Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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以下は、太郎丸博・栗田朋香・根本千裕, 2024, 「アカデミック・ハラスメントにおける不快感の促進要因」数理社会学会第76回大会(於 大阪大学)の報告資料。
R markdown と posterdown で日本語ポスター作成覚え書き

1 なぜ R markdown でポスター作成?

R markdownposterdown で日本語のポスターを作ったので、覚え書きを公開する。posterdown については日本語の解説がほとんどないようなので。

日本の社会学だとポスター発表は A0 サイズまで掲示できる場合が多いように思うのだが、これまでは A4 のスライドを16枚並べてはっていた。しかし、最近はそういう人はほとんどおらず、私だけツギハギだらけのポスターでは恥ずかしいので、A0 に印刷してみることにした。ポスター発表は、

  1. 発表内容の準備
  2. ポスターの pdf ファイルを作成
  3. 印刷
  4. 学会にポスターを持って行って発表
という流れで進む。ここでは上の2と3について書くが、とうぜん1や4も重要なので、初心者は「ポスター発表 入門」などでググって勉強してほしい。なお、以下の記述は R markdown の使い方を理解している人向けである。

私は最近は R markdown を愛用していて、メールや事務的な書類以外の大半の文書を R markdown で書いている。いぜんは LaTeX や Sweave を愛用していたが、Word での入稿を求められることが多かったり、HTML で出力したい場合もけっこうあり、こういったニーズにこたえられる R markdown を今はよく使っている。また、再現可能性が高いのも R markdown を利用する大きな理由である。再現可能性は最近、学界で重要性を増しているようだが、そこにこだわらなくても、プログラムを文書に埋め込むことで、単純に数値などの誤植やプログラムの間違いを減らす効果が期待できる。単純だが、これらは決定的に重要だ。誤植を軽く見ているバカがときどきいるが、例え誤植がまったくなくても、研究成果をオーディエンスに理解してもらうことはしばしば非常に困難だ。誤植があると、さらに難度が増す。研究者っていうのは、面白い発見をしたことを誰かと分かち合うことに喜びを見出す生き物だと思うのだが、誤植のせいで、その喜びが台無しになってしまうこともある。社会的評価も下がる。

2 posterdown の準備

そういうわけで R markdown でポスターを作ることにしたのだが、どういうレイアウトにしたら分かりやすくてカッコいいのか、さっぱりわからず、「適当なテンプレートに文章や計算結果を流し込めるといいな」、と思って適当なパッケージを探したら、posterdown パッケージに行き当たった。リンク先のページをスクロールすると、下のほうにインストールの方法が書いてあったり、マニュアルらしきページへのリンクもある。使い方はこのページを見るとだいたいわかる。posterdown は pagedown というパッケージの機能を利用していて、pagedown は bookdown というパッケージの機能を利用しているので、これらのパッケージで YAML ヘッダに指定するオプションは posterdown でもだいたい使えるらしい。

3 posterdown の設定

私の場合、posterdown をインストールして、テンプレを日本語で書き換えて knit したら、問題なく出力できた。私の環境は、Windows 11 Home 、Rstudio 2023.06.0 Build 421、R version 4.3.0 (2023-04-21 ucrt) 、Posterdown 1.0 で、文字コードは UTF-8 を利用している。私が作ったポスターの最終的な YAML ヘッダは以下の通り。できあがったポスターはこちら

---
main_topsize: 0.18 # ポスターにお土産メッセージを書くヘッダ部分の高さ。テンプレでは 0.2
main_bottomsize: 0.08 # ポスターのフッタの高さ。ロゴやQRコードがデフォルトで表示されている。テンプレでは 0.1
#ESSENTIALS
title: '**スノーボール・サンプルによる比率の推定**'
author:
  - name: '**太郎丸 博**'
    affil: 1
    main: true
    orcid: '0000-0001-8745-861X'  # このあたりは省力可だと思う
    twitter: tarohmaru
    email: taroumaru.hiroshi.7u@kyoto-u.ac.jp
  
affiliation:
  - num: 1
    address: 京都大学 文学研究科
main_findings:  
  - "有意抽出でも N 増えれば誤差減少"
  - "誤差は二項分布推定のほうが小さいが、信頼区間は誤差相関モデルのほうが正確"
logoleft_name: "KyotoUnivEmblem.png"  # Rmd ファイルと同じローカルフォルダにある京大のエンブレムの画像
logoright_name: https://raw.githubusercontent.com/brentthorne/posterdown/master/images/betterhexlogo.png
logocenter_name: "QR_Code.png"  # Rmd ファイルと同じローカルフォルダにある資料ページへのリンクを示す QRコード画像
poster_height: 46.81in  # A0 はこのサイズ
poster_width: 33.11in
body_textsize: 36pt  # ググったら本文はこれぐらいにしろって書いてあった
caption_textsize: 34pt
reference_textsize: 28pt
output: 
  posterdown::posterdown_betterport:
    self_contained: TRUE  # テンプレでは false pdf で出力するためには TRUE にしろって書いてあった
    pandoc_args: --mathjax
    number_sections: true
    fig_caption: yes
    fig_height: 4.1
knit: pagedown::chrome_print  # この行はテンプレには無し。pdf の出力例にこれがついていたので真似した
bibliography: snowball.bib
csl: https://raw.githubusercontent.com/citation-style-language/styles/master/american-sociological-association.csl
link-citations: true

---
私が一番困ったのは、QRコードとロゴの変更である。上の YAML ヘッダはテンプレを少し修正したものだが、ポスターのフッタに表示するロゴやQRコード を変更しようとしたのだが、なぜかテンプレと同じ書き方をしてもダメで、上のように " " でファイル名をくくってやったら、うまく認識してくれた。理由は不明。

それから、テンプレの設定では出力は html ファイルなのだが、印刷を依頼する際には、pdf で入稿することを求められる。しかし、posterdown のマニュアルにはそのやり方が書いてなくて困ったのだが、pagedown では上のようにすれば pdf になるという記載を見つけ、真似てみたらうまくいった。  

