Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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独断と偏見で選ぶ研究会ベスト報告:塚常健太「日本の新生児命名ランキングに関する基礎分析」

例によって私のまったくの独断で選ぶベスト報告は、

塚常健太, 2015, 「日本の新生児命名ランキングに関する基礎分析」関西計量社会学研究会 第47回例会 8/9 関西学院大学梅田キャンパス
だーー! 今回は学会報告ではなく研究会の報告である。新生児の命名にはその時代の価値観や文化が投影されていると考えられるので、おもしろい素材である。個人的にはこういうキワモノのデータの分析が大好きで、とても興味深いのである。お話そのものは十分に練れているとは言えないが、100年にわたる人気の名前の変遷を分析するというところにどうしようもなく面白さを感じるのである。

このような上位ランキングの長期的な推移の分析というのは、新生児命名以外にもベストセラーや歌謡曲、映画などいろいろ応用がきくと思うので、方法論的に非常に興味深い。そこで、

上位ランキングの変動から人気の変遷を分析する方法
という記事に少し塚常報告のデータの分析法について論じたメモを書いておいたので、興味のある方は参照されたい。

独断と偏見で選ぶ第87回日本社会学会大会ベスト報告: 渡邊勉「兵役における不平等:SSM調査データによる徴兵・招集の分析」

例によって、ごく一部の報告しか聞いていないが、その中から私の独断と偏見で選ぶ、今回の日本社会学会大会ベスト報告は、

渡邊勉「兵役における不平等:SSM調査データによる徴兵・招集の分析」
だーー! 第二次世界大戦時に多くの若者が兵役についたことは周知の事実であるが、このような不幸がすべての若い男性に同じ確率で生じたことなのか、それとも社会階層によって兵役というリスクは異なるのか、という問題が、この研究のリサーチ・クエスチョンである。社会階層と社会移動全国調査 (SSM) は 1955年にスタートしているが、SSM では生まれてから調査時点までの職業経歴(職歴)をすべて尋ねているので、この職歴データからその人が兵役の経験があるのかどうかがわかる。

学歴との関連を見ると、高等小学校と中等学校(戦時中なのでいずれも旧制の学歴)でもっとも兵役率が高く、旧制高校以上で最も低い。尋常小学校卒は、両者の中間ぐらいである。検定はなされていないので、統計的に有意かどうかは不明だが、徴兵経験者のサンプルは総数で 715 という記載とオッズ比の大きさから考えると、たぶん有意な違いがあるのではないだろうか。また、このような学歴の差は、1937年生まれ以降縮小しており、太平洋戦争の拡大によってすべての学歴の者が同じ確率で動員されていったという。私はこの時代の歴史についてはまったくの素人だが、このような分析結果は概ね通説を裏付けるものだそうである。

兵役につく直前の職業別に見ると、農業は相対的に兵役につきやすく、上層ホワイトカラー(たぶん専門職・管理職のこと)や「学生・無職」はつきにくい。下層ホワイトカラー(事務職やサービス職)やブルーカラーは両者の中間であるが、終戦に近づくと、農業と下層ホワイト、ブルーの違いは有意ではなくなる。これは国内の食糧不足から、徴兵方針の転換があったからだそうである。

兵役についていた年数を比較すると、学歴や職業による差はなく、社会階層は復員には影響力がないという結果である。

このデータは、1975年時点で生存していた人からサンプリングされているので、戦死したり、生還しても短命であればデータには含まれないので、セレクション・バイアスがかかっている。発表の時の橋本健二先生のコメントによれば、資本家や新中間階級のほうが、旧中間階級や労働者階級よりも戦死率が低いそうである(不正確な記憶なので注意)。戦死率の分母が同世代の男性なのか、兵役についた男性なのか、ちゃんと確認していないが、はなしの文脈からは、兵役についた男性のうち戦死する確率、という意味で私は理解した。だとすると、労働者階級は生還率が低く、データから漏れやすいので、実際には労働者の兵役率はこの報告での推定値よりもさらに高く、兵役率の階層間格差はもっと大きいことになる。戦後の生存率についても同様で、高階層ほど長生きするという説が一般的だと思うので、やはり階層間の兵役率格差はけっこう大きかったということだろう。

