Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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「イデオロギー的に非論理的?なぜ低学歴者の価値の一貫性は低いのか」Achterberg and Houtman 2009

Peter Achterberg and Dick Houtman, 2009, "Ideologically Illogical? Why Do the Lower-Educated Dutch Display so Little Value Coherence?," Social Forces, Vol.87 No.3, pp.1649-1670.
なぜ高学歴者の間でしか、経済的保守性と文化的保守性が相関しないのか検証した論文。ふつう保守 vs 革新、右派 vs 左派といった対立軸で政治イデオロギーを分類する場合、保守または右派は経済的には所得再分配には消極的で、企業の経済的自由を擁護し、文化的には伝統的な家族や宗教を養護する傾向が強い。いっぽう革新または左派は経済的には所得の再分配に積極的で、企業の活動に規制をかけることに肯定的であり、文化的には個人の自由を擁護し、宗教や伝統的な家族規範による規制を廃しようとする傾向が強い。

このようなイデオロギーの対立軸は政党の政策や知識人を位置づける上ではそれなりに有効であったが、一般の有権者の態度は必ずしもこのような対立軸でうまくとらえられるわけでないことは Lipset (1959) のころから指摘され続けてきたという。すなわち、労働者は中産階級に比べて経済的には革新寄りの価値観を持っているが、文化的にはむしろ権威主義的で保守的であるというわけである。労働者階級の人口は中産階級や資本家のそれよりも圧倒的に多いので、もしもすべての労働者が革新政党を支持するならば革新政権が誕生するはずであるが、実際には労働者は文化的に保守的で権威主義的なので、保守政党を支持することも珍しくなく、それが革新政党の敗北につながる、というわけである。

上記の現象は、イデオロギーの一貫性の問題として概念化されてきたという。つまり、中産階級はイデオロギーの一貫性が高いが労働者はそれが低い、と言われる。あるいは、中産階級では経済的保守主義と文化的保守主義がプラスに相関するが、労働者の間では、両者は相関しない、といいかえてもよい。上記のような労働者の文化的保守性が必然的に労働者のイデオロギー的非一貫性を帰結するわけではないが(労働者の文化的保守とイデオロギー的一貫性は共存しうる)、親和的な現象といっていいのかもしれない。しかし、著者らはこれらを同一の現象の異なる側面として理解している。

なぜこのような非一貫性が起きるのかについては2つの仮説があり、一つは労働者の政治的能力 (political competence) が低いからイデオロギーの一貫性が低いとする仮説である。ほんらい、論理的には経済的に保守なら文化的にも保守になるはずなのに(どんな「論理」なのかは不明)、政治の問題を包括的かつ論理的に判断する能力が労働者にはないため、非論理的、すなわち一貫性のない政治的態度を持つという仮説である。第二の仮説は、労働者は単に自分たちの利害に忠実であるから、中産階級から見ると非論理的で一貫性のない態度をとっているように見えるだけだ、とする仮説である。労働者階級は経済的に不安定で相対的に貧しいので所得の再分配を支持する。これは彼らの利害に一致している。また労働者は文化的にも不安定で文化資本にもとぼしいので、文化的な安定をほっする。それが権威主義や伝統的な家族や宗教の支持につながる、つまり文化的な保守主義を帰結するという理屈である。しかし、これがイデオロギー的非一貫性を帰結するとは限らないと私は思う。この第二の仮説に従えば、いっぽう中産階級は経済資本も文化資本も労働者よりは豊かなので、経済的には保守的で文化的には革新的になるはずだが、だからといってイデオロギー的な一貫性が高まるとはいえないと私は思う。著者らはなぜ中産階級で一貫性が高まるか説明していないのだが、とにかく単に経済資本が多いというだけでは再分配に否定的にならず、文化資本が低いときにだけそうなる(逆に言えば経済資本が少ないだけでは再分配に肯定的にはならず、文化資本が高いときにだけそうなる)、と言っているようなのだが、なぜそういう仮説が考えられるのか、その説明はなく、それが本当にイデオロギー的一貫性を中産階級にもたらすのかも、私にははっきりわからない。

