Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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グローバル化は文明化か、破壊か、それともわずかしか進んでいないのか? 社会科学における5つの主要な論点の検討

Mauro F. Guillén, 2001, "Is Globalization Civilizing, Destructive or Feeble? A Critique of Five Key Debates in the Social Science Literature," Annual Review of Sociology, Vol.27 No.1, pp.235-260.
グローバル化の5つの論点に関するレビュー論文。5つの論点とは、
  1. グローバル化は本当に生じているのか?
  2. グローバル化によってさまざまな社会は収斂しているのか?
  3. グローバル化によって国民国家(といよりも政府)の権威は掘り崩されているか?
  4. グローバル化と近代化はどう異なるか、あるいは両者は同じなのか?
  5. グローバル文化は形成されつつあるのか?
である。それぞれの論点に関して肯定的論者と否定的な論者があるが、 Guillén 自身は以下のように主張している。第1の論点に関して、 Guillén はグローバル化は進行してきた主張する。確かに Hirst and Thompson (1996) や Wade (1996) のように、グローバル化といったまったく新しい現象が起きていることに対して否定的な議論もあるが、彼らのあげる証拠は経済的なものが中心でしかもせいぜい1990年代の前半までのものであり、その他のさまざまな諸領域ではグローバル化の存在を支持する証拠もあるという。つまり、どんなことがらのグローバル化なのかや、指標によってはグローバル化が生じていないことになる場合もあるが、生じていることになる場合もしばしばあり、グローバル化の存在を全面否定することはできないということであろう。

第2に、Guillén はグローバル化による収斂に対して否定的である。収斂に関しても、いったいどんな事柄に関する収斂なのかが問題なのだが、収斂に関してまとまった主張をしている論者はそもそも非常に少ない。比較的はっきりと収斂を主張しているのは、Meyer et. al. (1997) に代表される World Polity Theory ぐらいだろうか。マクドナルド化やグローバル化=アメリカ化を主張するような論者たちも収斂理論の一種とみなせるかもしれないが、Guillén はこれらを特に取り上げていない。事例研究では差異が強調されやすいので、とうぜん収斂理論に関しては否定的な結論になるのだが、Ingleheart and Baker (2000) のような World Value Survey を分析した研究でも収斂には否定的で、 経路依存性が強調されている。

第3に、Guillén は、国民国家政府の権威は掘り崩されてはいないという。この点に関しては賛否両論で、そもそも権威 (authority) とか権力 (power) といった語の意味があいまいなので水かけ論なのだが、Guillén はウェストファリア体制とよばれるような国民国家システムは本質的には変容しておらず、国民国家政府は経済、政治、文化といったさまざまな領域に依然として大きな影響力を持っていることを強調している。しかし、そのような力を本当に持っているのは一部の国民国家(例えば G8 とか G20 と呼ばれるような国々)だけで大半の小国は巨大企業に比べて大きな力を持っているとは言えないという主張にも一理あるように思えるし、Inter-Governmental Organization (IGO) や Non-Government Organization (NGO) の重要性は100年前より増していると言われれば、そうかもしれないと思うし、きちんと尺度を定めてデータを取らないとあまり生産的な議論にはなるまい。

第4に、グローバル化は確かに近代化をともなうことがあるが、グローバル化=近代化とはいえないと Guillén はいう。これも定義に強く依存する問題だが、Guillén は近代を欧米文化だとみなしており、近代化=欧米化と考えている。いっぽうグローバル化は必ずしも欧米化ではなく、非欧米が欧米に影響を与えることがしばしばあり、グローバル化=近代化とは言えないという。近代化という概念が矮小化されているような気がするのだが、水掛け論なので深入りしない。

