属してはいるが、政治エリートが部外者たち (outsiders) をひいきしているような状況(権力切り下げの危機 power devaluation crisis )が想定されている。
Hahl らは明示していないが、これらは嘘つきデマゴーグが信頼できると思われるための必要条件ではなく、十分条件だと考えるべきだろう。これらの条件が整うと嘘は腐敗した政権に対する象徴的抗議であり、有権者の利益のための行為であり、彼女のやっていることは正しいとみなされるということである。それゆえ、表面的には嘘をついていても、より深いレベルでは信頼できるということになる、という理屈である。

この仮説が正しいかどうかを検証するために、ヴィネット調査による実験がなされている。データはオンライン調査で得たもので、架空の大学生の自治会長選挙の候補者に対する評価をたずねている。自治会長選挙では、大学当局の出したキャンパス内禁酒令への賛否が主要な論点となっており、現職と対立候補の新人が立候補している。現職は嘘をつかないが、対立候補はあからさまな嘘をついたうえに女性差別的発言までする、という設定になっている。実際には上述の代表性の危機と権力切り下げの危機に対応する二種類の調査がなされているのだが、いちじるしく煩雑になるので前者の代表性の危機についての調査だけ解説する。

調査ではまず回答者を Klee and Kandinsky test という方法で無作為に二つのグループ(現職と同じグループか違うグループか)にふりわけている。これはパーソナリティを調べるいくつかの質問をした後に、回答者に対して、「あなたは Q2 型のパーソナリティです」あるいは「 S2 型のパーソナリティです」と知らせるが、実際には回答とはまったく関係なくランダムに Q2 と S2 に割り振られる。そして現職の自治会長が Q2 型だと知らされる。これはすべの回答者に共通の手続きである。

調査票は4種類あり、正当性の危機があるかどうか × 現職と新人のどちらの評価を求められるか= 4種類ある。正当性の危機がある場合のシナリオでは、現職の自治会長が現在の地位を利用して私腹を肥やしている(ただし違法行為ではない)とされ、代表性の危機がないシナリオでは彼女は職務の範囲を超えて他の学生のために尽くしているとされている。回答者は現職または新人の候補者をどの程度 authentic だと思うか、7段階で評価する。

分析の結果、正当性の危機があり、回答者が現職とは異なる S2 型のパーソナリティだと知らされている場合の嘘つき対立候補の平均 authentic 評価が最も高くなる。これは正当性の危機がない状態の現職よりも高い(単純に禁酒に反対の人が多いということかもしれないが)。面白いのはこれらのヴィネットの条件のあいだには交互作用効果があるように見えるところで(交互作用効果の検定はなされていない)、正当性の危機や回答者が S2 型に割り振られていることの主効果はそれなりにあるのだが、両者がそろうとさらに効果が増すように見える。ほぼ同様の結果が権力切り下げの危機のシナリオにかんしても得られている。

ヴィネットの使い道としてとてもおもしろいと思った。Hahl, Kim and Zuckerman Sivan の議論を日本に敷衍するならば、嘘つきデマゴーグの言っていることを嘘だと批判してもあまり効果がないのは、嘘は嘘つきが品行方正なエリートとは異なる種類の人物であることの証拠であり、そういった人物を支持したいと考える人がたくさんいるからだ、ということになる。例えば、在特会の主張は嘘であるからこそ一部の人々にアピールするということになる。事実と論理を何よりも重んじる研究者としては憂鬱な話であるが、説得力は感じた。

この理論が正しいとすれば、グローバル資本主義を批判する活動家が抗議行動の途中で一般の店舗を破壊することがあったが、むしろ破壊したほうが支持が得られる(グローバル資本主義に否定的な人が多ければ、という条件付きだが)ということになるが、そうなのだろうか。また、日本の場合、Establishment といえば自民党とその支持者たちということになるが、彼らがそもそも嘘をついてはいけないという規範を持っているかどうかは微妙で、発語内的には嘘はいけないということを繰り返し言うわけだが、メタ・メッセージとしては、彼らの信じる正義のためなら多少の嘘は構わない、と言っているように見える。それゆえ、安倍内閣支持にこの議論があてはまるのかどうかは、私にはよくわからない。