オランダの2006年の全国調査データを使って、第一の仮説を否定し、第二の仮説を支持しているのだが、概念の測定がかなり個性的と言うか、いろいろ批判を呼びそうな苦しいものになっている。まず階級そのものは測定されておらず、学歴が代用されている。文化的保守主義は権威主義尺度(アドルノらが開発した F尺度)の7項目版で測定されており、経済的保守主義は、経済的平等や所得の再分配にたいする意見を問う5項目からなっている。文化的保守主義と経済的保守主義を Z得点に変換した上で両者をかけあわせた値が、イデオロギーの一貫性の尺度とされている。経済資本は失業の有無と暮らし向きの主観的判断(2項目)で測定され、文化資本は、 Srole (1956) のアノミー尺度で測定されている。さらに政治的能力は上記の文化的保守と経済的保守の計12項目に有効回答しているかどうかで測定されている。つまり、12の質問に対して、Don't Know, No Answer (DK.NA) かどうかを調べ、その数が少ないほど政治的能力があると概念化している。いろいろ言いたいことはあるが割愛。

分析はまず、文化的保守の項目と経済的保守の項目を一因子にまとめられるか、二因子以上必要か検討することから始まっており、確証的因子分析の結果、二因子以上必要という結論を得ている。12項目もあるので当然の結果であるが、因子間の相関もほぼゼロでこの点は説得力がある。誤植が多いのが残念。次にサンプルを学歴別に分けた上で、それぞれの学歴グループ内での二因子の相関を計算すると、たしかに高学歴層で .26 の相関があるのに対して、低学歴層では -.32 の相関であり、むしろ逆になっている。さらにこのようなイデオロギーの一貫性を従属変数として分析を行うと、経済資本と文化資本のあいだに負の交互作用効果が見られ、仮説通りの結果となっている。が、教育がイデオロギーの一貫性におよぼす総効果は標準化係数でせいぜい .07 とか .08 程度であり、大前提が十分に満たされていない感じはある。また、政治的能力はイデオロギーの一貫性に有意な効果を持たない。

面白い問題だとは思うのだが、上記の操作化の問題はかなり深刻で、結果は、あまり真剣に受け取る気にはなれなかった。分析の欠損値処理について特に書かれていないのだが、明記しない場合はふつうリストワイズ法で処理していると考えられる。しかし、もしもそうならば、文化的保守と経済的保守の計12項目に有効回答しているサンプルのみで分析されているはずで、だとすればこの有効サンプルの政治的能力は全員最大値をとっているはずである(だとすればこの変数の分散はゼロ)。しかし、学歴と政治的能力の間には .16 のバスがひかれているので、政治的能力に多少の分散があることは明らかである。おそらくペアワイズや代入法の類で欠損値処理していると考えられるが、何も記載がない。さらに分析結果の図表に誤植がけっこうあり、IFI =46, DF = .95 とかふつうありえない値が出てきていて、とても残念である。

おまけ。労働者が平均的に見ると中産階級よりも文化的に保守的かつ経済的には革新的だからといって、労働者のほうが中産階級よりもイデオロギーの一貫性(文化的保守性と経済的保守性の相関)が低いとは限らない、ということを証明するために、そのような事例、すなわち架空のデータセットを作ってみた。以下がその架空のデータの散布図。

横軸が経済的保守性で、縦軸が文化的保守性、赤い点が中産階級、青い点が労働者階級である。青い点は左上に位置する、つまり経済的には保守的でないが文化的には保守的である。中産階級はその逆である。イデオロギーの一貫性は、各階級内の2種類の保守性の相関の強さであるが、このデータでは労働者のほうが一貫性が高いことがわかる。つまり、労働者が平均的に見ると中産階級よりも文化的に保守的かつ経済的には革新的だからといって、労働者のほうが中産階級よりもイデオロギーの一貫性が低いとは限らないということである。それゆえ、著者らの議論の大前提の一つが間違っているということになる。以下は上の架空のデータとグラフを作った R のスクリプト。

sigmaL <- matrix(c(1, 0.6, 0.6, 1), 2, 2)    # 労働者の文化と経済の保守性の分散共分散行列
sigmaH <- matrix(c(1, 0.01, 0.01, 1), 2, 2)  # 中産階級の    〃              
library(MASS)
dL <- mvrnorm(n = 100, m = c(-1, 1), Sigma = sigmaL)  # 労働者階級の文化と経済の保守性のデータ
dH <- mvrnorm(n = 100, m = c(1, -1), Sigma = sigmaH)  # 中産階級の    〃        
dL <- as.data.frame(dL)
dH <- as.data.frame(dH)
dL$class <- "working.class"
dH$class <- "middle.class"
dLH <- rbind(dL, dH)  # 労働者と中産階級のデータを一つに
names(dLH) <- c("economic.conservative", "cultural.conservative", "class")

library(ggplot2)  # ここからグラフの作成
g <- ggplot(dLH, aes(x = economic.conservative, y = cultural.conservative, colour = class))
g <- g + geom_point()
g <- g + geom_smooth(method = "lm")
plot(g)
献本御礼:松岡亮二『教育格差:階層・地域・学歴』
目次を見ると、幼児教育、小学校、中学校、高校、国際比較、という流れで教育格差について論じてあります。どうもありがとうございます。勉強させていただきます。
『ポスト真実』McIntyre 2018