最後に、グローバル文化と言えるような世界共通の文化はどこにも確認できないと Guillén は主張している。これもデータがあまりないのではっきりしないが、例えばこの数十年の間に多くの少数言語が消滅していったといわれるが、これは文化的な多様性が失われていっている証拠にはならないのだろうか。だからといってグローバル文化が生じていることにはならないだろうが、多様性が下がっているということは共通性が高まっているということなので、安易に文化的な共通性の高まりを否定するのもどうかと思う。ヨーロッパの社会学者が英語で論文を書くケースが数十年前に比べて増えていると思うのだが、これも学問の世界の共通性の高まりとは考えられないのだろうか。グローバル文化という言葉に特殊な意味合い(例えばヘーゲルの世界精神のような)があるのかもしれないが、収斂(共通性の増大)が生じているかどうかは、ケースバイケースできっちり検討すべき問題で、安易に全面否定したり全面肯定したりすべきではなかろう。と、書いていて気付いたが、私の考えでは、この第5の論点(グローバル文化)は、第2の論点(収斂)の特殊ケースなのだが、やはり Guillén はグローバル文化という言葉に、収斂とは異なる何か特殊な意味合いを持たせているのかもしれない。

ヘルド編『グローバル化とは何か』を読む

David Held, 2000, A Globalizing World? Culture, Economics, Politics, Routledge (=2002, 中谷義和 監訳『グローバル化とは何か:文化・経済・政治』法律文化社).
Open University のテキストの翻訳。初学者向け。グローバル化に対する見方をグローバル論者 (globalist)、伝統論者 (traditionalist)、変容論者 (transformationalist) の三つに分け、それぞれの観点から、文化、経済、政治のグローバル化についてどのような議論がなされてきたか論じている。グローバル論者とは、グローバル化によって世界のすべての社会があらゆる面で収斂していくことを強調する人々のこと。このような収斂を肯定的にとらえる楽観論者と否定的にとらえる悲観論者に分けられる。一方、伝統論者は、グローバル論者が夢想するような収斂は現実には起きておらず、20世紀末にそれ以前とは本質的に異なる世界が生まれたなどということはないと主張する。そして変容論者は、グローバル論者と伝統論者の中間である。こういう分類をすると、中間の変容論者が正しいという話になりやすいのは当然なのだが、経済のグローバル化に関してはけっこう伝統論者が支持されており、意外であった。ただデータが1990年代の半ばぐらいまでしか手に入らなかった時の議論なので、現在同じようなデータ分析をしたらどういう話になるのかは知りたいところである。

特に目新しい理論やデータがあるわけではなく、既存の国際貿易や国際関係論、社会理論が援用・拡張されているだけで、グローバル化に関する独自理論などないという印象である。けっきょくグローバル化が進んでいるかどうかは国や地域、社会階層などによって異なるだろうし、どのような事柄か(例えば、外国人労働者の受け入れか、海外のTV番組の受容か、政府間組織の影響力か)によっても異なるはずで、地道なデータの蓄積と理論構築が必要であるということを再確認した。

