Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
<< September 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
RECOMMEND
後期近代と価値意識の変容: 日本人の意識 1973-2008
後期近代と価値意識の変容: 日本人の意識 1973-2008 (JUGEMレビュー »)

NHKの日本人の意識調査のデータをつっこんで分析した本です。
RECOMMEND
Labor Markets, Gender and Social Stratification in East Asia: A Global Perspective (The Intimate and the Public in Asian and Global Perspectives)
Labor Markets, Gender and Social Stratification in East Asia: A Global Perspective (The Intimate and the Public in Asian and Global Perspectives) (JUGEMレビュー »)

直下の和書の英語版です。審査を通過するためにレフェリーのコメントに従って若干修正してあります。
RECOMMEND
東アジアの労働市場と社会階層 (変容する親密圏/公共圏)
東アジアの労働市場と社会階層 (変容する親密圏/公共圏) (JUGEMレビュー »)

GCOEの成果をまとめた本です。日本を中心に韓国、台湾(中国も少し)との比較研究をしてます。
RECOMMEND
若年非正規雇用の社会学‐階層・ジェンダー・グローバル化 (大阪大学新世紀レクチャー)
若年非正規雇用の社会学‐階層・ジェンダー・グローバル化 (大阪大学新世紀レクチャー) (JUGEMレビュー »)
太郎丸 博
拙著です。非正規雇用に関する本はたくさんありますが、「なぜ正規雇用と非正規雇用では賃金格差があるのか」など当たり前と思われがちな問題を突き詰めて考えてみました。
RECOMMEND
フリーターとニートの社会学
フリーターとニートの社会学 (JUGEMレビュー »)

拙編です。オーソドックスな計量社会学の手法で、若年非正規雇用や無職にアプローチした本です。白い装丁なので、輪郭がわからないですね...
RECOMMEND
人文・社会科学のためのカテゴリカル・データ解析入門
人文・社会科学のためのカテゴリカル・データ解析入門 (JUGEMレビュー »)
太郎丸 博
拙著です。軽く読み流すのは難しいですが、まじめに一歩一歩勉強するために作りました。
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望
    charlestonblue (10/08)
  • Cohen et. al 2011 「フェミニズムの方法論的インパクト: 社会学のやっかいな問題?」
    abe daijyu (10/05)
  • アマチュア社会学の可能性
    読者 (02/20)
  • 社会システム理論の野望、あるいは全体性へのオブセッション
    宮国 (12/19)
  • 片山他 2015「図書館は格差解消に役立っているのか?」
    オカベ (12/09)
  • ランダム効果の意味、マルチレベル・モデル、全数調査データ分析
    YZ (12/07)
  • 学歴社会から「学習資本」社会へ:日本の教育と社会における階級形成の再編
    赤尾勝己 (02/11)
  • グラフィカル・モデリングとは?
    anonymous (11/30)
  • Rスクリプト覚書き:vglm関数で平行性の仮定を置かずに順序ロジット
    ほっくー (08/05)
  • 台湾の経済: 典型NIESの光と影
    おーまきちまき (07/19)
RECENT TRACKBACK
 
献本御礼:マリオン・モンテーニュ『リッチな人々』
リッチについてブルデュー派の社会学者が解説する漫画です。ほぼ全ページ6コマで文が普通の漫画より多い。勉強させていただきます。どうもありがとうございます。
献本御礼:樋口直人・松谷満編『3.11後の社会運動:8万人のデータからわかったこと』
本の帯には「大規模デモはなぜ起きたのか?」「あのときのデモ、これからの運動を考える上で必読の書!」とあります。どうもありがとうございます。勉強させていただきます。
献本御礼:吉田純編『ミリタリー・カルチャー研究』
社会学・歴史学の立場からせまる、「読む事典」だそうです。勉強させていただきます。どうもありがとうございます。
献本御礼:濱西栄司他『問いからはじめる社会運動論』
これまで得られた知見をわかりやすく整理するタイプの教科書ではなく、「私はこんな問題にこんな風に取り組みました」型の教科書のようです。どうもありがとうございます。勉強させていただきます。
献本御礼:景山佳代子・白石真生編『自分でする DIY 社会学』
初学者向けの教科書のようです。どうもありがとうございます。勉強させていただきます。
「Transnational Corporations and Global Governance 跨国企業と全球統治」Bartley 2018