健康の階層間格差の累積的プロセスのメカニズム, Willson et al. 2007

Andrea E. Willson, Kim M. Shuey and Jr. Glen H. Elder, 2007, "Cumulative Advantage Processes as Mechanisms of Inequality in Life Course Health," American Journal of Sociology, Vol.112 No.6, pp.1886-1924.
健康の階層間格差のメカニズムについて論じた論文。近年、健康の階層間格差が注目されているが、米国ではこの格差は高齢になると縮小するとする結果がいくつか報告されている。しかし、このような加齢による健康格差の縮小はセレクション・バイアスによる推定の歪みではないかとする説もある。なぜなら不健康な人が高齢になってさらに不健康になり、入院したり亡くなったりして、サンプルから脱落することによって、階層間格差が高齢層で小さく見えてしまう可能性があるからである。結論から言えば、Willson, Shuey and Elder は分析結果から後者の説を支持し、健康の階層間格差は高齢になっても縮小しないと述べている。

もう一つの問題は、健康の階層間格差は累積的 (cumulative) な過程なのか、そうだとすればどのようなメカニズムで生じているのか、という問題である。累積的過程といってもさまざまなメカニズムが考えられるが、Willson, Shuey and Elder は経路依存 (path dependent) 型と暴露持続 (exposure duration) 型の二種類を考えている。数理モデルが定式化されておらず記述があいまいだが、だいたい以下のようなモデルが想定されていると思われる。経路依存型では、社会経済的地位は若いうちに分化してその後地位の格差は拡大していくので、その分健康格差も拡大する、というプロセスが想定されているように読める。すなわち、Hit を個人 i の時点 t における健康度、SESit を個人 i の時点 t における社会経済的地位とすると

eit と rit が平均ゼロで独立に正規分布し、a1 が正で b > 1 ならば、時間の経過とともに SES が最小の人たちと最大の人たちの SES の差が拡大していきそれに比例して健康の格差も拡大していくと考えらえる(ちゃんと証明していないが直感的に正しい気がする)。これが経路依存型である。つまり出発点で上にいた人は健康な良い道を、下にいた人は不健康な悪い道を歩いていくが、二つの道はどんどん離れていく、というイメージである。このモデルのポイントは、時点 t の健康は、時点 t の SES からのみ影響を受け、それ以前の SES は直接効果を持たない(間接的には持つ)という仮定をしていることである。

暴露持続 (exposure duration) 型では、時点 t より前の SES も健康に直接的な影響を持つと仮定する。例えば SES の高さに比例して、体に有害な物質がたまっていき、一度体内に入ると二度と排出されないとしよう。そしてこの体内の有害物質の量に比例して健康度が決まるとする。個人 i が時点 t に取り入れる有害物質の量を Yit とすると、

と表せよう。このモデルでは、過去の SES の格差は、その後もずっと体内の有害物質の量の差として健康格差を作り続ける。もしも SES の差が加齢によってなくならないならば、健康格差は拡大し続ける。

繰り返すが、これらのモデルは明示されておらず、ぼんやりとした抽象的記述があるだけである。検証には Panel Study of Income Dynamics の 1984-2001 で 1984 年時点に健康だった 26-75 歳がデータとして用いられている。分析はマルチレベルモデル(random-effects model と計量経済学で呼ばれているもの、この場合は成長曲線モデルとも呼ばれる)で従属変数は主観的健康度である。収入と資産を時間的に変化する変数として投入し、学歴と一貫低収入ダミーと一貫少資産ダミーを時間的に変化しない変数として投入している。時間的に変化する収入や資産は SESit を測定していると考えられており、これらが有意な効果を持つならば、経路依存型の累積的健康不平等があると Willson, Shuey and Elder は考えている。いっぽう一貫低収入ダミーとは、測定されたすべての時点で収入が 20 パーセンタイル未満かどうかを示すダミー変数である。一貫少資産ダミーも同様に計算されている。これらが有意ならば t より前の時点の SES が t 時点の健康度に影響を及ぼしていることになるので、暴露持続 (exposure duration) 型が支持されると考えられている。ただし、私が上で述べたモデルよりもずっと不細工ではあるが。

分析の結果、教育年数、収入、資産、一貫低収入ダミー、一貫少資産ダミーはすべて有意で、予測通りの結果である。ただし、収入と資産は同時にモデルに投入されていない(多重共線性を避けるためか?)。つまり、経路依存型と暴露持続の両方のメカニズムが働いていると Willson, Shuey and Elder は述べている。また、年齢が上がると収入や資産の効果が弱まるのは、古いコーホートだけであり、それについても傾向スコアを使って補正すると有意ではなくなってしまうことから、加齢によって SES の効果が弱まるとする説を否定している。