グローバルな民主主義の台頭に対する政府間ネットワークの影響

Magnus Thor Torfason and Paul Ingram, 2010, "The Global Rise of Democracy: A Network Account," American Sociological Review, Vol.75 No.3, pp.355-377.
グローバルな民主主義の台頭に対する政府間ネットワークの影響を検討した論文。民主主義の台頭に関して、政府の間の伝播プロセスが想定されることがしばしばある。世界政体理論 (world polity theory) に従えば、世界文化、世界規範といったものの影響ということであろうし、もっと単純に模倣がなされているという見方も可能であろう。いずれにせよ、複数の政府の間で相互に影響があり、それが国の民主化の程度に影響を及ぼすと考えられる。しかし、そのような伝播のプロセスは、ランダム・マッチングで起こるとは考えにくい。つまり、ランダムに模倣する相手国を選んで模倣しているのではなく、近隣諸国や関係の密接な国や経済的に成功している国が模倣されやすいと考えられる。そこで、政府間組織 (Inter-Governmental Organization: IGO) を通した政府間ネットワークを通して民主主義は伝播するという仮説を Torfason and Ingram はたてる。この仮説を検証するために1815−2000年の187カ国のパネル・データを分析している。分析の単位は state-year で、被説明変数は民主化の程度を示す順序尺度(の階差)で、順序プロビット分析を行っている。モデルは複雑なのだが、コントロール変数などを除外したモデルは以下のように書ける。
probit(Yi, t - Yi, t-1) = β0 + β1 ΣZij,t-1(Yj, t-1 - Yi, t-1)
Yi, tは時点 t における i という国の民主化の程度であり、Zij,t-1 は t - 1 時点での i 国と j 国のIGOネットワークを通した関係の強さ(共通して加盟している IGO の数)である。つまり、「他国との関係の強さ×他国との民主化の程度の差」に比例して、民主化が進むと考えられている。例えば、自国よりも民主的な国と、より多く、より強い関係を持つと、その国は民主化しやすい、とこのモデルは仮定している。IGO ネットワーク以外にも経済関係や相手国の経済力や軍事力などさまざまな要因をモデルに投入しているが、けっきょく上記のβ1は有意で、IGO ネットワークを通した民主主義の伝播仮説は支持されている。また単純に加盟している IGO の数も有意になっており、世界文化に触れるほど民主化していくという世界政体理論の予測にも適合的な結果となっている。また近隣国からの影響、旧宗主国から旧植民地国への影響も有意であった。軍事力のある国からの影響力も有意にはなっていたが、多重共線性が強すぎるため、推定結果は信用できない。経済力やそれぞれのタイプのネットワークにおける中心性も説明変数として投入されていたが、いずれも有意ではなかった。分析には通常のプロビット分析だけでなく、傾向スコア・マッチングや GMM なども用いているが、いずれの方法で推定しても、多少の係数の大きさの変化はあるものの、上記の基本的な結果に変わりはなかった。

今年の後期はこの種の論文を何本か読んできたのでいささか食傷気味であるが、仮説そのものは説得力があるし、分析結果もそれなりに信用できるように思う。気になるのはデータの精度ぐらいである。最近はこういった政府間の模倣がよく指摘されているわけだが、それにネットワーク分析を絡めるというところが、新しいのであろう。ただ、このモデルの複雑さは何とかならないのだろうか。より適切な推定を求めて新しいモデルや推定法が次々に導入されるし、それを否定することはできないのだが、もっとシンプルな議論に私としてはあこがれるのである。