以上のような研究成果は、戦時中の歴史研究の成果を裏付けるもので、特に目新しい事実ではないという見方もできるそうである。しかし、統計的にそのような事実を裏付けることの価値は高い。戦時下の動員と階層/階級構造がどう関係しているのか、という問題は、保守政権下で戦争がリアルな可能性となりつつある今日、ホットな問題といえよう。「希望は戦争」、「国民全員が苦しむ平等」を戦争がもたらす、なんて話は甘っちょろい幻想なのだ、ということこをはっきりさせるためにも、こういった研究には期待したい。

独断と偏見で選ぶISA横浜大会ベスト報告: Comparing Results of Measurement Invariance Testing of Human Values: Exact vs. Approximate Measurement Invariance

例によってごく一部の報告しか聞いていないが、その中からまったくの独断と偏見で選ぶ、めちゃくちゃ偏ったISA横浜大会のベスト報告は、

Jan Cieciuch, Eldad Davidov, Peter Schmidt, Rene Algesheimer, and Shalom H. Schwartz "Comparing Results of Measurement Invariance Testing of Human Values: Exact vs. Approximate Measurement Invariance"
だーー!! この報告の素晴らしい点は、"Approximate Measurement Invariance" という概念を提出し、実際にモデリングしている点である。

価値観や態度の国際比較研究では、意識の国際的な比較可能性が問題になる。比較可能なための必要条件として、因子分析した際の因子負荷量などの推定値がすべての国で等しい、という条件がある。もしもいくつかの意識項目がすべての国で同じようにある構成概念を測定できているのならば、因子分析の結果もすべての国で一致するはずである。これを測定の不変性 (measurement invariance) という。測定の不変性にもいくつかのレベルがあるが、高いレベルでの不変性を得ることは、一般的には非常に難しい。特にサンプルサイズが大きく、誤差分散が小さいほど、測定の不変性は得られにくい。なぜなら、サンプル・サイズが大きく、誤差が小さいほど、パラメータ推定値の標準誤差も小さくなるので、高い精度で各国の測定モデルのパラメータが推定できる。そのために、ほんのわずかなパラメータ推定値の違いも、統計的に有意な差があると判定できてしまうのである。つまり、測定は不変ではないという結論になる。そのため、測定の不変性を得るためには、誤差の大きなパラメータ推定値を得たほうがいいのである。これは価値観や態度の国際比較研究者が直面するパラドックスである。

このようなパラドックスに対する対処法として Cieciuch et al. が提案するのが、 "Approximate Measurement Invariance" が成り立てば、比較可能だとみなそう、という考え方である。通常の測定不変モデルでは、すべての国で測定モデルのパラメータ推定値が完全に等しいという制約をかける。これに対して、"Approximate Measurement Invariance" モデルでは、パラメータの推定値が国によって若干ならば違っていてもいいと仮定し、通常の測定不変モデルの制約を緩めるのである。このような "Approximate Measurement Invariance" の考え方はベイズ推定の事前分布で表現されている。パラメータ推定値の国による違いをパラメータの分散で表現するならば、通常の測定不変モデルは、パラメータの分散がゼロだという事前分布を仮定した推定であるのに対して、"Approximate Measurement Invariance" モデルは、パラメータにごく小さな分散をもつ事前分布を仮定したモデルである。このような事前分布にもとづき、ベイズ推定を行えば、"Approximate Measurement Invariance" モデルの適合度を検討できるという理屈である。

ベイズ推定の事前分布で "Approximate Measurement Invariance" を表現するというアイディアはおもしろい。もしもうまくいけば、価値観や態度の国際比較研究を行う上で、非常に強力なツールとなるに違いない。ただし、クリアしなければならない課題もいろいろある。私のベイズ統計に関する知識は入門書レベルでしかないが、気になっている点を書いておこう。