Tim Bartley, 2018, "Transnational Corporations and Global Governance," Annual Review of Sociology, Vol.44 No.1, pp.145-165.
跨国企業が全球統治におよぼす影響をレビューした総説論文。跨国(ここく)と全球(ぜんきゅう)は、それぞれ transnational と global の中国語訳だが、ニュアンスをよく表しているので流用している。跨国企業とは、複数の国にわたって活動している企業といった意味で、むかしは多国籍企業とか国際企業といった言い方をしたが、現地法人を持つことは必要条件ではないし、国と国のあいだやきわで活動しているとも限らないせいか、最近は transnational という言い方をよく聞く。全休統治とは、「複数の法域 (jurisdictions) にわたる問題を解決したり、そこに秩序をもたらすための行政機関やかなり公式的なルール、基準、合意」(p.147) を指す。例えば、World Trade Organization (WTO) のような国際機関や、ワシントン条約のような国際条約、国際標準化機構 (ISO) のさだめる度量衡や経営の規格、Hazard Analysis and Critical Control Point (HACCP) のような安全管理手法の規格、は Global Governance と言えるだろう。

巨大な跨国企業は、小さな国の政府よりも大きな経済力を持っているので、人々の日常生活にも大きな影響を与えうる。全球統治に対してもお金をかけてロビー活動することができるので、複数の跨国企業が協力する場合は特に強い影響を与えうるだろう。全球統治の中には企業の利害に深く関わるものも少なくないので、企業が全球統治に関与することも当然ある。Bartley によれば、跨国企業は全球統治の 1 スポンサーになったり、2 抑制者になったり、3 直接的な提供者になったりするという。左翼寄りの議論では、跨国企業は全球統治の敵、といった単純な議論も多いそうだが、実際にはそうとは限らないので、上記の3つの役割をきちんと認識すべきであると Bartley はいう。

第一に、全球統治のスポンサーとは、条約や規格の統一を促進するために跨国企業も尽力する場合をいい、特に新自由主義的な市場環境の統一化には熱心であるという。例えば、Texas Instruments や Boeing, Monsanto といった跨国企業が WTO 設立のためのロビー活動をしたことがあげられている。

第二に、抑制者とは、逆に条約や規格の統一を抑制するために跨国企業が尽力する場合のことであり、特に人権や労働条件、環境保護に関する全球統治にたいしては、跨国企業はしばしば抑制者としてふるまうという。例えば、京都議定書を策定する際には、 ExxonMobil, General Motors, and the American Petroleum Institute といった企業ないしは企業連合が、温暖化懐疑派の人々を援助し、米国の京都議定書からの脱退を促したという。

第三に、直接的な提供者とは、跨国企業自身が全休統治を作り出そうとする場合である。例として、国際会計基準審議会 International Standards Accounting Board を Big Four と呼ばれる会計監査会社が中心となって設立したことがあげられている。

おっしゃるとおりなんだろうが、あまり驚きがない。要するに企業は自社の利益になる場合は全球統治のスポンサーや直接的提供者になるが、自社の不利益になる場合は抑制者になる、ということで、当たり前の話であろう。もう少し突っ込んだ研究成果が知りたいところである。文献リストにはおもしろそうな論文もあるので、それらを読むのがよいというところか。