1816−2001年の世界における国民国家の台頭に関するイベント・ヒストリー分析

Andreas Wimmer and Yuval Feinstein, 2010, "The Rise of the Nation-State across the World, 1816 to 2001," American Sociological Review, Vol.75 No.5, pp.764-790.
国民国家の伝播を規定する要因をイベント・ヒストリー分析で分析した論文。国民国家という制度がどのように広まっていったのかについては、様々な研究があり、いくつかの異なる理論がある。これらはしばしば異なる少数の事例にもとづいて議論されており、十分に議論がかみ合わないまま併存している。そこで Wimmer and Feinstein は、長期の国際比較分析によって、以下のような主要な国民国家理論を検証している。
  1. 経済的近代化論。ゲルナーの議論が参照されているが、産業化が進んで都市への人口移動が起き、国内に共通の知識や文化が広まることが、国民国家生成の基礎的条件を作ると考えられる。この論文では、国内の鉄道の路線の長さで、産業化の程度が測定されている。
  2. 政治的近代化論。ティリーとヘクターに代表され、統治者が国を直接統治することが遠因となって、ナショナリズムと国民国家が生じるとする理論。封建制や帝国においてはかなりの程度の地方自治(という言い方ではやや誤解を招くかもしれないが)が許されていることがあるが、そういった状況下ではナショナリズムは起きにくく、逆に統治者が直接統治することによって、地方エリートの反発を生むと同時に領域内の文化的/政治的共通性が増すことが、国民国家の先ぶれになるという。
  3. 文化的近代化論。アンダーソンの議論に代表される。自国語の識字率の上昇がナショナリズムを促進する条件とされる。言語的な共同性の認識が共同体意識を形作るという(が、なぜ読み書きが決定的なのかはよく分からない)。もう一つは、宗主国が植民地の土着エリート層を下級官吏に任用することで、彼らの間で行政区域内の共同体意識が強まると同時に、昇進できないことから来る不満が高まり、土着エリートがナショナリズムの担い手に育っていくというプロセスが想定されている。
  4. 世界政体論。マイアーが主導者として参照されている。これは世界文化とか、世界規範とか言えるような、世界レベルでの文化/規範の存在を仮定し、それらにエリートが接触し、その価値観を取得し、それが結局、政府のあり方を規定すると考える。それゆえ、その地域が世界文化と接触しているほど、そして世界中で国民国家の数が増えるほど、国民国家への移行が起こりやすくなるという。
  5. 歴史的制度派。誰が主導者なのか不明だが、スコチポルもその担い手の一人。ナショナリズムという観念そのものは、エリートの間で簡単に伝播するので、いったんフランスや米国でナショナリズムの観念ができれば、あらゆる地域のエリートたちへとすぐにそれは広がると考えられているという。しかし、実際には国民国家への移行の時期にはかなりの地域差があるが、そのような差は、国内の政治力学で決まるという。すなわち、ナショナリストが対抗勢力よりも強い力を持つことが国民国家への移行の条件であると考える。それゆえ、ナショナリストの組織が長期にわたってプロパガンダを行っている国ほど国民国家に移行しやすいという。また、その地域や帝国の内部で戦争が行われている場合、対抗勢力の力が弱まっているので、国民国家への移行が起こりやすい。また宗主国やその地域が属する帝国の軍事力や経済力が弱いほど、国民国家への移行は容易であろう。さらに近隣に国民国家があるほどその地域も国民国家に移行しやすい。これは近隣の国民国家を模倣するという側面もあるし、近隣の国民国家がその地域のナショナリストを援助してくれる場合もあるという。これは世界政体論と似ているが、世界政体論が地理的隣接性や宗主国や帝国の存在を考慮していないのに対して、歴史的制度派は、こういった地理的・政治的近接性を重視する。
以上の仮説を検証するために、1816−2001年のほぼすべての国と地域の国家×年型のデータセットを作り上げ、国民国家への移行のイベント・ヒストリー分析を行っている。1816年以前にすでに国民国家であったイギリス、フランス、アメリカといった国々は分析から除外されているし、2万平方キロ以下の非常に小さな国も除外されている。国・地域の単位は、2001年時点での国・地域である。国民国家の定義は、内政と外政の両面からなり、内政的には、成文化された憲法で平等な市民の共同体としての国家を宣言し、代議制(本当に民主的でなくてもよい)をとっていることが条件である。外政的には、主権が外交政策の決定権を意味し、外国からの支配が存在しない状態を国民国家の定義と見なしている。内政・外政、両方の条件を満たした国と地域を国民国家と見なしているが、ソ連はどうも国民国家ではないらしい。離散イベントヒストリー分析の結果、歴史的制度派の予測のみが当たり、その他の理論の予測はすべてはずれている。こうして、歴史的制度派が支持されている。

本当に鉄道の長さで産業化の程度がわかるのか、とか、200年近く前の世界中の識字率が正確にわかるのか、とか中央政府がその地域につぎ込んだ予算額で直接統治の程度を測定できるのか、など、分析の適切さには疑問がいろいろ残る。特に分析の単位を現在の国と地域に置いているのだが、本当にこれでいいのかもよくわからない(国と地域の境界は200年の間に変化しているので、適切な地域の単位の設定は困難)。また1〜4の理論はナショナリズムという文化が生まれる下地についての、かなり長期的な社会変動の議論であるのに対し、歴史的制度派は、ある政体が生まれる直前の条件についての議論になっているので、後者のほうが統計的には支持されやすいと思われる。そのため、これらを普通に比較するのはアンフェアーな気もする。