あと、pagedown は図のキャプションに自動的に番号を振ってくれるのだが、コードチャンクの名前にピリオド . が含まれると、この機能が働かなかった。例えば、以下のように書いても図のキャプションには番号などをつけてくれない。

```{r plot.histogram, fig.cap="ヒストグラム"}
hist(rnorm(100))
```
"plot.histogram" の . を削除するとちゃんとナンバリングされた。
参考までに私の作った Rmd ファイルへのリンクを示しておく。UTF-8 なので、文字化けするかも。化けたら適宜文字コードを変更してください。

4 印刷

印刷は京大生協に頼んだ。最安値の厚手マットコート、 3,300円。現物は未確認。京大の情報環境機構が大判プリンタを年間 12,600円で使わせてくれるので、年に4回以上印刷するなら、情報環境機構のほうが安いが、社会学研究室で私以外にポスター発表をする人はほとんどいないと思うので、今回は生協に頼んだ。問題の無い pdfファイルを昨日の午後3時24分に送ったところ、今日の 11:53 に印刷できた旨、連絡がきた。電話で話したときは、午前中に送れば翌営業日の昼頃までにはできるという話だった。ただし、それはあくまで pdf ファイルに問題がなければ、という前提なので、文字化けが起きたり、A0 におさまらなかったりすると、ファイルのやり取りのためにさらに時間がかかる場合もあるらしい。A0 対応のカラープリンタは20万円以上、A1 対応でも 10万円以上する。学生がたくさんポスター発表するなら、学部や研究室で買ってもいいと思うのだが、京大社会学の場合はそこまでのニーズは今のところないだろう。

「スノーボール・サンプルによる比率の推定」数理社会学会大会 2023.08.25 報告資料
標記のタイトルで8月25〜26日に愛知大学で開催される数理社会学会大会で発表します(大会案内へのリンク)。

ポスターのHTMLファイル

ポピュリズム研究レビュー:理論的・比較研究的再考

Cihan Tuğal, 2021, "Populism Studies: The Case for Theoretical and Comparative Reconstruction," Annual Review of Sociology, Vol.47 No.1, pp.327-347.
ポピュリズムに関する理論的・学説史的ななレビュー。ポピュリズムとは、エリートと大衆を対立的にとらえ、大衆の利害を反映した政治を行おうとする政治運動のことと定義される。Tuğalによれば、ポピュリズム研究は近代化論とマルクス主義から始まる。いずれも発展段階論の一種だが(Tuğalはこれらを substantive accounts と呼んでいる)、ポピュリズムは社会の特定の発展段階に見られる、病理的な現象と位置付けられがちだという。近代化論では、高学歴化や民主主義が十分に発展していない段階では、ポピュリストによる大衆動員が成功しやすく、それによって経済発展や教育・科学、民主主義の普及が阻害されると考えられがちであるし、マルクス主義では、対自的な労働者階級が発展する以前の段階で、階級的な利害対立が隠蔽され、いわば虚偽意識によって革命的な政治勢力の力がそがれてしまうと考えられる。これが社会主義の到来を遅らせる、というわけである。つまり、これらの理論にとってポピュリズムは悪である(Tuğal は「病理的」とか「悪」とまでは言っていない。もっと曖昧に表現している)。発展段階論は、すべての社会は同じ経路をたどって発展していくと考えるような理論のことで、一次元の尺度上で「進んだ」社会と「遅れた」社会といった位置づけをしてしまうが、このような考え方は単純すぎて、現実の社会の変化の多様性をとらえきえない。今となっては単純な発展段階論は専門家の間では否定されている。

Tuğalによると、発展段階論にとってかわったのが、Discursive, Ideological, and Peroformative Accounts と Organizational, Strategic, and Institutional Accounts である。前者は、ポピュリズムが隆盛する要因を、言説やパフォーマンス、プロパガンダといった大衆動員のための働きかけ(特に言語によるもの)に求める。マルクス主義者にとっては、労働者と資本家のあいだの利害の対立は明白であるので(さらに細かく中産階級、プチブル、など階級をもっと細かく分類する場合はなおさら)、エリート対大衆といった対立図式は間違っていることになる(大衆に資本家は含まず、エリートが資本家の傀儡ならばあながち間違っていないと思うが)。しかし、ラクラウのようなポスト・マルクス主義者たちは、生産関係にもとづく客観的な利害対立の同定可能性を否定し、言説によって、それ以外の観点にもとづく対立図式を作り上げ、広範な支持を得ることが可能であるという。これがポピュリズムを隆盛させるうえで重要だという。とうぜん言語だけでなく、映像や実際の示威行動や身振り手振りなど非言語的なメッセージや経験も重要だろうが、いずれにせよ、エリート対大衆といった対立図式がどのように作られるのかが重要な論点になる。これは社会運動論におけるフレーミング論とよく似ているのがわかる。もしもエリートが本当に腐敗しているのならば、エリート対大衆という対立図式はあながち間違っておらず、ポピュリストによる改革は世の中をよくすると期待できるので、言説・パフォーマンス学派にとって、ポピュリズムは病理でも悪でもない。

  いっぽう Organizational, Strategic, and Institutional Accounts は制度にポピュリズムが隆盛する原因を見出す。民主主義が十分に機能しておらず、人々の不満や考えが政府を動かすことができない場合に、ポピュリズムは隆盛するという。また、ポピュリズムが隆盛しやすいような社会/政治的背景に着目するような議論も、ここに含まれており、社会運動論における資源動員論や政治社会学における制度派のような議論もここに入るようだ。

Tuğal はこれまで紹介したような研究の対象が、欧米と南米の事例に集中していることを批判している。例えば、イスラム原理主義も毛沢東主義も、エリートと民衆を対立的な図式でとらえたうえで、民衆の側による支配を唱えているので、ポピュリズムの一種であるという。しかも、これらはアジアや北アフリカで非常に大きな影響力を持ち、世界政治に少なからぬ影響を及ぼしてきた。どうして、これらを無視できようか、というわけである。

さらに、言説・パフォーマンス派を主観主義、その他の学派を客観主義とラベリングしたうえで、両者は統合されるべきである、と示唆している(はっきりと言ってはいない)。ブルデューがそのような統合を成し遂げる理論として、挙げられている。

いわゆるパースペクティブが抽象的に論じられており、どのような経験的発見があったのかについてはごく軽くしか触れられていないので期待外れであったが、ほとんど社会運動論の応用でポピュリズムが論じられている(Tuğal がそう言っているわけではないが)ことに気づくことができたのは収穫だった。