Lee McIntyre, 2018, Post Truth, MIT Press.
自分用のメモとして拾い読みしてえた概略と感想を書く。著者は明らかにトランプ政権の嘘八百に批判的であり、ポスト真理といった状況を準備した知的先行者を特定しようとしている。ここでいうポスト真実とは
イデオロギーの優越であり、それを実践する人 (practitioner) は何かを人に信じさせようとする際に、ちゃんとした証拠があろうとなかろうと気にしない (p. 13)。
ポスト真理といった状況を準備した知的先行者とは、第一に地球温暖化やタバコの害悪や進化論を否定する科学者やシンクタンク、評論家の類である。これは自明。というか彼らは先行者ではなくポスト真実を実践しているとしか思えない。

第二に、認知バイアスの存在を指摘した一連の社会心理学的研究がある。科学者も人間なので認知バイアスから自由ではない、だから、科学的真理など信じる必要はない、といった論法に道を開いた、というわけである。もちろん社会心理学者による認知バイアスの特定は、そのようなバイアスから生じる研究上の誤りをへらすための研究法の工夫や審査制度の改善にもつながっているので、むしろ科学にとってプラスだったと私は思うが、左翼によってであれ右翼によってであれ、都合の悪い科学的発見を否定するための論拠として悪用されているというのは事実だろう。

第三に、マスメディアの偏向報道とソーシャルメディアの台頭が、ポスト真実の背景としてあげられる。テレビや新聞が結果的に誤った報道をすることや、でっちあげややらせのような虚偽の報道をすることがあるというのは周知の事実である。さらにソーシャルメディアが台頭して、でたらめがまことしやかに繰り返し流れてくる。ソーシャルメディアでは長文のレポートや出典となる正確な情報より、短くてわかりやすい主張が受け入れられやすいので、ポスト真実的な態度が普及するのにおおきな影響があったというのは、よく言われていることである。

第四の先行者はポストモダニストである。ポストモダニストの中には、一部の科学社会学者のように科学的真理を否定する人たちがおり、彼らが用いた論法が Intelligent Design (ID) 論(おおむね進化論を否定し、知性ある何かの設計にもとづいてこの世界は作られたとする説で、神の存在を肯定する人々に好まれる)によって借用され、それがさらにタバコの害悪や地球温暖化を否定する際に用いられたとする。ID 論の主導者の著作からの引用があり、確かにポストモダニズムや科学的知識の社会学の知見を進化論に応用する、といった旨の記述がある。McIntyre は単にポストモダニズムとポスト真実が類似していると言っているのではなく、ポストモダニズムがポスト真実に影響を与えた、と主張している。確かに影響関係をたどることができるのだろうが、この種の間接的効果は「風が吹けば桶屋が儲かる」というように、ほとんど無視しうることが多いので、論拠としてはいささか弱いが、知的ルーツの一つというぐらいは許されよう。

感慨深かったのは、ブルーノ・ラトゥール(構築主義系の科学人類学者で、科学的真理を相対化するような人たちにしばしば引用されている)が 2004年に Critical Inquiry という雑誌に書いたとされる論文からの引用で、自分の研究成果が悪用されていることを嘆き、自己弁護する内容である。やや長くなるが直訳して孫引きする。最近の地球温暖化を否定する議論を批判したあと、以下のように引用されている。

私が何を心配しているかわかりますか。私は事実の構築(の途中)には、科学的な確実性 (certainty) が欠けていることを示すためにいくらかの時間を割いてきました。私はそれを最重要の問題 (primary issue) としました。しかし、決着のついた科学的論争と確かな事実を曖昧にして公衆をだますことは、厳密には私の目的ではありませんでしたよね? むしろ反対に私は公衆を時期尚早に自然化され客観化されてしまった事実から解放することを意図していたのです。私は愚かにも誤っていたのでしょうか。
すべての大学院プログラムは、今でも善良なアメリカの子供たちにつらい経験をさせて以下のようなことを学ばせています。いわく、事実はねつ造されている、いわく、自然で、直接的で、バイアスのない真理への接近など存在しない、いわく、私たちはつねに言語の囚人である、いわく、わたしたちはいつも特定の観点から話している、などなど。しかし、その一方で危険な過激派がまったく同じ社会的構築の論法をもちいて、私たちの人生 (lives) を救いうる苦労して勝ち取られた証拠を否定しようとしています。私が科学研究 (science studies) として知られる分野の創出に参加したことは間違いだったのでしょうか。私たちの主張は誤解されている、というだけで十分なのでしょうか。あなたが好むと好まざるとに関わらず地球温暖化は事実だと私が主張することは、私の過ちを認める (burn my tongue) ことになぜなるのでしょうか? 論争には決着がついて善が勝った、となぜ単純に言ってはいけないのですか?(Bruno Latour "Why Has Critique Run Out of Stream? From Matters of Fact to Matters of Concern," Critical Inquiry 30 (Winter 2004): 225-248 より)
日本の構築主義者たちがこれほど苦い思いをしているのならよいのだが、ラトゥールのこのような嘆きが日本で取り上げられたのを私は知らない(が、私が知らないだけで専門家の間では話題になったのかもしれない)。