「遺伝子、ジェンダー不平等、教育達成」Herd et al. 2019

Pamela Herd, Jeremy Freese, Kamil Sicinski, Benjamin W. Domingue, Kathleen Mullan Harris, Caiping Wei and Robert M. Hauser, 2019, "Genes, Gender Inequality, and Educational Attainment," American Sociological Review, Vol.84 No.6, pp.1069-1098.
遺伝的要因とジェンダー、時代が教育達成に及ぼす効果を検討した論文。日本の社会学では遺伝子の効果を口にすることはタブーといった雰囲気も一部であるようだが、欧米では近年のゲノム解析コストの低下にともない、遺伝子が教育達成のような社会的変数に及ぼす効果が検討されている。多少の効果があることは確認済みであるが、近年は遺伝子の効果は環境によって異なる(つまり遺伝と環境の交互作用効果がある)、というパースペクティブが台頭している。例えば、特定の階級に生まれた子しか大学に行けなかった時代には、例え遺伝的にどんなにすぐれた資質を持っていても大学に行ける階級でなければ大学教育を受けられない子供がたくさんいた。しかし、現在の先進国では労働者階級にも大学進学の機会は、ある程度開かれており(もちろん進学率の格差はかなりあるが)、遺伝的に優れた資質があるならば、それが大学進学に繋がる可能性は高まっているだろう。つまり、前近代では階級的な障壁のせいで遺伝的な資質と大学進学のあいだの関連は非常に小さかったが、現代ではそれよりも大きな関連がある、と推測できる。従属変数が複雑な社会的プロセスを経たものであるほど、遺伝の効果は社会環境次第で大きく変化しうる、と考えられている。

階級制度と同じように、ジェンダーという制度も遺伝的に資質のある女性の大学進学を阻んでいたと考えられる。第二次世界大戦以前では、女性の進学できる大学は非常に少なかったし、戦後も女性差別によって男女の大学進学率の格差はかなり維持されてきた。しかし、近年差別の緩和によって大学進学率の格差も多くの先進国で解消しており、女性のほうが大学進学率が高い、という国もある。かつては遺伝的に優れた資質があってもなくても女性はほとんど大学に行けなかったが、現在は遺伝的に優れた資質を持つ女性ほど大学に行きやすくなったため、女性に関しては遺伝的資質と大学進学の関連が強まった、と予測されている。いっぽう男性に関しては、女性のようなドラスティックな制度変容を経験していないため、遺伝的資質と大学進学の関連は変化していない、と Herd たちは予測している。統計的には、大学進学が従属変数で、性別、遺伝的要因、時代の二次の交互作用がある、というモデルになろう。

Wisconsin Longitudinal Survey が主なデータで 1939-40年生まれで、Wave 1 の調査のとき(1957年)に Wisconsin にある高校を卒業した人たち(ヒスパニック以外の白人に限定)が、追跡調査されている。米国の場合、30歳代以降でも大学に入学する人が少なからずいるので、時代/年齢の変化とともに大学進学率も変化する。分析では教育年数が従属変数となっているが、 この世代では男性の方が大学進学率が高く、遺伝的資質の効果も男性の方が一貫して高い。ポイントは、女性の遺伝的資質の効果が時代/年齢の変化とともに上昇しており、このような上昇は上記のような時代の変化による性差別の縮小によるものと解釈されている。ただし、一次の交互作用しか検定されておらず、二次の交互作用が有意になるのかどうかは不明である。

Health and Retirement Survey と National Longitudinal Survey of Adolescent Health のデータを使い、もっと最近の出生コーホートについても遺伝的な資質の効果が検証されている。これらの分析からは最近の出生コーホート/時代になるほど、女性の遺伝的な資質の効果が高まっており、これらの 2つのサンプルでは性別と遺伝的な資質の交互作用効果は認められない。やはり二次の交互作用効果は検定されていないので、どこまでロバストな結果なのかは不明であるが、仮説どおりの結果である。

この研究では、遺伝的資質は、Polygenic Score (多遺伝子性スコア)で測定されている。先行研究では、被検者のさまざまな trait (特性)を従属変数、さまざまな Single Nucleotide Polymorphisms (SNP 一塩基多型)を独立変数とする予測のモデルが推定されており、その結果が利用されている。この場合は教育達成という特性を塩基配列から予測するモデルがすでに先行研究で推定されており、これを使えば塩基配列から、教育達成の遺伝的な資質の高さを推定できる、という理屈である。塩基配列の予測の精度は決定係数で 0.1 程度、父または母の教育年数と同じぐらいだと書かれている。個人的には思ったよりも効果は大きい。