世界社会の中で人権が拡散していく「道」Sendroiu and Levi 2023

Ioana Sendroiu and Ron Levi, 2023, "World Society Corridors: Partnership Patterns in the Spread of Human Rights," Social Forces 00 online .
人権状況改善のための二国間勧告が、どのような国家の間で受け入れられやすいのか、調べた論文。

日本ではあまり紹介されていないと思うが、世界社会 (World Society) 論とか、世界政体 (World Polity) 論と呼ばれるアプローチがある。これは、デュルケム理論を世界社会にあてはめたものと位置付けられる。デュルケムの集合主義的な議論は、せいぜい国民国家レベルの規模の社会を前提にしている。というのは、以前は、共通の規範、集合意識のようなものが、国境を越えて広がるとは考えにくかったからである。しかし、人気歌手が多数の国で熱狂的なファンを持つことがあるように、国境をまたがる集合意識の沸騰は、今や珍しいことではない。人権の尊重といった規範は、今でも多くの国で侵犯され続けているが、それでも昔に比べれば人権にかかわる条約に批准する国は増えている(実際に順守されているかどうかはおいておく)。つまり、少なくとも建前としては、人権の尊重は今や世界規模の共通の規範となりつつある。

なぜ、宗教や文化や歴史の異なる国々のあいだで、共通の規範が醸成されるのか? 世界政体論でいま最も有力なアプローチは、国家間ネットワークを通じた規範の伝播、という考え方である。外交、貿易、観光旅行、移民、留学、等々を通して、私たちは外国の人と直接接する機会がある。直接接しなくても、外国の映画、ドラマ、小説、音楽、等々の情報を通じて、海外の文化に触れる。こういった国境を越えた交流が、規範の伝播を引き起こす、という理屈である。この理屈には、いろいろな問題がある。例えば、人権を尊重する A国の人が、尊重しない B国の人と出会った場合、B国の人が A国の人に影響され、人権を尊重すべきだと考えるようになる可能性もあるが、逆に A国の人が B国の人に影響され、人権を軽んじるようになる可能性だってある。どのような規範が伝わりやすく、どのような規範が伝わりにくいのか、という問題は決定的に重要だが、まだそういう研究は見たことがない。

上であげたような問題は未解決ではあるが、国家間のネットワークと規範の伝播がどう関係しているのか調べることには価値がある。この論文のタイトルの World Society Corridor は、このような規範の伝播を生み出す二国間の関係を指している。ネットワークを通じて規範が伝播するならば、人権を尊重する国とのつながりが深い国ほど、人権規範を受け入れやすいはずである。このような仮説は明示されていないが、ぼんやりとほのめかしてある。主なデータは Universal Periodic Review で 2008-2016 に行われた国家間の人権状況の改善を勧める勧告と、それに対するリアクションである。この取り組みでは、国連加盟国間でお互いに人権状況の改善を勧める勧告が行われる。勧告を受けた国は、その勧告を受け入れるかどうか回答する。そこで、どのような国からどのような国に勧告が行われた場合に、その勧告は受け入れられやすいのか分析し、結びつきの強い国の間での勧告ほど受け入れられやすいならば、仮説は支持されたことになる。

分析ではまず潜在クラス分析がなされている。勧告した国と勧告された国の民主化の程度、GDP、人口規模、国内にある国際機関の本部の数、両国の貿易の規模、両国が加盟している国際機関の数、といった項目にもとづいて、行われた勧告は 4つの潜在クラスに分類されている。これらの潜在クラスと、勧告が受け入れられたかどうかの関連を見ると、貿易の規模が大きな国の間でなされる勧告のほうが(正確には貿易規模が大きくなる確率の高い潜在クラスに属する勧告のほうが)、受け入れられやすいという結果が得られている。両国が加盟している国際機関の数は、いっぽうの国の民主化の程度や GDP と強く相関するため、効果があるのかどうかよくわからない。したがって、貿易関係を通して人権は伝播する、という可能性が示唆されている。

私なら、潜在クラス分析はせずに、単純に勧告の採否を従属変数、両国間の貿易額、両国が加盟している国際機関の数、GDP や人口などの統制変数を独立変数としてロジスティック回帰分析する。勧告した国と、された国のランダム効果を加えてマルチレベル・モデルにすると、標準誤差の推定も、もっと正確になるだろう。そうすれば、GDP などを統制して、両国間の貿易額、両国が加盟している国際機関の数の効果を推測することができる。何のために潜在クラス分析をしているのか不明である。潜在クラス分析を好きな社会学者にときどき出会うが、そのような潜在クラスが本当に「実体」として存在していると想定できない限り、潜在クラス分析を使うのには無理を感じる。

ただ、この世界政体論は大好きで、どう発展するのか期待しながら見守っている。社会が国境をこえて広がっているのは明らかだが、それを分析できる理論は世界政体論と世界システム論ぐらいであろう。世界政体論は世界システム論よりも分析的な印象が強いので、そのぶんだけ世界政体論を推している。

「コロナ期の科学ポピュリズムの低下」Mede & Schaefer 2022

Niels G. Mede and Mike S. Schäfer, 2022, "Science-related populism declining during the COVID-19 pandemic: A panel survey of the Swiss population before and after the Coronavirus outbreak," Public Understanding of Science, Vol.31 No.2, pp.211-222.
パネルデータで、新型コロナウィルスの感染拡大によって科学ポピュリズムが弱まったことを示した研究。科学ポピュリズム (science-related populism) とは、腐敗したエリート科学者ではなく、善良な一般市民こそが、科学を教導すべきであるという考え方である。すなわち、何に科学研究は焦点あてるべきで、どのように科学的知識生み出すべきで、何を正しい知識とみなすべきかは、ふつうのひとびとの常識によるべきだ、というわけだ (p.212)。陰謀論や疑似科学の担い手のなかには、このような科学ポピュリズムに近い考え方を示す者たちがいると言われている (Mede and Schaefer 2020)。 具体的には、以下の8項目の意見に対する賛否(5件法)で測定される(オンライン付録 p.6 より)。
  1. 庶民を結びつけるのは、日常生活で自分の常識を信じていることだ。
  2. 普通の人は善良で誠実な性格だ。
  3. 科学者は自分の利益を追求しているだけだ。
  4. 科学者は政治やビジネスと共謀している。
  5. 人々は科学者の仕事に影響力を持つべきである。
  6. 科学者が研究するテーマに関する意思決定に、私のような人間も関わるべきだ。
  7. 疑問があれば、科学者の推定よりも一般人の人生経験を信じるべきである。
  8. 科学的な研究よりも、もっと常識に頼るべきだ。