  1. まず「非常に小さな分散」の事前分布を仮定するといったが、どれぐらい小さければいいのか、という問題である。しかし、このあたりは研究が蓄積されていけば相場感も形成されると思うので、私はあまり心配していない。
  2. むしろ私が気にしているのは、事前分布だけを強調して、事後分布について言及していない点である。ベイズ推定では、事前分布にデータから推定した尤度をかけあわせて事後分布を得る、というのが基本の考え方である。つまり、推定値として重要なのは、事後分布の方である。事前分布では国による違いは非常に小さいと仮定していても、事後分布では国による違いが大きくなるということはありうる。そのような場合、モデルの適合度が良かったとしても "Approximate Measurement Invariance" が成立しているとは言えないだろう。
  3. ふつうベイズ統計では、サンプル・サイズが大きいほど事前分布が事後分布に対して持つ影響力は弱まると言われている。つまり、サンプル・サイズが大きいと、事前分布がどうなっていてもほとんど同じ事後分布が得られるということである。そのため、事前分布の分散で "Approximate Measurement Invariance" を表現しても、サンプル・サイズが大きいほど、事後分布への影響はなくなっていくので、そのような不変性の仮定にどんな意味があるのか、という疑問も考えられる。
ほかにもテクニカルな批判はありうるかもしれないが、"Approximate Measurement Invariance" という概念を作って、実際にモデルの推定まで持っていた功績は大きい。今後は、ランダム効果モデルを使ったオルタナティブなどが出てくるのかもしれないが、そういった議論の出発点を作ったという意味で、非常に意義があると思われる。

独断と偏見で選ぶ数理社会学会ベスト報告「ボナチッチ中心性によるピア効果の推定:大学の演習活動を通じて」

第56回数理社会学会大会で私が聞いた報告の中から例によって独断と偏見で選んだベスト報告は、

藤山英樹「ボナチッチ中心性によるピア効果の推定:大学の演習活動を通じて」

だーー!!

大学のゼミの学生のゼミに対する貢献度を調べた研究なのだが、貢献度の規定要因として、学生のゼミ内部での友人ネットワークのボナチッチ中心性の効果を推定している。結果として、ボナチッチ中心性は正の有意な効果を示している。ボナチッチ中心性は、二つの未知パラメータを含んでいるので、ふつう恣意的にパラメータの値を決めて分析するのであるが、この研究ではデータからこれらの未知パラメータが推定されている。あるモデルの下では、これらのパラメータは空間誤差相関モデルの誤差相関パラメータから計算できるそうである。このようなアイディアは Calvo-Armengol, Patacchini, and Zenou (2009) のものだそうだが、追試をする価値は十分にあるし、たった25人のデータでも有意になるというのが、ちょっとびっくりだった。もちろん N = 25 で、空間誤差相関モデルを使うのはちょっと乱暴かもしれないとか、もともとの理論モデルの妥当性とか、批判は可能かもしれないが、ボナチッチ中心性と空間誤差相関モデルを結びつけるというアイディアの斬新さに打たれてしまった。

要望:日本社会学会のプログラムには副題や共同報告者も記載できませんでしょうか

今年の日本社会学会のプログラムでは報告の主題だけが記載され、副題は省略されていた。このような措置によってダメージを受けた報告者は私以外にもけっこういるのではないだろうか。もちろんプログラムの構成や印刷などにかかわられている皆さんのご苦労や熟慮は察するに余りあるし、私が以下に書くようなことは十分考慮したうえでその他の事情(例えば、プログラムの印刷費を抑えたいとか、プログラムが長くなりすぎて一覧性が低くなっているとか)を総合的に考えて、副題はあえてプログラムから割愛されたのかもしれない。それゆえ、担当された方々を批判する気など全くないのだが、一会員としての事情や要望を書いておきたい。

今回私はとうぜん副題もプログラムに掲載されるという前提で副題を考えた。副題が省略されることは、少なくとも日本社会学会の報告申し込みに関するウェッブページには書かれていなかった(2012/9/13現在。総会やニューズレター等では知らされていたのかもしれない)。このことを知らなかった報告者は私以外にもけっこういるだろう。今回私は複数の報告からなる共同報告の一部を担っていたので、