穏当な結果だと思うが、遺伝的資質の効果は過大に推定されている可能性もある。この分析では父母の経済力のような社会的要因がまったく統制されていないのだが、これらと遺伝的資質のあいだに多少の相関がある可能性はある。また、Polygenic Score の中には、本人ではなく親の遺伝的資質の効果が混ざっている可能性もある。例えば教育熱心さに影響する SNP が存在し、それは親から子に遺伝するとしよう。親が教育熱心だと子供が大学に進学しやすくなるのは明らかだが、そのときに子供の進学に影響しているのは、子供の SNP ではなく、親の SNP である。つまり、親の遺伝的特質も統制しなければ、子供本人の遺伝的特質が大学進学に及ぼす影響は正確には推定できないのではないだろうか。遺伝のことはまったくの素人なので、自信はないが。

それから読んでいてずっとひっかかるのは、「性差別がなくなると遺伝的な資質の効果が強まるはずだ」という基本的な考え方である。その通りだとは思うのだが、私たちが差別に反対するのは遺伝的な資質の効果を高めるためだったのか、というとそうではないはずで、遺伝と個人の自由という古典的なトピックを思い起こさずにはいられなかった。

この種の Gene-Environment Interaction の研究は面白いと思っていて、興味があるのだが、遺伝子の専門家と一緒じゃないと到底研究できないので、やったことはない。ただ遺伝について語るのはタブー、みたいな一部の社会学者の雰囲気は好きじゃないので、こういう研究は応援したい。

「なぜエリートはローブロー文化が好きなのか:高地位者のアウトサイダー・アート受容の条件」Hahl, et al. 2017

Oliver Hahl, Ezra W. Zuckerman and Minjae Kim, 2017, "Why Elites Love Authentic Lowbrow Culture: Overcoming High-Status Denigration with Outsider Art," American Sociological Review, Vol.82 No.4, pp.828-856.
地位の高い者がアウトサイダー・アートを受容する条件を検討した論文。ブルデュー系の欧米の研究では、地位の高い者はハイブロウな文化(クラシック音楽や美術界で優れているとされる作品、等など)を好み、地位の低い者はロウブロウな文化(一般大衆向けの作品)を好む、という議論が定番だが、正確には、地位の高い者はハイブロウとロウブロウの両方を消費する傾向が、繰り返し多くの国で確認されている。これは文化的雑食 (cultural omnivore) と呼ばれるが、この現象はブルデュー的な伝統的階級文化論では説明しにくい。もちろんロウブロウ文化を消費することでさらなるディスタンクシオンを行っている、というのがブルデュー的な解釈になろうし、それはそれなりに説得力がなくもないのだが、Hahl たちは別のメカニズムを提唱している。

地位の高さには名誉や金銭的報酬が伴うのが一般的であるので、金や名誉のために偉くなろうとする人は当然いる。しかし、倫理的にはしばしば地位の高いものほどお金や名誉のために行動するのではなく、公共善や共同体の利益に奉仕することが求められる(というよりも金と名誉を得た人は、次に「倫理的・人格に優れた人」という名声を欲しがる、というほうが正しい気がするが、著者たちはそう言ってはいない)。いずれにせよ、地位の高い者ほど自分は公正無私な (disinterested) 人物であることをアピールしたがると言う。その高い地位に見合った、公正無私で信頼できる様子を、ホンモノ (authentic) と Hahl らは表現している。しかし、あるエリートがホンモノであるかどうかは、他人の目からはもちろん、そのエリート当人にとっても、しばしばはっきりしないので、エリートの中には自分がホンモノであるか不安 (authenticity insecurity) を感じる人も出てくる。

このようなホンモノ不安を緩和する方法の一つが、ホンモノの文化/作品を消費することである、と Hahl たちは言う。ホンモノの作品とは、ホンモノの(公正無私で名声のために作品を作らない)作者によって作られた作品のことである。ロウブロウな文化作品は権威の高い業界では低俗とされることが多いので、作者が名声を求めているとは考えにくい。もちろんお金のために作品を作る人はロウブロウでもたくさんいるだろうが、なかにはお金にも無頓着という人もいる。つまり、権威の高い学者や評論家から評価されず、お金とも無縁で、純粋に自身の信じるナニモノかを追求する作者こそホンモノ、というわけである。アウトサイダー・アートは、業界で権威のある人々からの評価をもとめないような製作者によるものと定義されているので、ホンモノの文化の一種ということになる。