この科学ポピュリズムは、一般人とエリートを対立的にとらえ、エリートは腐敗し、一般人をだましている、というエリート不信にもとづいている。しかし、コロナ禍のような危機の際には、政府や医学エリートのサポートが必要なせいか、政府やエリートへの信頼感が高まると言われている。これを旗下結集効果 (rally-round-the-flag effect) と言う。これが一般的な現象であれば、コロナの感染が拡大する前よりも、後のほうが科学ポピュリズムも弱まったはずである。しかし、ワクチンにはマイクロマシンが入っている、といった陰謀論の類が取りざたされたように、逆に科学ポピュリズムが活性化しているように思える報道もあった。そこで、コロナ禍によって科学ポピュリズムは減少したのか、検証したのがこの論文である。

データはスイスの全国サンプルで、2019年 6-7月と 2020年 11月の 2回行われているが、第一波調査の 1050人の有効回答者のうち第二波調査にも回答したのは、167名、分析に用いられる有効回答は、154名だった。分析の結果、科学ポピュリズムは、この間に 0.22 ほど減少しており(個人内比較、尺度はすべて 1〜5の値をとる)、この傾向は時間的に変化する変数(科学者への信頼や科学者との近さ(知人に科学者がいるなど、4項目の総和))を統制しても同じであった。単純明快な話だ。ワクチンが万能でないのは自明だが、それでも藁にもすがる思いで、科学や政府を頼りたい、と思う人が増えるということだろう。

著者らは、このような科学ポピュリズムの低下は、特に 2019年のときに科学ポピュリズムを強く信じていた人たちで顕著だ、と主張しているが、これは統計的ねつ造物である可能性もあるので、あまり信じる気になれない。5点尺度のように選択肢を提示する場合、科学ポピュリズム得点には、上限と下限が存在する。それゆえ、2019年に上限値をとっていた人は、2020年にそれ以上の値をとることはできない。そのため、彼らの科学ポピュリズム得点は低下することはあっても上昇することはない。これが2019年のときに科学ポピュリズムを強く信じていた人たちのあいだでの低下になった、という可能性もある。このあたりはもう少し詳しく検討してみないとよくわからない(もちろん、著者らの主張が正しい可能性もある)。

「グラミー賞以後のアーティストの音楽の変容」Negro, Kovacs, and Caroll 2022

Giacomo Negro, Balázs Kovács and Glenn R. Carroll, 2022, "What’s Next? Artists’ Music after Grammy Awards," American Sociological Review, Vol.87 No.4, pp.644-674.
グラミー賞をとった後、アーティストの楽曲がどのように変化するのか検証した論文。音楽をはじめとしたさまざまな作品は、社会的相互行為の中で作られており、一人のアーティストの自由な発想だけがその源泉なのではない。プロデューサー、他の演奏家、ミキサー、などなどの思惑や行為が作品に影響することは周知の事実である。こういった社会的相互行為のプロセスでさまざまなせめぎあいが生じるが、その一つが、「売れる作品」と「アーティストが本当に作りたい作品」のあいだの緊張である。これらは両立できる場合もあれば、できない場合もあるだろうが、プロデューサーや制作会社は「売れる作品」を求める傾向があるので、制作会社とアーティストのパワーバランスが制作会社に偏っているほど「売れる作品」を作る傾向があり、アーティストの決定権が大きいほど、売れ筋とは異なる独自の作風になりやすい、と考えられる。

「決定権」を測定することは困難だが、グラミー賞のような権威のある賞をとると、アーティストの権威は高まり、楽曲制作において相対的に大きな決定権を有するようになると予測できる。それゆえ、

仮説1: グラミー賞を受賞すると、その後の楽曲の独自性が高まる (p.648)。
と予測できる。しかし、グラミー賞をとる前から大衆的な人気があり、すでに商業的に成功しているアーティストもいる。そのようなアーティストは、グラミー賞をとる前からすでに相対的に大きな決定権を持っており、商業的な成功と「自分自身がやりたいこと」を両立させている場合もあろう。それゆえ、
仮説2: グラミー賞受賞前から商業的に成功しているアーティストは、受賞後の独自性の増大が小さめになる (p.649)。
と予測できる。また、アーティストと制作会社のパワーバランスは、アーティストの力だけでなく、制作会社の力にも依存する。制作会社の規模が大きく、市場への影響力が大きい場合、グラミー賞をとっても、アーティストの独自性の増大は限られたものになる可能性が考えられる。すなわち、
仮説3: 制作会社の規模が大きいほど、グラミー賞受賞後の独自性の増大は限られたものになる (p.650) 。

データは以下の4つを統合したもの。

  1. 1959-2018年にグラミー賞にノミネートされたアーティストと4つの主要な賞を受賞したアーティストのリスト、
  2. https://www.allmusic.com/ のアルバムのデータベースで、データはアーティストの下にアルバムがネストしたマルチレベル構造である。このデータベースでは、アルバムに対して、ジャンルとスタイルという2種類のタグをつけている。ジャンルは、「ポップ・ロック」、「クラシック」、「インストゥルメンタル」、のような 21のカテゴリーからなり、スタイルは、「インディーロック」「室内楽」「クラブ・ダンス」のような 832 のカテゴリーからなる。ジャンルは一つのアルバムに一つ割り当てられている場合がほとんど (85%) だが、二つ以上割り当てられている場合もある。スタイルは平均すると、一アルバムあたり 2.5 割り当てられている。
  3. Echo Nest/Spotify の楽曲の音の特性。機械的に判定され、acousticness, danceability, energy, instrumentalness, key, liveness, mode, speechiness, tempo, and valence の 9 つの数値からなる。
  4. Bilboad 200。この最高の順位(の逆数)が、そのアルバムの商業的成功の尺度とされている。
アルバムの独自性は、そのアルバムのジャンルの平均的な「特徴」からの、そのアルバムの「特徴」のユークリッド距離で測定する。アルバムの特徴は、そのアルバムの音の特徴とスタイルで、そのアルバムのジャンルを予測したときの、各ジャンルへの所属確率(21の要素を持つ確率のベクトル)である。例えば多項ロジットモデルで、ジャンルを従属変数、スタイルと音の特性を独立変数としてジャンルを予測すると、各ジャンルにアルバムが所属する確率が推定できる。この確率がそのアルバムの「特徴」と定義されている。実際の推定は多項ロジットモデルではなく、ニューラルラーニングモデル(三層構造で、中間層のノードの数や推定法などは不明。オンライン付録に載っているかも?)で推定されている。