性役割意識はなぜどのように変化したのか? 「日本人の意識」調査のコーホート分析 1973-2008 (1)
というタイトルになったのだが、プログラムからは「「日本人の意識」調査のコーホート分析 1973-2008 (1)」という部分が削除された。この副題は、その他の共同報告にも共通していたのだが、これが削除されたことで共同報告だということが分からなくなってしまった。また日本に関するコーホート分析だということも不明になってしまい、主題だけでは、なんとも間が抜けているなー、という印象である。もしもこうなることが分かっていれば、副題など付けず、
日本の性役割意識の変化に関するコーホート分析 1973-2008 (1)
とでもしただろう。もっと気の毒なのは、「××調査より(1)」「××調査より(2)」「××調査より(3)」といったタイトルが4つか5つぐらい並んでいる部会で、ほとんど具体的な内容が分からない。私は最初、副題が省略されているということに気付かなかったので、「ずいぶんアバウトなタイトルの付け方だなー。」と思っていたのだが、副題が省略されていることに気づかない会員もいるだろうから、こういった誤解が現在広がっている可能性もある。

報告の聞き手の立場から考えた場合、もちろん、要旨集には副題はもちろん要旨も載っているので、詳しいことが知りたければ要旨集を見ればいいわけであるが、要旨集は大会当日まで見ることができないし、数百ページの紙媒体なのでいちいちページをめくって調べるのが大変で、到達可能性は低い。少なくとも私はほとんど見ない。ただ今回のプログラムに関しては情報が少なすぎるので、いつもよりは要旨集を見る可能性はあるが、難儀やなー、というのが正直なところである。

今後もプログラムから副題を削除することが続くならば、私ならば重要な情報は無理やりにでも主題に盛り込むだろう。そういう人がある程度いれば、今後、主題の平均的な長さが伸びていくだろう。しかし、それは最良のタイトルではないかもしれないので、タイトルのクォリティが劣化する恐れがある。さらにプログラムを見て聞きに行く報告を考える人たちの利便性も低下する。

プログラムから副題を削除することでいいことがあるとすれば、プログラムのページ数を短くできるとか、プログラムのレイアウトが容易になるといったことである。実は日本社会学会の報告申し込みに関するウェッブページには連名で報告する(一つの報告を複数の人が行う)場合、プログラムには登壇者の名前しか記載されないと記されているのだが、実際に見てみるとなぜか登壇者以外の名前も記載されている。どういう経緯で予定が変更されたのかは分からないが、プログラムの表記の仕方に関しては難しい問題があることが推察される。前述のようにプログラムの印刷代が足りないとか、副題を記載すると別の何らかの不都合を被る会員がおられるのかもしれない。ちなみに私は登壇者以外の報告者の名前も(3人ぐらいまでは)プログラムに記載すべきだと思っており、今回のプログラム担当者の判断には感謝している。

もしも印刷代が問題ならば、要旨集のほうを圧縮してほしい。重くてかさばるだけでほとんどの会員には無用の長物である。例えば、印刷版のミニ要旨集とPDF版の要旨集を分けて作り、報告申し込み者には、印刷版要旨集に載せる100〜200字程度の要旨と、PDF版に載せる2〜4ページ程度の要旨の両方を書いてもらうようにしてはどうだろうか。2種類作ることで手間は増えるのだが、要旨集の印刷費は劇的に抑制できよう。また、日本社会学会の報告申し込みはWEBのフォームに様々な情報を入力することで行っているので、これをTeXなどで機械的に印刷のフォーマットに流し込むことは可能であろうから、追加の手間は大したことはないかもしれない。あるいは印刷版の要旨集は思い切ってなくしてしまい、PDFのみにしてしまうという方法もあろう。これが大会の前に公開されれば参加者の利便性も向上しよう。紙媒体で要旨集の記録を残しておきたいという人は各自で印刷して残しておいたらいい。またPDF版の要旨集を2〜4ページにすることで報告のハードルが上がり、報告者数が抑制され、大会運営コストを下げることもできよう(ただし、緩やかなセレクションの担当者は今より長い要旨を読まなければならなくなるが、情報量は増えるので判断は容易になろう)。