もちろん、あるエリートがホンモノの文化を好み、消費しているからといって、そのエリート自身もホンモノとは限らないが、エリート自身にとってもそのエリートを見ている周りの人にとっても、ホンモノ文化の消費は高い地位からの距離の遠さを示し、金や名誉を求めるような態度からも離れているイメージを作り出すということだろう(著者たちはあまりはっきり書いていないが)。それゆえ、ホンモノ不安を感じるエリートほどホンモノのロウブロウ文化を好む、というわけである。

この仮説を検証するために Hahl らは2つの実験を行っている。1つ目の実験では、1 ホンモノ不安を感じる地位の高い状況、2 ホンモノ不安を感じない地位の高い状況、3 地位の低い状況、 を作り出して被験者をそれらのどれかに無作為に割り当て、その後にアウトサイダー・アートとそうでない作品をどの程度好きか評価してもらっている。平均値を比較すると、ホンモノ不安を感じる地位の高い状況に置かれた被検者だけがアウトサイダー・アートのほうを有意に好んでいるという結果で、仮説どおりであった。さらに第二の実験では、被検者には、第一の実験と同じような状況を観察してもらった上で、アウトサイダー・アートを好きな地位の高い者、アウトサイダー・アートでない作品を好きな地位の高い者、(どんな作品が好きか被検者にはわからない)地位の高い者、がどの程度ホンモノ (authentic) か評価してもらった。平均値を比較すると、アウトサイダー・アートを好きな地位の高い者がもっともホンモノであると評価されており、仮説通りの結果であった。

これらの実験では、地位の高さとホンモノ不安は、以下のような実験者の操作によって作られている。まず被検者は Klee と Kandinsky の絵をいくつか見させられ、その好き嫌いを回答するよう求められる。その結果をもとにすると被検者は Q2 または S2 というタイプの性格であると知らされるが、実際にはランダムに割り当てられている。その後 被検者は、黒または白の図の空白の量(長さ?面積?)を言い当てるゲーム (competition) をさせられる。このゲームの上手な人ほど頭がよい (strong cognitive skills) と被検者は知らされる。5回ゲームを繰り返し、解答の正確さとはまったく関係なく、Q2 タイプの性格に割り当てられた被検者は 5回とも正解であったと知らされ、S2 タイプの性格に割り当てられた被検者は2回だけ正解であったと知らされる(たびたび被検者をだます実験!)。他の被検者の正解、不正解の数も知らされる。はっきり書かれていないが、他の被検者が Q2 か S2 かも同時に分かるのだろう。つまり、被検者は Q2 タイプの人は頭が良く、S2 タイプの人は頭が良くない、と示唆される。著者たちは Q2 タイプの人は地位が高い(頭がよい)状況に置かれ、S2タイプの人は地位が低い(頭が良くない)状況に置かれていると解釈している。これは過去にも何度か使われている実験条件だそうである。

Q2 タイプの被検者(地位の高い状況に置かれた人)はさらに 2つの異なる条件にランダムに割り当てられる。一方では、この実験は公開で行われており、実験結果は出版されると知らされる(これもウソ)。もう一方の条件に割り当てられた被検者は、この実験は非公開で行われており、実験結果も出版されないと知らされる。前者はホンモノ不安がある状況、後者はホンモノ不安がない状況と解釈される。もちろん Q2 タイプに割り当てられた被検者のほうが金や名誉を求めているとは思えないが、Q2 タイプに割り当てられた人からすると、自分は頭が良いとされているのだが、ただ単に絵画の好みを述べて図の空白の量を答えただけなので、自身の地位の高さ(頭が良いという評価)に自信が持てない状況に置かれていると考えられる。さらにこれを公開されるとますます後ろめたい感じになるということだろうか。