このアルバムの独自性(アルバムが属するジャンルの平均的な特徴とアルバムの特徴のユークリッド距離)を従属変数とし、独立変数に、そのアルバムがグラミー賞にノミネートされた後なのかを示すダミー変数、グラミー賞受賞後ダミー、アルバムリリース以前の商業的成功度、アルバム制作会社の規模、などを独立変数として、固定効果モデルで推定がなされている。分析の結果、三つの仮説はすべて支持されたが、グラミー賞にノミネートされた場合、むしろ、独自性が小さくなる、という有意な傾向が示されている。上の理論は、ノミネートだけでもあてはまるはずなので、本質的には仮説への反証と言ってもいい結果である。

おもしろく読んだが、やはり「独自性」とか「特徴」の測定が、あれでいいのかどうかは議論の余地があろう。本文には書かれていないが、ジャンルを予測する場合、音の特徴よりも、スタイルのほうが圧倒的に説明力があるだろうから(例えば、スタイルがインディーロックならジャンルは必ずポップス・ロックだろう)、実際には音の特性は、アルバムの独自性にあまり反映していないだろう。機械的に判定した音の特性を使うのは、面白いと思うのだが、実際には使われていないのとほとんど同じなのかもしれない。

ただ、独自性の測定やパワーバランスの変化を受賞経験で測定するといったアイディアは興味深く、勉強になった。受賞に関しては仮説通りだが、ノミネートに関しては仮説通りにならない、というのもおもしろく、アーティストの決定権は、知名度や商業的成功に比例して線形に増加するのではなく、閾値を超えないと増加しないのかもしれない。

婚姻の脱制度化?要因配置サーベイ実験による規範の多様性の検討

Blaine G. Robbins, Aimée Dechter and Sabino Kornrich, 2022, "Assessing the Deinstitutionalization of Marriage Thesis: An Experimental Test," American Sociological Review, Vol.87 No.2, pp.237-274.
異性同士の結婚に関する婚姻規範の多様性を検討した論文。婚姻・恋愛・性的関係がセットになっているべき(婚外性交渉や恋愛は逸脱)とする規範はロマンティック・ラブ・イデオロギーと呼ばれ、近代家族の理念と目されてきた。しかし、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの衰退はだいぶ前から言われており、欧米では入籍せずに同居して子供を産み育てているようなカップルも珍しくない。結婚=入籍と定義するならば、実質的な性関係や共同生活は、必ずしも結婚を必要としなくなってきている。このような変化は結婚の脱制度化と呼ばれているそうだ。このような結婚の脱制度化は、結婚規範が弱まったことによると言われている。結婚規範とは、「愛し合う二人は結婚すべきだ」という規範だから、要するに上記のロマンティック・ラブ・イデオロギーとほぼ同じ意味と考えてよかろう。

このような規範を人々が信じているかどうかを調べる場合、「愛しあう二人は結婚すべきだ」といった意見に対する賛否を 5段階でたずねたりするのだが、このような測定法は人々の感じ方を単純化しすぎている場合がある。例えば、結婚規範には総論では賛成だが、「十分な経済力がない場合はまだ結婚すべきでない」とか、総論では反対だが、「子供ができた場合は結婚したほうがいい」、のように、ケースバイケースで結婚すべきかどうかは変わってくる、と考える人が多数いるならば、具体的な条件を明示せずに、総論で結婚規範への賛否を問うても、あまり現実を反映した結果にならない恐れがある。

そこで、この研究では以下のようなヴィネットを提示して、その場合に架空のカップルが結婚すべきかどうか尋ねることにした。

マイクとジェシカは付き合って1年半になる。 二人とも33歳である。 どちらも結婚歴はなく、子供もいない。二人とも犯罪歴や薬物・アルコール依存症もない。
マイクは高校の卒業証書を持っておらず、2年前から失業している。ジェシカ は4年制大学の学位を持っている。彼女はフルタイムの仕事をしており、年収は約$50,000 である。 マイクとジェシカは 共通の高齢の友人からそれぞれ5,000ドルずつ相続した。
マイクとジェシカは互いに惹かれ合い、お互いを大切に思っている。しかし 互いの意見が食い違うと、口論になり、傷つき、誤解されたように感じる。 マイクとジェシカは、今のところ子供を持つことは考えていない。
このようなヴィネットを読んでもらった後、マイクとジェシカに関して、「結婚すべきである」「中立 (neutral)」「結婚すべきでない」「わからない」の 4択でたずね、さらに「結婚すべき」と「結婚すべきでない」を選んだ人には、どれぐらい強くそう思うかを 4段階でたずねている。「わからない」は欠測とみなし、9段階で賛否を数値化している。

回答者は、微妙に設定の異なるヴィネットを 10個提示され、それらについて、結婚すべきかどうか尋ねられる。ヴィネットによって異なるのは、

  1. マイクとジェシカの学歴(高卒未満、高卒、4大卒)、
  2. ジェシカとマイクの収入/雇用状況(2年間失業、フルタイムで働いて年収2万ドル、フルタイムで働いて年収5万ドル)、
  3. 5千ドルの遺産を相続したかどうか、
  4. 二人の関係の質(喧嘩したとき、誤解されたままと感じるか、お互いに理解しあえるよう努力するか)、
  5. ジェシカが妊娠しているかどうか、
である。これらの条件はランダムに設定される。

調査は 2017年に行われ、米国全土からの無作為抽出だが、黒人と白人、男女、学歴(高卒以下、短大等卒、4年制大卒以上)を組み合わせて、12のグループを作り、これらのグループが同数になるように設計されている。これは、これらのグループ間の比較が主な目的だからである。