以上、勝手なことをいろいろ書いてきたが、この程度のことは誰でも考えつくと思うので、私が想定していない難しい問題があって、今回のような決定に至った可能性は十分にある。また、プログラムを担当された諸先生方の献身的な活動のおかげで学会活動が継続できていることを考えると、感謝の念を感じこそすれ、文句など言えた立場ではないという気分になるのだが、やはり要望は要望として書いておくことにした。

独断と偏見で選ぶ数理社会学会ベスト報告「保守主義と認知能力:遺伝要因の媒介効果と調整効果の検討」

例によって、私が聞いた報告の中から独断と偏見でもっとも面白いと思った報告を選びます。私が聞いていない報告もありますし、聞いていても適切にその価値を判断できない報告もあるので、あくまで私の独断と偏見です。今回私がもっともおもしろいとおもったのは、

敷島千鶴・山形伸二・平石界・安藤寿康「保守主義と認知能力:遺伝要因の媒介効果と調整効果の検討」
です。一卵性双生児と二卵性双生児の保守主義と認知能力(頭の良さのようなもの。IQなどで測られる)を調べ、両者がどの程度遺伝的に決定されており、両者にどの程度相関があり、相関があるならばその相関はどの程度、遺伝、環境要因によって作られているかを研究しています。結果として保守主義は60パーセント、認知能力は70パーセント程度が遺伝によって決定され、残りは双子が共有していない環境要因によって決まっているという結果でした。これが本当なら親の育て方は子供のIQにあまり影響しないことになるので、知能を高めるために親は必死になる必要はないのでしょう。ただ、このデータでは保守主義と認知能力の相関はほぼ 0 でした。しかし、IQが高いほど保守主義の程度の分散が大きくなるという結果が示されており、IQが低いと中間的な態度をとるが、IQが高いと極端な立場に傾きやすいということでした。

フロアからは米国での研究成果との違いの背景や保守主義の指標の解釈、分析結果をめぐっていくつかコメントがなされ、それらも興味深く聞きました。やや批判的な論調のものが多かったように思いますが、私はこの種の研究の価値の高さと、分析法の面白さを高く評価し、ベスト報告に選びました。

私が学生の頃は社会学主義全盛の時代で、遺伝の効果に肯定的に言及しようものなら袋叩きにあいそうな雰囲気が社会学の大学院にはありました。私自身は、遺伝には還元できない環境要因が色々あることは確信していたものの、遺伝の効果をすべて否定しようという人たちにはまったく共感できず、「結局何パーセントが遺伝的に決まるのか、という問題でしょう?」と思っていましたが、ちゃんとそういう研究がなされていることを知り、心強く感じた次第です。また、分析法も興味深く構造方程式モデリングの奥深さを改めて感じたのでした。

独断と偏見で選ぶベスト数理社会学会報告賞「自営業者の職業経歴」

私はすべての報告を聞いたわけでもなく、専門的な見地からすべての報告のクオリティを評価する能力もないのだが、第53回数理社会学会大会で私が聞いた中でまったくの独断と偏見で選んだ報告は、

仲修平「自営業者の職業経歴」
だー!!! 客観的に論文のクォリティを比較すれば、ほかにいくらでもいい報告はあったのだが、自営業というテーマをきちんと扱っているというただ一点を評価してこの報告を選んだ。日本で非正規雇用と言えば、臨時雇用やアルバイトなどの雇われて働く人々をさすことが多いが、欧米で nonstandard employment とか irregular job とかいう場合、自営業者も含めて考えることもよくある。日本でもトラックの運転手や在宅のノンマニュアルなど形式的には自営業主でも実態は非正規雇用に近い人たちがいる。また、日本の場合は自営業者が一定の政治的な力を持っているせいである程度競争から保護された集団だとする説もあるけれども、この20年間の間に規制は緩和され、シャッター商店街も増えているとされており、自営業という仕事の性質をもう一度検討しなおす必要があるように思われる。