気になった点を順不同で。まず一点目。主観的健康は5段階で評価されており、上限と下限がある。このせいで不健康な人の増える高齢期において天井効果(「床」効果というべきか?)があらわれ、階層間格差が小さく見える可能性もあると思うのだが、そういった可能性については触れられていなかった。順序ロジットのようなモデルを使えばこういった問題は回避できそうだが、そういう分析はないのだろうか。

次に気になった点。サンプルを古いコーホートに限定して傾向スコアを使って分析する際に、傾向スコアを投入していないモデルも推定しているのだが、そもそもこのモデルで年齢と SES の交互作用効果が有意ではない(年齢と収入の交互作用効果は 10% 水準で有意だが、いまどき 10% 水準なんて意味あるとは思えない)。傾向スコアを投入することでこの交互作用効果の推定値が予測通りに変化しているのは、年齢と収入の交互作用効果が .0018 から .0016 へと変化している点だけで、これも 11% 程度の減少に過ぎない。傾向スコアの効果は有意だが、本当に著者たちが想定しているようなメカニズムでバイアスが生じているのかどうかについては疑問が残る。

三点目。一貫低収入ダミーでは、20パーセンタイルの上か下かだけしか見ておらず、ここを区切り値にする根拠も示されていない。また、17年間のうち、16年間低収入だった人も、ずっと低収入ではなかったひとも、一貫低収入ダミーはゼロになってしまう。このような仮定は暴露持続型の測定モデルとして適切とは言い難い。

という具合にテクニカルにはツッコミどころがいろいろあるのだが、パネル・データで健康の分析をするというのは悪くないと思う。セレクション・バイアスの問題は昔から指摘されてはきたがこれを補正した分析は初めて読んだので、この点も高く評価したい。コーホートを考慮している点も適切な処理として評価できる。お金も地位も名誉もいらないとうそぶく人は珍しくないが、健康もいらないという人は珍しいように思う。健康は究極のライフ・チャンスともいえ、社会階層研究でもっと分析されていいと思う。

「女性のキャリアと体重の関係」Haskins & Ransford 1999

Katherine M. Haskins and H. Edward Ransford, 1999, "The Relationship between Weight and Career Payoffs among Women," Sociological Forum, Vol.14 No.2, pp.295-318.
社会経済的な地位達成 (career payoffs, 収入と職業的地位で測定される)と肥満のあいだに関係があることは、米国で繰り返し指摘されている。こういった傾向は特に女性に顕著であり、男性に関しては両者に有意な関連が見られない、といった報告も少なくないようである(ただし、この論文が出版された 1999年の時点で)。このような違いは女性差別の一つの現れであり、女性の性的魅力は外見によって主に決まるのに、男性は外見の重要度が相対的に低く、能力や人柄、地位、権力といったことも性的魅力と関係する。女性の採用や昇進を決定する担当者 (gatekeeper) が、このような性的魅力にもとづいて太っている女性を差別するために、太っている女性は痩せている女性に比べて社会経済的地位が低くなると言われている。もちろん自己管理能力のような要因による疑似相関とか、地位の高さが肥満度に影響している、といった逆の因果の向きも考えられようが、それだと男性で女性ほどには肥満度と地位の間の関連が出ないことを説明できない。この論文で特に注目しているのは、痩せていることが地位達成に影響するのは、どのような職種においてか、という問題である。Haskins and Ransford は、女性が組織の外部の人々(顧客や取引先)と接する機会が多いような職に就いている(あるいは就こうとする)場合、痩せていることが社会経済的な地位を高める効果があるという仮説を示している。また、伝統的に男性の多い職種では(あるいはそのような職種に就こうとする場合は)、痩せている女性のほうが太っている女性よりも社会経済的な地位を高めやすい、という仮説も示されている。前者は外見が特に重要な職種なのでそれが生産性/業績に影響したり、採用担当者の判断に影響したりすることが想定される。後者については、特に女性が入りにくい職種であるために、より完璧な女性だけが評価される、つまり、能力や実績だけでなく外見もパーフェクトな女性だけが評価される、といった説明がされている。