集計すると、全体では、「結婚すべき」「中立」「すべきでない」がだいたい 1/3 程度になるが、マイクとジェシカの学歴や収入が高いほど結婚すべきと考えられやすく、5千ドルの遺産を相続し、関係が良好で、妊娠していると結婚すべきだという意見が多くなる。最も効果があったのが関係の質、次がマイクの雇用と収入、三番目がジェシカの雇用と収入であった。もっとも効果が弱かったのが、5千ドルの遺産と二人の学歴であった。妊娠は中ぐらいである。

回答者の属性に注目すると、女性よりは男性、黒人よりは白人のほうが結婚すべきと考える傾向が強く、回答者の社会経済的地位は有意な効果を持たなかった。また、男性の回答者はマイクとジェシカの収入や関係の質を女性ほど重視しない傾向があった。白人は黒人よりも妊娠や関係の質を重視する傾向が見られた。

結婚規範の「構造」を記述した論文、とでもいうべきだろうか。ヴィネットによって「結婚すべき」と考える人の比率は変わるわけだが、平均すると 1/3 ぐらいなので、条件にもよるが、結婚規範はあまり強くない、ということだろうか。Robbins, Dechiter, and Kornrich は「結婚は脱制度化した」と言いたくて仕方がない様子なのだが、過去の調査データと比較しなければ、時代による変化はわからないので、そこまで言うことはできない、というか、レフェリーに批判されてトーンダウンさせたような感じである。おかげで何を言っているのかよくわからない論文になってしまっている。上では省略したが、論文では規範の分極性 (polarity)、条件依存性 (conditionality)、強度 (intensity)、合意度 (consensus)、という 4つの特性の説明や記述にかなりの紙幅が割かれており、分極化しており、条件に依存し、強度が弱く。合意がないほど、脱制度化している、というような論調である。しかし、過去のデータと比較できないため、それぞれ数値が推定されていても解釈のしようがない。

これも要因配置サーベイ実験の一種と言え、こういう研究はもう少し増えていいと思っていたので、そういう意味では喜ばしい。また、規範の条件依存性などの概念はよく知らなかったので、勉強になった。分析結果は概ね常識的だが、妊娠の効果が思ったより弱く、日本ほど婚外子差別が強くないのかな、という印象を持った。ただ、仮説が明示されず、ダラダラと記述が続き、上記のような混乱もあったため、あまり面白いとは思えなかった。脱制度化について議論するのはきっぱり諦めて、クロスセクショナルな規範の構造の違いにフォーカスすると、もっとスッキリした論文になったと思う。仮説が明示されていないのも、最近の社会学の論文では珍しい。こういう記述的な議論だと、仮説というほどの仮説はない、という事情はわかるのだが、やはりこういう現象の背後にある不可視のメカニズムについていろいろ考えることが、分析結果の理解を適切に方向付けるので、やっぱり仮説はあったほうが良いと思った。

「イデオロギー・正当性・集合行為:チリにおけるイデオロギー反転のメカニズム」Puga and Moya 2022
幻想としての支配の正当性が成立する心理的メカニズムについて論じた論文。
Ismael Puga and Cristóbal Moya, 2022, "Ideology, Legitimation and Collective Action: Evidence from Chile on the Mechanism of Ideological Inversion," Social Forces, Vol.101 No.3, pp.1519-1551.

支配は被支配者の自発的服従(法律や政府の命令に従うこと)がなければ実現しない。支配者は反抗する被支配者を弾圧できる場合も多いが、すべての被支配者が命がけで革命に立ち上がれば、支配者になすすべはない。被支配者の自発的服従は、軍事力や警察力などの脅し(反抗すれば罰する)によって調達される場合もあるが(それを「自発的」と言っていいのかは微妙だが)、大規模な反政府活動を軍隊等で鎮圧するのはコストが高くつく。そこで、被支配者に支配を正当なものだと認めてもらうことで、自発的に服従してもらう、という策が考えられる。支配体制が正当なものだと多くの被支配者が感じることが、支配の維持にとって重要である、というのが、マックス・ウェーバーの説であった。実際、多くの支配体制が、軍隊等の暴力による威嚇と、支配の正当性を高めるためのプロパガンダや教育、大衆受けする政策で、服従を調達してきた。

Puga and Moya は、支配の社会的正当化のメカニズムを3つに分類している。具体的には、被支配者 (Ego) が社会の実態を正しく認知しているか、と被支配者 (Ego) が他の被支配者 (Alter) のあいだの規範的なコンセンサスを正しく認知しているか、が分類の基準になる。第一の社会的正当化メカニズムは、被支配者 (Ego) は社会や政府の実態を正しく認知し、他の被支配者 (Alter) も体制の正当性を認めていることを知っているような場合である。つまり、現体制は正当性を認めるに足る活躍をしているから、みんなが正当性を認めている、という通常想定される健全な社会状態と言えようか。これは社会的正当性(social legitimacy) と呼ばれるが、アンブレラ概念の「社会的正当化のメカニズム」とほとんど同じで紛らわしいので注意。第二の社会的正当化メカニズムは、隠ぺい (dissimulation) と呼ばれる。社会や政府に問題があり、もしも被支配者がその実態を知れば、決して正当性を認めないような状況であるが、その実態が隠蔽されているせいで、被支配者が現体制に正当性を認めてしまっているような状態である。被支配者のあいだに規範的コンセンサスはあるが、それは現実の隠蔽によって作られたものである。第三の社会的正当化メカニズムが、イデオロギー反転 (ideological inversion) である。被支配者 (Ego) は社会や政府の実態を正しく認知し、問題が多いので本心では現体制の正当性を認めていないが、他の被支配者 (Alter) が服従しているのを見て、他の被支配者 (Alter) は現体制に正当性を認めていると誤解し、自分自身もしかたなく服従しているような場合である。もしも被支配者のあいだに十分なコミュニケーションがとれれば、誰も現体制に正当性を認めていないことがわかるはずなので、イデオロギー反転は崩壊するはずだが、秘密警察や密告が蔓延しているような社会では、被支配者のあいだの信頼関係を築くのは難しい場合もある。もちろん、自由な言論が弾圧されればイデオロギー反転は生じやすくなろう。この3つ以外にも支配の社会的正当化のメカニズムはあるのかもしれないが(例えば、社会の実態も他の被支配者 (Alter) の思いも誤認しているような場合)、この点については触れられていない。