「社会統合の失敗、アノミー/疎外、マイノリティへの態度」Srole 1956

Leo Srole, 1956, "Social integration and certain corollaries: An exploratory study," American sociological review, Vol.21 No.6, pp.709-716.
アノミーがマイノリティへの否定的な態度につながることを論じた論文。なぜアノミーがマイノリティへの否定的な態度につながるのか説明されていないのでロジックは不明だが、フーリガンやネオナチの若者などを見ていると、アノミーっぽく見えるので実感としてはわからなくもない。ここでいうアノミーとはほとんど社会からの疎外 (alienation) と同じ意味であり、互換的に用いられている。比較的最近の言葉でいえば、「この世界に自分の居場所がない」感覚に近そうである。 belongings という言葉もこの感覚をあらわすために用いられている。

データはマサチューセッツのスプリングフィールドで 1950年に集められたもので、公共交通機関の利用者から無作為に抽出されているが、米国生まれの白人のクリスチャンに限定されている (N = 401)。アノミーの尺度は Achterberg, et al. (2017) で用いられているものと同じであるが、5点尺度の五つの項目を単純に足し合わせるのではなく、「そう思う」を選んだ場合 1 、それ以外は 0 として足し合わせている。

分析の結果、社会経済的地位と権威主義的パーソナリティを統制しても、アノミーであるほどマイノリティへの態度が否定的になるという結果である(相関係数で .32〜.40)。おもしろかったのは逆に権威主義的パーソナリティは有意にならない点で、日本の最近の研究では権威主義のほうがよく取り上げられる気がするのだが、アノミー/疎外もけっこう重要なのかな、と思った。ただし、年齢や性別、本人学歴のように普通なら統制される変数が統制されていないので、注意が必要だろう。

「科学信頼の二つの次元:学歴、科学的方法への信頼、科学制度への信頼」Achterberg, et al. 2014

Peter Achterberg, Willem de Koster and Jeroen van der Waal, 2017, "A science confidence gap: Education, trust in scientific methods, and trust in scientific institutions in the United States, 2014," Public Understanding of Science, Vol.26 No.6, pp.704-720.
科学的方法への信頼と科学制度への信頼を区別したうえで、それらへの学歴の効果を検討した論文。「科学への信頼」といっても様々な側面に分類して考えることができる。例えば、「物理学への信頼」「経済学への信頼」といった個別の分野への信頼は、個人内でもばらつく(例えば、物理学は信頼するが経済学は信頼しない、といった人は存在する)だろうし、科学的知識そのものは信頼するが、個々の科学者は必ずしも信頼できない(データのねつ造や犯罪に手を染める科学者もいる)、という人もいるだろう。この論文では、科学的方法への信頼と科学制度への信頼が区別されている。つまり、実験や調査、論理にもとづく科学的推論の方法は肯定するが、大学や学会、査読システムは腐敗している(あるいはその逆)とみなすことは可能である。

このような科学的方法と科学制度への信頼のギャップ(以下では信頼ギャップと略称)が存在し、それは学歴と関連していると Achterberg, de Koster, and van der Waal は主張する。具体的には、後期近代仮説(再帰的近代化という語が用いられているが、あまり再帰性は重要ではないのでここでは後期近代と意訳してある)とアノミー仮説の二つが検証されている。

後期近代仮説によれば、低学歴者よりも高学歴者のほうが信頼ギャップが大きくなる。高学歴者は豊富な知識と高い認知能力によって、科学的な方法の妥当性を吟味し、その正しさを理解することができる一方で、だからといって科学制度が正常に機能しているかどうかは別の問題だと、区別して考えることができるという。それゆえ、後期近代社会のさまざまなリスクに十分に対応できていない科学制度には批判的になるという。また後期近代では、文化的にアヴァンギャルドで、道徳的に相対主義的な価値観が強まるが、それは高学歴者に顕著である。こういった態度は既存の社会制度への批判的な視点につながり、科学制度もまたその批判の俎上に上ることになるという。低学歴者については説明がないが、低学歴者は漠然と科学的方法と科学制度をまとめて否定したり、受け入れたりしているということになろう。