サンプルは米国のある軍需企業(航空機製造)の女性従業員からの無作為抽出であり、専門職・管理職をオーバーサンプリングしている。1988年に郵送調査が実施され、回収率は 33% である。有効サンプル・サイズは 306。肥満の程度の測定はやや複雑で、米国の標準体重より体重が重いか軽いかを基準に計算されている。標準体重の範囲ならばゼロ、標準体重の範囲の上限を超えているならば何パーセントオーバーしているのか、標準体重の下限よりも低い場合はその超過率にマイナス1をかけあわせて、一つの変数としている。これは現在の体重とこの企業に勤め始めた時点での体重の両方で分析されているが、どちらを分析してもほぼ同じ結果だそうである。

従属変数を年収とした場合、肥満度が女性の収入に影響をおよぼすのは、専門管理のエントリー・レベル職(e.g. Junior Engineer and Program Manager) だけで、ブルーカラーや事務職、上位の専門管理職 (e.g. Senior Engineer and Director of Accounting) 、では肥満度は有意な効果がない。これらのサンプル全体で同様の分析をしても肥満度は女性の収入に有意な効果を持たない。男性の多い職種とそうでない職種にわけて同じ分析がなされているが、やはり肥満度は有意な効果がない。現職の職業的地位を従属変数とすると(尺度は不明)、全体サンプルでは肥満度は女性の地位を下げる有意な効果が見られる。このような効果は、会社の外部の人と接する機会の多い職でも少ない職でも同じであり、仮説に反する結果である。男性の多い職種と少ない職種に分けて分析すると、肥満度の効果は異なっており、男性の多い職種に限定すると、肥満度が高いほど職業的地位が低いが、男性の少ない職種では肥満度は有意な効果はなく、これら二つのサブサンプルに関する肥満度の傾きの差は片側 5% 水準で有意であった。

以下では順不同で感想を書いていく。米国であれば収入に関してももっとはっきりした効果が出ると思っていたが、収入と肥満度の関係はよく言われるほどには強くないという結果であった。職業的地位に関してはおおむね仮説通りの結果であるが、社外の人と接する職で特に肥満度の効果が強いという仮説は支持されなかった。これは営業や受付、仕入れ担当者など特定の職種に集中していると思われ、あまり職業的地位のばらつきがないことと関係しているのかもしれないが、そもそもこれらの職種で成功した人は管理職のような別の職種に昇進したり、移動したりしてしまうかもしれない。また、社外の人と接しようと接しまいと、結局評価するのは上司なので、社外の人の評価はあまり重要ではないということなのかもしれない。

せっかく一社に限定してサンプルをとっているのだから、もっと細かい情報が得られるはずで、それを利用した分析がなされていないのは残念であった。ただ、どのような職種で特に肥満度が効くのか、というアプローチは生産的だと思った。男性の多い職種ならば仕事のパフォーマンスに女性としての美しさは関係ないはずなのであるが、やはり関係があるという結果は面白いと思う。男性の多い職種とはブルーカラーと専門管理職なので、けっきょく管理職や専門職には痩せている女性のほうがなりやすい、逆に言えばブルーカラーの女性のほうが太っているということである。分析のやり方が適切かどうかには疑問があるが(職業を従属変数としているのに職種でサンプルを分割するのはセレクション・バイアスを生じさせる可能性がある)、方向性はいいと思う。

Haskins and Ransford の解釈で勉強になったのは、痩せているということの両義性の指摘である。彼らより前から類似の解釈はあったようであるが、痩せていることは、近代社会では女性の美しさの条件の一つであり、女性性と結びついている。しかし、その一方で自己管理能力や意志の強さを示すものでもあり、これらはむしろ男性性と結びつく。つまり痩せているということは女性らしい美しさの兆候であるとともに男性らしい意志の強さの兆候でもあると解釈できる。つまり、完璧なワーキング・ウーマンの外見にふさわしいというわけである。

献本御礼:石田光規編『郊外社会の分断と再編:つくられたまち・多摩ニュータウンのその後』
石田光規,林浩一郎,脇田彩,井上公人,井上修一,大槻茂実
晃洋書房
¥ 2,808
(2018-04-14)