Puga and Moya は、チリで2019年まで続いた権威主義的な体制を支えていたのは、イデオロギー反転のメカニズムだと主張する。なぜならチリは資本主義社会であり、資本主義はイデオロギー反転を作り出しやすい、と書かれているのだが、なぜ資本主義がイデオロギー反転を生むのかは書かれていない。むしろ両者は相性が悪いように私は思う。資本主義は自由な経済活動を保障する体制だが、言論を統制するためには、メディア企業の自由な活動を制約する必要があるからだ。単に「チリは権威主義体制だったからイデオロギー反転が生じた」、と言ってもらったほうが私には納得しやすいが、Wikipedia に紹介されている Democracy Index によると、チリは日本と同程度の民主主義国とされているので、いろいろ問題はあるにせよ、言論の自由はありそうである。

イデオロギー反転が生じているとすると、被支配者 (Ego) は他の被支配者 (Alter) が現体制を支持していると、誤認している(実際よりも支持の度合いを過大に見積もっている)はずである。これが仮説1である。 他の被支配者 (Alter) の現体制への支持を過大に見積もっているほど、被支配者 (Ego) は集合行為(社会の変革を目指すもの)に参加しにくいはずである。これが仮説2である。

チリでは 2019年の 10月に大規模な抗議行動が起きて、政府は政策の転換を余儀なくされたそうだが、データは、抗議行動の 7か月前の 2019年 3月に都市部で収集されている。回答者が現体制を支持する度合いが、被支配者 (Ego) の実際の支持度を測定したものだと考えられる。いっぽうこのデータは、架空のプロフィールの人物がどの程度、現体制を指示すると思うかも尋ねている。例えば、

アンドレアスは27歳で、教師として働いている。経済的にはうまくいっている。父親は大卒。彼女は家族と一緒にサンティアゴの貧しい地域に住んでいる。
といったプロフィールである。社会経済的地位の異なる 8つのプロフィールについて、回答者はその架空の人物がどの程度現体制を支持するか見積るよう求められる。調査票(decks) は 32種類あるので、全体としては 32 × 8 = 256 種類のプロフィール(ヴィネットというべきか)の体制支持度が見積られていることになる。これが被支配者 (Ego) による他の被支配者 (Alter) の現体制支持度の見積もりになる。これを想像上の支持度と呼んでおく(著者らのネーミングはわかりにく過ぎるので私が勝手に改名した)。いずれも2項目(政治体制への支持度と経済体制への支持度)の11点尺度で測定されており、もしも実際の支持度の平均値よりも想像上の支持度の平均値のほうが有意に大きければ、仮説1 は支持されたことになる。分析の結果、政治体制に関しても経済体制に関しても、仮説1 は支持されている。また、政治体制に関する被支配者 (Ego) の実際の支持度と、想像上の支持度の差(正確には両者の対数の差)が大きい人ほど社会変革を目指す集合行為に参加しにくい傾向が示されており、これは本人の実際の支持度を統制しても有意である。つまり、実際の支持度が低いほど、そして想像上の支持度が低いほど集合行為に参加しやすい。ただし、経済体制に関する支持度は有意ではない。

上では紹介していないが、想像上の支持度の計算が煩雑で、どの程度ロバストな結果なのかはよくわからないが、アイディアとしては面白いと思った。普通ならば、想像上の他者の支持度は「世間一般の人は、現在の政府をどの程度支持していると思いますか」といったざっくりした質問で調べると思うが、そうではなくて、細かいプロフィールを示して、その人物の支持度をたずねているところがユニークだと思う。

著者たちはイデオロギー反転が生じる原因を資本主義に求めようとしているのだが、それならばなぜ経済に関する支持度の実際と想像の落差が集合行為に有意な影響を及ぼさないのか、うまく説明がつかない。また、上のようなプロフィールは、要因配置サーベイ実験のために作られたものであろうが、この論文の主要な独立変数である実際の体制支持度と想像上の支持度の差は、どんな要因と交絡しているかまったくわからない。もちろん社会人口学的な変数は統制したうえでの分析結果だが、これは「実験」の結果ではない。要因配置サーベイ実験のために作られた質問項目を別の目的のために利用しているのだろう。

私が学会の会計監査で行ってきたこと

私はこれまで数理社会学会と関西社会学会で幹事を務めたことがある。ソシオロジの会計にもかかわった経験があり、そのときも会計監査のようなことをしていた。その経験を記録して、後進や今後の自分自身の参考にするために、この文章を書いている。というのも、いずれの団体でも会計監査の引継ぎを受けておらず(私もしていない)、どうやって監査したらいいのかのハウツーが継承されていないのである。

いずれの学会・団体も法人化しておらず、予算規模もそれほど大きくはないし、お金を扱う人たちも信頼できる研究者たちなので、あまり不正利用の心配はしていないのだが、まれに常識のない人が理事や事務局に選ばれる可能性もあるので、いちおう常識的な範囲できちんと会計監査はやったほうが良いだろう。

しかし、私は会計学に触れたことはなく、監査もまったくの素人なので、「会計監査」と言われても何をしたらいいのかわからなかったし、今もよくはわからない。しかし、監査の趣旨に照らして考えれば、以下のような点を確認することが重要だと考えている。なお、以下は数理社会学会と関西社会学会の監査を前提としているので、他の学会や団体などには当てはまらない部分があるかもしれない。

1 決算報告書が正しいかどうかチェック

数理社会学会と関西社会学会の決算報告書にはどれだけ収入があり、どれだけ支出があったのかが、費目別に書かれているので、私はこれらが正しく書かれているかチェックした。そのために、具体的には以下の点を確認した。

1.1 会計年度末の残額が正しいことを確認

会計年度が 4月から始まって 3月に終わるとすると、3月末日の時点で学会が持っているお金の金額(次年度への繰越金)が、決算報告書には書かれているので、それが学会の預金通帳の3月末日の預金額と一致していることを確認している。これが一致していなければ、計算間違い、収入額の間違い、支出額の間違い、のいずれかがある。