とはいえ、いろいろ問題があるにせよ、これだけのデータセットを作り出すには相当の執念が必要で、その点には脱帽である。また、質的研究ではこういったデータの不完全性から逃げることができるので、データが不完全でも自分の議論に好都合な証拠を並べたてることで説得力を高めることができるわけだが、本当のところ、こういった比較可能性や一般化可能性の問題から逃げきれるというわけでもない。もちろん Wimmer and Feinstein に否定された諸理論の支持者が、この分析結果で説得されるとは到底思えないが、こういった体系的な比較分析なしに研究が進歩するとも到底思えないのである。

世界政体の社会構造: 政府間ネットワークのトレンド分析 1820―2000

Jason Beckfield, 2010, "The Social Structure of the World Polity," American Journal of Sociology, Vol.115 No.4, pp.1018-1068.
政府間ネットワーク構造の推移を1820〜2000年にわたって記述することを通して、世界政体理論 (world polity theory) の間接的な検証を試みた論文。世界政体理論は日本ではほとんど知られていないが、英語圏では非常に注目され、活発な論争がなされている理論である。この理論は、デュルケム理論を国家(あるいは政府)間関係に拡張した理論である。世界政体理論によれば、国家は、他国との関係を持つようになるほど、政策面で他国に同調する傾向が強まる。人権、民主主義、環境政策などの政策は、国連などの国際組織を通して国家に伝播すると考えられる。世界政体とは、このような国家ないしは政府が作る世界社会のことであると考えられる。このような国家間のネットワークに深く埋め込まれている国家ほど国際協調路線をとりやすいということである。このような傾向が生じるのは、世界政体に一定の規範的な拘束力が生じるからであると考えられている。すなわち、集合意識のようなものが世界レベルでも存在するというわけである。

さらに歴史的に見れば、政治、経済の場面で多くの国々が国際的な関係を持つ機会を持てば持つほど、世界政体の持つ規範的な拘束力は強くなっていくと考えられる。それゆえグローバル化が進む今日、世界政体はより強い拘束力を持つに至っていると考えられる。しかし、このような世界政体理論は、政府間ネットワークの構造についてほとんど関心を払ってこなかった。確かに国連が世界政体のプラットフォームを提供すると考えられ、大半の国家は国連に加盟しているのであるが、実際には国連以外の政府間組織(Inter-Governmental Network: IGO. 例えば ASEAN や OECD)の果たす役割も無視できない。このような IGO の数は増加し続けており、その重要性は増していると考えられる。そこで、国家/政府と IGO の 二部 (two-mode/bipartite) ネットワークの構造が、世界政体理論の予測に合致するような方向に変化しているのかどうかを、Beckfield は検討する必要があるという。

世界政体論は、国家が国際関係の中でいわば社会化される(フーコー好きならば規律化されるというかも)と考えるので、世界政体は未発達の状態から、より理想的な形へと近づいていくと考えられる。理想的な形の世界政体とは、

  1. ネットワークの密度が高く、
  2. ネットワークが脱中心化 (decentralized) しており(つまり各国の中心性が同程度である)、
  3. ネットワークの凝集性が強く (cohesive)( Moody and White (2003)の私の紹介 を参照)、
  4. 複数のクラスターに分かれていない
ようなネットワーク構造を持っているはずなので、歴史的にはこのような方向へと政府間ネットワークも変化してきていると、世界政体理論からは予測される。