このような実験での条件設定が、どの程度現実の「地位の高さ」や「ホンモノ不安」に近いのかに関しては、議論の余地があろうが、第一実験では 7点尺度でアウトサイダー・アートへの好き嫌いを尋ねて平均で1点程度の差が出ているので、かなりはっきりとした結果である。第二実験のほうは従属変数のスケールがよくわからないのでなんとも言えないが、130人程度のサンプルで 0.1% 水準で有意な結果が出ている。彼らの議論が正しければ、エリートはホンモノ不安を抱えているときに文化的雑食になる、ということになるが、Hahl らも論じているように、ホンモノ不安を抱えているわけではないが、ホンモノという評価を得たいがために戦略的にアウトサイダー・アートを消費しているエリートもいるだろうし、それを見透かして、アウトサイダー・アートを消費するエリートをむしろ欺瞞的と感じる人もいるだろう。

評価の一致度をクロンバックのアルファで測定すべきではない

多数の教員の顔の良さを、複数の学生に評価してもらい、その評価の一致度をクロンバックのアルファで測定した論文があったのだが (Wolbring and Riordan 2016)、それが不適切であることを例証するために簡単なシミュレーションをしてみた。1000 人の教員の顔の良さを 2〜100 人の学生に評価してもらうとする。学生の評価間の相関係数は、すべての学生のあいだで 0.1 であると仮定する。データは上の条件を満たす多次元正規分布の乱数を使って発生させる。このデータからクロンバックのアルファと級内相関係数 3 (教員と学生の交差分類効果を考慮したもの Shrout, Patrick E. and Fleiss, Joseph L. Intraclass correlations: uses in assessing rater reliability. Psychological Bulletin, 1979, 86, 420-3428.)を計算するが、学生の数を 2〜100 まで変化させ、それによってクロンバックのアルファと級内相関係数 3 がどう変化するか見る。その計算結果を示したのが、下の図である。



学生間の評価の相関は 0.1 しかないので、「一致している」というのは明らかに言い過ぎであるが、それでも評価者の数を増やしていけばクロンバックのアルファはどんどん増加していき、100人になると 0.92 になる。Wolbring and Riordan (2016) の場合、学生の数は 75人で、アルファは 0.95 なので、学生間の評価の相関はもう少し大きい(上と同じ要領で計算してみると 0.2 をやや上回るぐらいと推測される)が、それでも「一致している」というにはほど遠い。

こういう場合には級内相関係数 3 が適切だと思われる。これなら評価する学生の数にはほとんど依存せずに、0.1 で安定している(ただし、評価者が二人だと過小に評価している)。そもそもクロンバックのアルファは単純加算尺度の信頼性(内的一貫性とも呼ばれる)の指標なのであって、評価の一致度の指標ではない。クロンバックのアルファは適切に用いれば十分役に立つ。上の論文は誤用の例である。 以下はこのシミュレーションのスクリプト。

m <- 100  # 評価する学生数の最大値
covariance1 <- matrix(0.1, m, m)  # 評価の共分散を 0.1 に指定
diag(covariance1) <- 1 # 評価の学生個人内の分散を 1 に指定

library(MASS)
d0 <- mvrnorm(n = 1000, mu = rnorm(m, sd = 2), Sigma = covariance1)  # 学生個人内の評価の平均値は学生によって異なり、標準偏差は2に、評価される教員数は1000に



results <- matrix(NA, m - 1, 2) # シミュレーションの結果を代入するための行列

colnames(results) <- c("Cronbach's Alpha", "ICC 3")
makeAlpha <- function(x){ # クロンバックのアルファを計算する関数
  m <- ncol(x)          # psych パッケージの alpha() 関数は計算に時間がかかるので自作した
  var.x <- diag(var(x))
  var.sum <- var(rowSums(x))
  alpha <- m / (m - 1) * (1 - sum(var.x) / var.sum)
  return(alpha)
}

library(psych)
for(i in 1 : (m - 1)){  # 2〜100人で学生数を変化させてアルファと ICC 3 を計算
  d1 <- d0[, 1 : (i + 1)]  
  results[i, 1] <- makeAlpha(d1)
  results[i, 2] <- ICC(d1)$results[3, 2]
}
par(mar= c(4.2, 2.2, 0.2, 0.2))
matplot(2 : 100, results, type = "l", xlab = "評価する学生の数", ylab = "", lwd = 2)
text(20, 0.82, "クロンバックのアルファ")
text(20, 0.13, "級内相関係数 3")
教員の見た目は、授業評価にどう作用するか:進化論と期待状態理論の検証