また、自営セクターは不況時に失業者を吸収し、雇用の場を提供する機能をかつて果たしていたともいわれる。それが非正規雇用に置き換えられてきたといわれるのだが、このあたりの変化をきちんと調べた研究も私はまだ見たことがない。さらに、韓国や台湾といった国々の雇用状況を考える場合、自営業は無視しえない重要性を持っており、アジア諸国の非正規雇用や雇用の流動性を包括的に扱う際に、自営と非正規雇用の共通性と差異をきちんと整理しておくことは非常に重要である。このように自営の研究は非常に重要なテーマなのだが、これを研究している人はほんのわずかであり、仲さんへの期待を込めて、ベスト報告に選びました。

独断と偏見で選ぶ第52回数理社会学会大会ベスト報告: 競争の激しさの計測──当選確率をもとにした選挙競争度の指標化
例によって私が見聞した範囲で独断と偏見に基づいて選ぶ第52回数理社会学会大会のベスト報告は、
○山本耕資(中央大学) Steven R. Reed(中央大学) 「競争の激しさの計測──当選確率をもとにした選挙競争度の指標化」
だーー!! よく競争が激しいとか激しくないとかいうが、これはどのような状況を指すのか、それを定義しようとしたのがこの研究である。ハーフィンダール指数が競争の激しさの指標として用いられることもあるが、これは各企業が産業内においてしめるシェア率の二乗和で、むしろ寡占の程度を示す指標である。経験的にはハーフィンダール指数が大きいほど産業内の競争が激しいという傾向は経験的にありそうなことだが、この研究の目的は、そもそも競争が激しいとはどういうことか、きちんと定義したいということである。結局、詳細は忘れたが競争的な状況で「勝つ」確率を本人の努力で微分したときの微分係数が「競争の激しさ」と定義されていた(と思うが正確には、もっと複雑な式だった)。つまり、努力次第で勝敗の確率が大きく変化するような状況が競争が激しい状況である。「勝つ」はもっと一般的な概念で置き換えることができるだろうし、置き換えられていたような気もするが、詳細は報告者に問い合わせていただきたい。 私としては、競争相手の努力で微分したときの微分係数も考慮すべきではないかと思う一方、いきなり複雑な定義を提示するのではなく、もっと単純な式から議論を出発させて次第に定義を複雑にしていったほうが理解しやすいのではないかとも思うが、とにかく前々から気になっていた問題にアタックしていた研究だったので、独断と偏見にもとづいてベスト報告認定することにした。
独断と偏見で選ぶベスト学会発表:ソウル都市空間のシーン・マップ

今回は、数理社会学会に1日、都市社会学会に1日半出席したが、私が聞いた発表の中から独断と偏見で選ぶならば、

金永玎・張元皓「ソウル都市空間のシーン・マップ」第28回都市社会学会大会報告
がベストだ。金と張によれば、シーンのよさが都市/地域の経済発展につながるという。どういうメカニズムが想定されているのかは不明だが、シーンがよいとそれを見たがる人や、そのような環境を心地よいと思う人が集まってきて、それが経済発展につながるという理屈ならば容易に理解できる。シーンという概念も不明瞭なのだが、基本的には通行人などから見た、その地域の景観のようなものであろう。この場合の地域とは、日本で言えば、原宿とか難波のような、歩いて回れる程度の広さを想定しているような感じである。ここまではいたって平凡な議論なのだが、すごいのが、データの取り方である。ソウルの洞(トン)とよばる行政区画ごとにそれぞれのシーンを、伝統的か、エスニックか、グローバル化しているか、といった5つの次元で測定している。どうやってこのような測定を行ったのか、よくわからなかったのだが、どうもその地域にある店舗の種類や景観などを調べ上げているらしく、人海戦術が駆使されたと想像される。表示された地図を見る限り、ソウル地区内の洞の数は100をくだらなかったと思うし、ソウル中の店舗を見て回ったのかと思うと気が遠くなる。こうしてえられた洞のシーンの特徴を地図に塗り絵して記述したところで終わっている。