実際のデータで1820年から2000年の間の変化を見ると、国家の数は19世紀の間は50前後であったが、第二次大戦後に急増し、2000年には190になっている(国家の定義はp.1030を参照)。二部ネットワークから国家間隣接行列を作って密度を計算すれば、国家間ネットワークの密度は19世紀の初頭には 0.1 程度であったのが、20世紀に入ってからは0.9以上で、高い密度になっている。しかし、同様にして IGO の隣接行列から密度を計算すると、密度は減少傾向にある。19世紀にはほとんど 1 であった IGO 間ネットワークの密度は、2000年には 0.59 にまで減少している。このような相反する傾向がみられるのは、大半の国が国連などに加盟することで、国家間ネットワークの密度は高まったが、ASEAN, EU, OPECなど、特定の国だけが相互排他的に加盟する IGO が増えたせいで、IGO 間ネットワークの密度は逆に低くなったという。それゆえ、国家間ネットワークは脱中心化したが、IGO 間ネットワークは逆に中心化の程度を強めた。2部ネットワークの半径(ノード間の平均パス長)も20世紀以降、漸増傾向が続いている。スモール・ワールドの程度を示す指標 (small world Q) は19世紀末から、1990年まで減少しているが、1990年に比べると、2000年は増加しているので、トレンドに変化があったのかもしれない。最後に地域(ヨーロッパ、アジア、アフリカ、北米、南米など)ブロックごとにネットワークが分割され、ブロック内では密度が 1 で、ブロック間には一切つながりがないというモデルと実際のネットワークの類似度を見ると、第二次世界大戦の前はでこぼこしてはっきりした傾向はみられないが、その後は類似度は増している、つまり、地域ごとに別れたネットワークが強まっているという。Beckfield はこれを regionalization, fragmentation と呼んでいる。このような傾向は、世界政体理論の予測とは異なっており、世界政体という単一の社会に国家が直接統合されるというイメージはやや単純化されており、むしろ ASEAN や G8 など、相互に排他的な IGO の増加が近年の特徴であると考えられる。

世界政体理論はネットワーク構造にはあまり着目してこなかったので、そういう意味では新しい論文である。ただ国家間ネットワークの密度は2000年で 0.97 あるわけだし、長期的にはこの値は増加してきたわけだから、必ずしも世界政体理論が間違っていたとは言えないだろう。IGO 間ネットワークの中心化の程度が高まっているといっても、国連の周りにそれほど中心性の高くない IGO が存在しているという構図なので、世界政体理論にそれほど反しているともいえない。ただし、特定の地域の国家だけが所属する IGO の増加は必ずしも世界政体論の予測と一致しないというのはその通りなのだろう。一般にグローバル化は日本の社会学でもよく言及されるのだが、マクロレベルで世界にどのような変化が起きたのか、ちゃんと述べた研究は意外に少ない。世界政体理論は、因果の向きの解釈など疑わしい部分はあるのだが、世界レベルでの社会構造について正面から取り組んでいるという点では非常に興味深い研究といえよう。

圧縮された近代としての韓国福祉制度

Sung-Won Kim, 2009, "Social Changes and Welfare Reform in South Korea: In the Context of the Late-coming Welfare State," International Journal of Japanese Sociology, Vol.18 No.1, pp.16-32.
韓国の福祉制度発達の特徴を論じた論文。Kim Sung-Won によれば、韓国が本格的に福祉制度を発達させたのは、1998年の金大中政権成立以降である。これは西欧の福祉国家が20世紀の前半からオイルショックあたりまでかけてゆっくりと発達してきたのと比べると、その出発時期が著しく遅く、それゆえ、欧米の福祉国家発達とは著しく文脈が異なる。西欧諸国では、第2次世界大戦後からオイルショックあたりまでを福祉国家の黄金時代というそうだが、これは福祉国家を順調な経済成長が支えることができた時代ということであろう。この黄金時代はオイルショック以降の低成長期に入って終わりを告げる。オイルショック以降の西欧は、市場原理の部分的導入を含めた福祉国家の再構築の時代に入るという。韓国の場合はすでに低成長時代に入った段階ではじめて本格的な福祉制度を発達させたので、このような黄金時代は経験しようがないと Kim Sung-Won はいう。さらに西欧での再構築も、韓国では福祉制度の導入とほぼ同時に取り入れることになり、福祉制度の構築と再構築が同時に行われることになっているという。

後発近代化国家では、こうした近代化のプロセスを、欧米に比べて短い期間に急速なスピードで体験することがある。日韓台における少子化と高齢化が典型的な例だが、この福祉国家の話もその一例であろう。compressed modernity とかいう人もいるらしい。勉強にはなったが、このような compressed modernity の例を一つ増やしただけで議論が終わってしまっている点は、いささか物足りない。このような急速な福祉制度の発展が、韓国の福祉政策にどのような影響を及ぼしているのか、その光と影を指摘するところまで進んでほしかった。

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