帯には
「まち」を「滅びゆくまち」にしないために
郊外社会において、なぜ、住民たちのつながりはうすくなりがちなのか。豊富な社会調査データをもとに、公害という「街並み」が生み出す住民たちの分断を明らかにし、それを修復する試みから、地域の持続可能性を模索する。
とあります。どうもありがとうございます。勉強させていただきます。
献本御礼:吉川徹『日本の分断:切り離される非大卒若者たち』
本の帯には、
「団塊の世代」退出後の社会に忍び寄る危機とは!
計量社会学者が描き出す”明日の日本の姿”
とあります。どうもありがとうございます。勉強させていただきます。
献本御礼:原田豊編『「聞き書きマップ」で子どもを守る:科学が支える子どもの被害防止入門』
帯には
「安全マップ作りって大変」を解決!
歩いた経路・写真の撮影地点を自動的に記録して学校や地域での「まちあるき」の記録を手軽に作れるソフトウェア
各地での実施事例を紹介し、学術的基盤から具体的な使い方、防犯以外のいろいろな活用方法まで一冊でわかる入門書
とあります。写真や挿絵などが3〜4ページに1枚程度はあり、読みやすそうです。どうもありがとうございます。勉強させていただきます。
「ヘビメタ以外なら何でも」:象徴的排除と嫌いな音楽 Bryson 1996

Bethany Bryson, 1996, ""Anything But Heavy Metal": Symbolic Exclusion and Musical Dislikes," American Sociological Review, Vol.61 No.5, pp.884-899.
文化的雑食者 (Cultural Omnivores) にもあまり好まれないジャンルの音楽がある、という話。マルクスからブルデューへといたる階級文化論においては、ハイブロウな文化と大衆的な文化があり、上流階級はハイカルチャーを、下層階級は大衆文化を好む、という議論がなされてきた。これに対して、1980年代以降の米国や日本の研究では、上流階級はハイカルチャーだけでなく大衆文化もたしなんでおり、いわば文化的「雑食」と考えるべきであるという説が有力である。例えば、下層階級はロックだけしか聞かないが、上流階級はロックもクラシックも楽しむということである。このような雑食性は、教育などによって培われる寛容さに由来するという説もあるが、批判的な議論もある。高学歴者の寛容さは、いわば建て前にすぎず、実際には排除的にふるまうこともある、と言われている。つまり、一見様々なジャンルに差別なく興味を持つように見えても、やはり特定のジャンルは(意識的にせよ無意識のうちにせよ)避けられているという説である。Bryson によれば低学歴者に相対的に好まれるジャンルは文化的雑食者であってもあまり好まない、という仮説を示している。

米国の音楽を考える場合、上記のような階級的な分断に加えて、人種の問題が絡んでくる。ゴスペルやジャズのようなジャンルは黒人によって発展させられてきた分野であり、人種差別的な人ほどこういった黒人音楽を好まないことは容易に想像がつくだろう。

これらの予測がどの程度正しいのかを GSS (General Social Survey) 1993 のデータを使って検証している。主な分析は三種類あり、第一の分析では、16の音楽ジャンル(どんなジャンルかは Figure 1 を参照)のうち、回答者が "dislike" または "dislike very much" を選んだジャンルの数が従属変数となっている。回帰分析の結果、世帯収入や職業威信スコアは有意な効果を持たないものの、教育年数は嫌いな音楽ジャンルの数を有意に減らしている(標準化係数 = -.151)。これは年齢や政治的寛容尺度をコントロールした結果なので、高学歴者だから寛容、というロジックだけでは説明がつかない可能性が示唆されている。

第二の分析では、黒人が主な愛好者である六つの音楽ジャンル(ラップ、レゲエ、ブルース/R & B、ジャズ、ゴスペル、ラテン音楽)のうち、"dislike" または "dislike very much" を選んだジャンルの数が従属変数となっている。この分析には人種主義スコアが政治的寛容度のかわりに独立変数として投入されており、予測通り人種主義は有意に嫌いな黒人音楽ジャンルの数を増やしている。同じように上記の黒人に好まれる 6 つのジャンル以外の 10 ジャンルについて、同じ分析がなされているが、人種主義スコアは有意な効果を持たない。教育年数はどちらもマイナスの有意な効果を持っている(つまり、黒人音楽であってもなくても、嫌いなジャンルの数を減らしている)。