Tobias Wolbring and Patrick Riordan, 2016, "How Beauty Works. Theoretical Mechanisms and Two Empirical Applications on Students' Evaluation of Teaching," Social Science Research, Vol.57 pp.253-272.
教員の「顔のよさ」が、授業評価に及ぼす影響を検討した論文。見た目の良さ (physical attractiveness) が賃金やパフォーマンスの評価に影響するとする研究は多い。この論文では、進化論と期待状態理論 (expectation state theory) を使ってこの現象を説明しようとしている。

進化論的には、見た目の良さは性交するパートナーの包括的適応度の高さの目安 (signal) 、として機能するそうである。例えば、肌の色艶がよいほど若くて健康な可能性が高いので、子供をたくさん埋める可能性も高い。それゆえ、肌の色艶がよい異性を好むような遺伝子を持つ個体が子孫を増やしやすい、というわけである。いったん肌の色艶がよい異性を好む遺伝子が広まれば、たとえ肌の色艶と若さや健康に関係がなかったとしても、肌の色艶がよいほど性交するパートナーとして選ばれやすくなるので、けっきょく肌の色艶がよいほど子供を増やしやすくなる。

このような進化の論理は、あくまで性交するパートナー選びの際に働くのであって、授業評価や賃金とは直接関係ない。しかし、Wolbring らによれば、見た目の良さを基準とするという論理はヒューリスティックとして、性交以外のさまざまな状況下でも用いられる可能性がある。教員にしろ、従業員にしろ、その真の能力や生産性を見極めるのは困難なので、見た目が能力の目安 (signal) として働く、という可能性が考えられている。このような進化論的な説明が正しいとすれば、見た目が評価基準として用いられやすいのは、特に異性を評価する場合であろうと考えられる。

一方、期待状態理論では、見た目が非限定的地位特性 (diffuse status characteristics) として働くと考える。これもけっきょく目安 (signal) ということだが、見た目の良さが地位や権力や能力に付随する特徴であると多くの人々に認識されている(意識的にであれ、無意識のうちにであれ)、ということである。非限定的とは、「野球選手としての能力」のような特定の能力ではなく、それ以外にもさまざまな能力や地位の高さに付随する特徴と考えられているということである。期待状態理論によれば、一度、このような期待の状態(見た目の良い人は能力もある!)が人々の間に広まり始めると、自己強化的にそのような期待の状態がさらに広まっていくという。それゆえ、地位特性はまったくの誤解や偏見にもとづいていたとしても、多くの人々に広まることがある。さらにいったん形成された期待に反する事実は無視されやすく、期待通りの結果だけが記憶に残りやすいため、期待の状態は簡単には変化しない。こういった能力の評価は、集団内での地位や権力の格差を発生させると考えられている。期待状態理論は主に小集団での実験をもとに、このようなダイナミクスをとりあつかう理論の総称らしい。

いったん形成された期待状態は簡単には変化しないが、明白な反例(例えば、見た目はいい教員なのに、授業の内容は間違いだらけで、ハラスメント発言を連発、不正も発覚)が生じる場合もある。このような反例が生じると、観察者は強いフラストレーションを感じ、怒りや落胆を示す。反例が度重なれば、期待の状態も変化するかもしれない。つまり授業評価においても見た目のよい教員が大失敗すると、見た目の悪い教員が大失敗した場合よりも、学生の落胆は大きく、評価は下る、と予測できるということである。この現象は beauty penalty と呼ばれている。