いっぽうアノミー仮説によれば、アノミーに陥っている人は科学的方法を信頼する一方で科学制度は信頼しない。アノミーとはここでは自身が現代の社会・文化的な秩序から脅かされ、きまぐれで予測不可能、無秩序で無意味な世界に生きている感覚、と定義されている。疎外 (alienation) と呼んだほうが私にはしっくりくるが、いずれにせよ科学制度もアノミーに陥っている人から見れば、無意味でそれでいていつ自分の生活を脅かすかわからない存在の一部であろうから、信頼できないのは当然ということになる。このようなアノミーに陥った人は、秩序を希求する。科学的方法はそのような秩序をあたえる原理・原則の一つとして肯定的にとらえられ、信頼される、と Achterberg たちは言う。低学歴者のほうがアノミーに陥りやすいのは先行研究でも繰り返し確認されているそうなので、低学歴者のほうが科学信頼ギャップが大きくなると予測される。高学歴者については説明がないが、低学歴者ほどアノミーに陥っていないので、科学制度への信頼が相対的に高く、科学的方法についても特に否定する理由もないので、それなりに信頼するはずだ、という予測になろうか。

2014年の米国の全国データを使ってこれらの仮説を検証している。有効サンプルは 1798〜1984(モデルによって異なる)。年齢は 18歳以上で上限は不明。分析の結果、アノミー仮説のほうが支持され、後期近代仮説の予測に反する分析結果が得られている。つまり、科学制度は高学歴者のほうが低学歴者よりも信頼しているが、科学的方法への信頼は学歴による差は見られない。また媒介変数としてのアノミーの効果も検討されているが、予測通り低学歴者のほうがアノミーで、アノミーであるほど科学制度への信頼は低下し、科学的方法への信頼は高まる。後期近代仮説の予測では、知識の豊かさや後期近代的価値は、科学制度への信頼を低めるはずだが、逆に高めるという結果になっている。

科学的方法への信頼が一つの質問項目だけで測定されているのが気になるが、結果はおもしろい。疎外感が科学への不信につながるという示唆は私たちの研究からも得られており、アノミーやアパシーのたぐいは科学信頼と関連するのかもしれない。

おまけ。上のような構成概念がどのような質問項目で測定されたのかメモしておく。まず科学制度信頼。

  • 「科学制度一般」への信頼の程度
  • 「科学者」への信頼の程度
  • 「つきつめれば、科学的知識も単なる意見に過ぎない」という言明への賛否
(上記はいずれも11点尺度)の3つの回答(11択)を加算した値が、科学制度への信頼の尺度である。科学的方法への信頼は
  • 「正しい知識は、公正で体系的な研究 (unbiased and systematic research) によってしかえられない」
という言明への賛否で測定されている。このような分かれ方をする主成分分析の結果が示されている。

アノミーに対応する質問項目はすべて11点尺度で以下の言明への賛否をたずねている。

  1. 役人は庶民には無関心なので、役所に困ったこと相談をしてもほとんど無駄だ。
  2. 今日、人は誰に頼ったらいいのかわからない
  3. 現代社会では、人は今日を生きることに必死で明日のことなどかまっている余裕はない
  4. 将来何が起こるかわからないこの世界で子供を産み育てることは正しいこととは言いがたい。、
  5. 現在でも何か価値のあるものなどあるのだろうかとときどき考えざるを得ない。

知識の豊かさと後期近代的価値の質問項目群は省略するが、知識を問う質問は高校の現代社会か,中学の公民の問題に近い。後期近代の価値は個人の自由、自己表出主義 (self-expressionism) に関するものが全 7問中 6問で、イングルハートなら自己表出主義と呼ぶようなものである。

さらにおまけ。小田 (2001, p.7) にあったアノミー尺度の抜粋は以下の通り。

  1. 一般庶民のことを真剣に考えている役人 は少ない
  2. 政治家や知識人が立派なことを言っても、 本当に国民のことを考えているとは思え ない
  3. 今の世の中は人のことなど考えていたら 損ばかりする
  4. 今日が楽しければよく、明日は明日の風 が吹く
  5. 今の世の中何が正しく何が間違ってるの かわからない
  6. 豊かな社会と言うが人々の生活は良くな っていない
  7. 親しい間柄といっても、いざとなったら 信頼できない
  8. 他人のために苦労するのは実にバカらし いことだ

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