第三の分析では、16 分野を嫌いかどうかについて二項ロジスティック回帰分析をしている。つまり 16 個の従属変数に関して、別々に 16 回推定を行っている。独立変数は教育年数と、音楽的寛容(従属変数以外の 15 の音楽ジャンルのうちいくつのジャンルを嫌いでないか)だけである。この結果えられた音楽的寛容の回帰係数と、各ジャンルの愛好者の平均教育年数を示したのが、Figure 1 である。

音楽ジャンルは回帰係数の昇順で並べられている。一番左の Latin/Salsa は音楽的寛容の回帰係数が -.42 ぐらいで寛容な人ほど Latin/Salsa が嫌いでない、という傾向が顕著である。一番右の Heavy Metal, Country, Gospel の三つは、音楽的寛容の回帰係数が -.15 より大きい(係数の絶対値を効果の大きさと見るなら、効果が相対的に小さい)。確かにこれら3ジャンルについても音楽的に寛容な人ほど嫌いでない傾向があるが、それは Latin/Salsa ほど顕著ではない、ということである。さらにこのような音楽的寛容の効果(回帰係数の絶対値)は、愛好者の平均教育年数が低いほど弱まる(統計的に有意かどうかは不明)。ちなみに Country と Gospel は 16 ジャンルのうち、第 2 位と 3 位の人気ジャンルだが(ちなみに 1 位は oldies)、Heavy Metal は最下位である(ちなみにその次に人気がないのは Rap、次が New Age/Space)。つまり、ヘビメタは全人口平均でも好かれていないが、音楽的に寛容な人でもあまり嫌いな人が減らないジャンルということになる。だから文化的雑食者というのは "Anything but Heavy Metal" だ、というわけである。ちなみに Rap も音楽的寛容の効果が低く全人口平均でも人気のないジャンルであり、 "Anything but Heavy Metal and Rap" といったほうが正確かもしれない。

分析法や理論の整理の仕方などいろいろケチのつけどころはたくさんあるし、結果も当たり前と言えば当たり前という気もする。ただ文化的雑食者といっても本当に何でも食っているわけではないわけで、その内実を明らかにしようとしている点は評価できる。

以下は順不同で雑感。第一に、マルクスやブルデューでは「階級」が問題なのだが、世帯収入や職業威信がまったく効果を持たないので、文化的雑食を階級文化と呼ぶのはあまり適切とは言えまい。ある種の知性や教養と結びついたハビトゥスであり、階級論に持っていくには無理のある分析結果である。Bryson はこのあたりの問題には無関心でほとんど議論がなく、階級論に持っていきたいという感じでもない。第二に、この分析では 16 の音楽ジャンルが嫌いかどうかという二値変数 (0 or 1) を作ってそれらを足し合わせて従属変数にしているが、これって因子分析の枠組みで考えれば、音楽が全般に嫌いかどうかを示す尺度と見ることもできる。象徴的排除や閉鎖の尺度と Bryson は見ているのだが、こういう解釈でいいのかどうかについてはきちんと分析して議論する必要があろう。Figure 1 の音楽的寛容の回帰係数は、16変数で因子分析したときの因子負荷量によく似たものなのであるが、これを見ても全般に音楽を嫌いでない人は、どのジャンルも嫌いでない、という結果だと読めなくもない。だからといって Bryson の解釈が間違いだとまでは思わないが、このあたりの問題についてもう少し丁寧な議論が欲しいところである。

献本御礼:尾嶋史章・荒巻草平編『高校生たちのゆくえ:学校パネル調査からみた進路と生活の30年』
同じ高校の高校生を 1981, 1997, 2011 の 3時点で調査した結果だそうです。通常のパネルとは違い、個人を追跡調査していくのではなく、同じ学校の変化を追跡しているので「学校パネル」ということだそうです。勉強させていただきます。どうもありがとうございました。
献本御礼:中澤渉『日本の公教育:学力・コスト・民主主義』中公新書
本の帯には
教育
のために?
学校
のために?
その経済的、
社会的な役割とは
とあります。勉強させていただきます。どうもありがとうございました。
献本御礼:林雄亮編『青少年の性行動はどう変わってきたか:全国調査にみる40年』
青少年の性行動全国調査をもとにした本です。このデータは若年層の親密性の変容について議論できる数少ない統計の一つなので、性行動そのものに興味がない人にもきっと参考になると思います。デートの経験とかについても変化がわかります。

Copyright (C) 2004 paperboy&co. All Rights Reserved.

Powered by "JUGEM"