3月末日の時点で学会の事務局等がある程度の現金を机の引き出しなどに保管している場合、通帳の預金額と事務局等が持っている現金の総額が、その学会がその時点で持っているお金の総額となる。そのため、通帳の預金額は決算報告書の次年度への繰越金と一致しないことになる。その場合、幹事が次年度への繰越金が正確かどうかを確認することは不可能である。事務局等が保管している現金が高額になるほど、その現金の不正利用が容易になる(というかチェックが困難な)ので、もしも3月末日に多額の現金を事務局等が持っていたならば、手持ちの現金は必要最小限にするように勧告したほうがいいと思う。

1.2 支出額が正しく記載されているかチェック

学会では、ふつう領収書等、支出額や用途を裏付ける書類が保管されている。また、決算報告書の支出額を計算するもとになった、細かい個々の支出額と用途、および、収入額とどこからの入金かを記録した書類(以下、これを帳簿と呼ぶ)がある。これらを確認し、帳簿上の支出に該当する領収書等があることを確認する。具体的には金額と用途が帳簿と領収書で一致していることを確認する。領収書などの数が少なければすべてチェックするが、多数ある場合、何日もかかるため、帳簿から支出項目を系統抽出して、それに該当する領収書があることを確認する。ただし、系統抽出する場合でも、高額の支出項目はすべてチェックする。 不正があるとすれば、実際には払っていないお金を払ったことにして、担当者が学会のお金を着服するという可能性が考えられる。そのような不正があれば、領収書が保管されていない支出項目、または偽造された領収書があるはずである。いずれにせよ、まず帳簿から支出項目を選び、その後、それに対応する正しい領収書があるか確認する。逆に領収書を先に選び、それに対応する項目が記録書類にあるかチェックしても、上のような不正は見つけられないので注意。

1.3 収入額が正しく記載されているかチェック

収入額も、決算報告書の収入額のもとになった帳簿と、収入を記録した書類(郵便振替口座の場合、入金または出勤のあった日には、その日の入出金額を記録した書類が発行される。これは「振替受払通知票」と呼ばれる。最近は紙ではなく WEBで確認することもできる。)を照らし合わせて、収入が正しく記載されていることを確認する。数理社会学会も関西社会学会も郵便振替口座で会費の納入を受けていたので、「振替受払通知票」をチェックすることになるが、普通預金の口座と違い、通帳というものが存在しない。そのため、かわりに、まず「振替受払通知票」が1年分すべてもれなく存在していることを確認する。「振替受払通知票」には連番がふられているので、これが前年度及び翌年度から途切れなく続いており、途中で飛んでいないことを確認する。「振替受払通知票」は会費が振り込まれたり、お金を引き出したりした日には毎回発行されるので、1年間に 100枚以上発行されている場合もある。

「振替受払通知票」が紛失などしている場合、不正が疑われる。不正があるとすれば、実際には収入があるのに、会計担当者がそれを隠ぺいして着服するという可能性が考えられる。その場合、実際には会費などの入金があったにもかかわらず、それを帳簿に記載していない可能性がある。そうだとすると、「振替受払通知票」はすべてあるが、その一部が帳簿に記載されていない、または「振替受払通知票」の一部が破棄されてしまっている可能性がある。それゆえ、まずは「振替受払通知票」がすべて存在していることを確認する。「振替受払通知票」にふられている連番が飛んでいれば、「振替受払通知票」が一部失われている。この失われた「振替受払通知票」に該当する収入が帳簿に記載されていなければ、不正が疑われる。が、幸いそのような問題を発見したことは一度もない。 「振替受払通知票」の連番が飛んでいなくても、収入の一部が帳簿に記載されていない可能性はある。それゆえ、収入に関する「振替受払通知票」が少なければそのすべてを、多数あるならば系統抽出して「振替受払通知票」の一部をチェックする。そして、その収入が帳簿に正しく記載されていることを確認する。収入をチェックする場合、まず「振替受払通知票」を抽出し、次に対応する帳簿の記載をチェックする。逆に帳簿から収入項目を抽出して、対応する「振替受払通知票」をチェックしても上記のような不正を見つけることはできないので注意。 私の経験では会費収入の「振替受払通知票」は多数あり、そのすべてをチェックすることは非常に手間がかかる。それゆえ系統抽出は積極的に検討してよいと思う。いくつ抽出するかは、どれだけ監査のために時間をとれるかによって決まる。とうぜん多数抽出するほど正確さが増す。私は 50 ぐらい抽出するようにしている。

2 不正な支出がないかチェックする

ほかに考えられる不正として、理事や事務局などが自身の利害関係者に高額の発注を行ったり、架空発注やキックバックの受け取りなどの可能性が考えられる。これらは帳簿に金額が正しく記載されているが、使い道等に問題があるケースである。数理社会学会や関西社会学会では、会計監査にそこまでチェックすることは期待されていないと思うが、いちおう気になる支出があれば、簡単にできる範囲で調べてみるのが、幹事の倫理的な義務だと思う。

高額の支出に関しては、常識外れの高額でないか、発注先が利害関係者でないか、いちおう注意してみるようにしている。利害関係者かどうかわからない場合がほとんどだと思うが、積極的に調べることはほとんどしていない。また、「常識外れの高額」といっても相場観がわからなければ判断できないが、どの程度が常識的な値段なのかいちいち調べたりはしていない。あくまで「この業者、利害関係があるだろ?」とか「これはいくら何でも高すぎるのでは?」と思った時だけググって調べている。が、これもまだ不正に遭遇したことはない。

いずれも不正が疑われる場合は会計担当者に詳しい説明を求めればよいと思う。が、幸い私はそのようなケースに遭遇したことはない。

3 年度をまたぐ債権や負債、資産

数理社会学会や関西社会学会では、現預金以外には資産らしい資産を持っていないので、資産、債権、負債などについては、決算で報告する必要がない。つまり、考える必要がない。 数理社会学会と関西社会学会は任意団体なので、学会がお金を借りることはほぼ不可能だと思う。学会が何かを発注して、納品は済んだが、支払いが遅れて納品のあった年度のうちに支払いが完了しなかった場合、年度末の時点で負債が発生していることになるが、これを書類から見つけるのは困難である。前年と比べて支出額が大きく変化した項目があれば、その可能性が疑われるので、会計担当者に確認したほうが良い(というか、普通は会計担当者が事前に教えてくれる)。また、会費の滞納がある場合、学会は滞納会員に対して債権をもっているようなものだと思うが、これを資産としてカウントすることはなされていない。

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