これらの進化論と期待状態理論から、著者は5つの仮説を導いている。

  1. 学生の間では、教員の見た目の評価は高度に一致している。
  2. 学生は、担当教員の見た目が良いほど、授業をサボりにくい。
  3. 学生は、担当教員の見た目が良いほど、授業を高く評価する。
  4. 上のサボりと授業評価の傾向は、学生と教員が異性である場合に特に強い。
  5. 教員が学生の期待に反する場合には、見た目の良い教員のほうが悪い教員よりも授業評価の点は低くなりやすい。

著者らは上の仮説を検証するために、調査と実験から得られたデータを分析している。調査は 2008-2010年にミュンヘン大でのコミュニケーション論、政治学、社会学の授業の評価のデータを集めたもので、実験は架空の教員による講義の音声と教員の写真を見せて、その評価をしてもらうものである。分析の結果、仮説4(見た目の効果は異性を評価するときに強くなる)以外は、支持された、と著者らは言っているが、同意できない部分もある。

仮説1 に関しては、教員の写真を上の調査と実験の回答者/被験者とは別の学生 75 人に見せて、顔の良さを評価してもらって、その評価の一致度を検討している。クロンバックのアルファが 0.95 だったことを根拠に評価がほとんど一致していると著書らは主張しているのだが、クロンバックのアルファは評価の一致度の指標としては不適切である。クロンバックのアルファは評価者の数が増えるほど大きくなる傾向があり、たとえ評価者間の評価の相関係数が 0.1 であったとしても、75 人に評価してもらえば、0.94 をこえることがある(別の記事のシミュレーションを参照)。それゆえ、実際のところどの程度評価が一致しているのかは、この論文の分析からはわからない。

仮説2 (見た目の良い教員の授業はサボりにくい)に関しては調査の結果と一致しているが、その直接効果は小さい。記述が曖昧でモデルの詳細がよくわからないのだが、単純な線形回帰だとすれば、見た目の良さが一標準偏差上昇すると、欠席が 0.03 回減るという推定結果であり、対数変換した一般化線形モデルだとすれば 3% 程度欠席が減少するという結果である。おそらく後者が正しいのではないだろうか?

仮説3 については調査では予測どおりだが、実験では男性に関しては有意になっていないので、ややひっかかる。調査の方も直接効果は 0.03 (従属変数の標準偏差は 0.7、レンジは 4 )なので、大きな効果ではない。

仮説5 (beauty penalty) は、調査では有意な効果が出ておらず、実験でも男性は有意ではなく、女性は微妙な感じである。著者らは仮説5に対応する交互作用の検定をしていないために、実験の結果は評価のしようがない。全般に都合の悪い事実を隠蔽しようとする意図が感じられるので、あまり信用する気になれない。

私としては、仮説2と仮説3は支持されていると思うが、その他の仮説については疑わしい。仮説4は著者も棄却しており、進化論の予測は間違っていたということになる。仮説2,3は、進化論からも期待状態理論からも予測できるので、甲乙はつけがたい。仮説5に関しては、たしかに予測と合致するような係数は得られているものの、有意でなかったり、有意かどうか適切に示されていないため、説得力がない。近年は有意性検定に頼りすぎることは批判されているが、それは都合の良いように恣意的にデータを解釈してよいという意味ではない。

読んでみた感想としては、やはり attractiveness advantage を進化論だけで説明するのは苦しい、ということである。確かに肌の色艶への好みは進化論的に説明がつくだろうし、左右対称な顔のほうが美しいとされることも、もしかしたら進化論的に説明できるのかもしれない(左右対称なほうが若くて健康で多産??)。しかし、顔の魅力は他にも様々な要因からなっており(彫りの深さ、鼻の高さ、二重まぶた、細さ、髪の色、などなど)、それらは文化や時代によってかなり異なっていることが知られている。遺伝子で説明できるのは、そういった美しさの構成要素のごく一部という気がする(のだが、自身はない)。beauty penalty に関しては、存在しているとしてもそれほど大きなものではなかろうと思う。 attractiveness advantage もそれほど大きなものではないようなので、一安心ではある。

Copyright (C) 2004 paperboy&co. All Rights Reserved.

Powered by "JUGEM"