はっきりいってまだ完成度の低い研究なのだが、地域ごとに景観をいくつかの観点から測定してその地域の景観の特徴を調べるというやり方に可能性を感じた。地理学ではもしかしたらよく知られた方法なのかもしれないが、私にとっては新鮮だった。ビジュアルなデータをうまく分析する方法がいろいろと模索されているが、このような方法で地域の景観を調べるというのもいいのかもしれない。景観の内容分析のような感じである。

日本社会学会大会 「報告原稿」システムの改正を求めて

すでに日本社会学会の研究活動委員会には同様の内容をお知らせしたが、広く公論を喚起する意味で、経緯も含めて書いておこう。

私は今年度の日本社会学会大会の一般報告の申し込みをしたのだが、先日、日本社会学界の事務局から、報告原稿を修正するよう「お願い」された。私の報告原稿はタイトルと発表者名のほかは、グラフと表しかないものだったので、これは「原稿」にあたらないという判断だったようである。けっきょく私はこのお願いをお断りし、学会は私の報告原稿をそのまま受理した。合計3往復メールのやり取りがあったが、仔細は省略する。おそらく、日本社会学会サイドとしては、報告要領には「報告原稿には文章を書け」と明記していない以上、本人が拒否するならば強制はできないという判断だったのだろう。

このような問題が起きる背景には、現行の報告原稿を50部印刷して当日配布せよという規則がある。そもそもこの規則を改正すべきなのではないだろうか。以下は、私が日本社会学会研究活動委員会幹事あてに送ったメールの一部である。

なお、一会員として要望を申し上げます。現行の報告原稿を2ページでまとめさせて当日印刷して配布させるルールそのものを再検討していただければ幸いです。この報告原稿は多くの場合、研究成果を聴衆に理解してもらう上で役に立っていません。大半の報告者は、申し込みの後に報告の内容をブラッシュアップするので、報告原稿が古くなってしまうためです。私の場合は、分析結果が確定しているので、報告原稿の枠でそれを配り、あとはパワーポイントなどを使って報告することを考えたわけですが、現実にはそのようなケースはほとんど存在しないでしょう。大半の報告者は、追加資料という形でレジュメを作り、それを使って報告しています。つまり、ルールによって強制的に報告原稿を配布させることで、無駄な印刷物を大量に生み出すことになっています。また、実際には報告原稿を当日配布しない会員もいます。

私も当日印刷して配布しなければならないという制約がなければ、そちらから要望があったような形で報告原稿をまとめていたと思います。当日印刷して配布というルールをなくしてしまえば、問題はずいぶんと緩和されると思うのですが。

あるいは2ページではなくてもっと長い原稿を求めれば、申し込みの時点でかなり準備を整える必要があるので、報告までの間に大幅に内容が変更になるということは減るのかもしれませんが、日本の社会学界の慣行にてらすと、やや発表のためのハードルが高すぎるような気もします。このあたりは発表申し込み数と大会開催校のキャパシティなどの問題もあるので、私には判断できません。

個人的な好みから言うと、4〜6ページ程度の報告要旨だけの提出を義務付けて(つまり報告原稿は廃止)、要旨集の印刷も廃止して、要旨集はPDFファイルでWEB上で公開というのが、理想的です。こうしてもらえると、参照も簡単ですし、要旨集も邪魔になりません。発表の記録も残ります。大会の前に要旨をWEB上で公開すれば、会員は事前にチェックしてどの報告を聞きに行くか検討することもできます。J-STAGE ではこういったシステムを提供しているようですし、いったん軌道に乗れば、それほどたいへんなシステムではないのではないでしょうか。

いろいろ勝手なことを申しあげましたが、よろしくご検討ください。
そもそもなんで、報告原稿をそのまま印刷して当日配布なんてルールができたんだろう?

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