Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
<< December 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
RECOMMEND
後期近代と価値意識の変容: 日本人の意識 1973-2008
後期近代と価値意識の変容: 日本人の意識 1973-2008 (JUGEMレビュー »)

NHKの日本人の意識調査のデータをつっこんで分析した本です。
RECOMMEND
Labor Markets, Gender and Social Stratification in East Asia: A Global Perspective (The Intimate and the Public in Asian and Global Perspectives)
Labor Markets, Gender and Social Stratification in East Asia: A Global Perspective (The Intimate and the Public in Asian and Global Perspectives) (JUGEMレビュー »)

直下の和書の英語版です。審査を通過するためにレフェリーのコメントに従って若干修正してあります。
RECOMMEND
東アジアの労働市場と社会階層 (変容する親密圏/公共圏)
東アジアの労働市場と社会階層 (変容する親密圏/公共圏) (JUGEMレビュー »)

GCOEの成果をまとめた本です。日本を中心に韓国、台湾(中国も少し)との比較研究をしてます。
RECOMMEND
若年非正規雇用の社会学‐階層・ジェンダー・グローバル化 (大阪大学新世紀レクチャー)
若年非正規雇用の社会学‐階層・ジェンダー・グローバル化 (大阪大学新世紀レクチャー) (JUGEMレビュー »)
太郎丸 博
拙著です。非正規雇用に関する本はたくさんありますが、「なぜ正規雇用と非正規雇用では賃金格差があるのか」など当たり前と思われがちな問題を突き詰めて考えてみました。
RECOMMEND
フリーターとニートの社会学
フリーターとニートの社会学 (JUGEMレビュー »)

拙編です。オーソドックスな計量社会学の手法で、若年非正規雇用や無職にアプローチした本です。白い装丁なので、輪郭がわからないですね...
RECOMMEND
人文・社会科学のためのカテゴリカル・データ解析入門
人文・社会科学のためのカテゴリカル・データ解析入門 (JUGEMレビュー »)
太郎丸 博
拙著です。軽く読み流すのは難しいですが、まじめに一歩一歩勉強するために作りました。
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望
    charlestonblue (10/08)
  • Cohen et. al 2011 「フェミニズムの方法論的インパクト: 社会学のやっかいな問題?」
    abe daijyu (10/05)
  • アマチュア社会学の可能性
    読者 (02/20)
  • 社会システム理論の野望、あるいは全体性へのオブセッション
    宮国 (12/19)
  • 片山他 2015「図書館は格差解消に役立っているのか?」
    オカベ (12/09)
  • ランダム効果の意味、マルチレベル・モデル、全数調査データ分析
    YZ (12/07)
  • 学歴社会から「学習資本」社会へ:日本の教育と社会における階級形成の再編
    赤尾勝己 (02/11)
  • グラフィカル・モデリングとは?
    anonymous (11/30)
  • Rスクリプト覚書き:vglm関数で平行性の仮定を置かずに順序ロジット
    ほっくー (08/05)
  • 台湾の経済: 典型NIESの光と影
    おーまきちまき (07/19)
RECENT TRACKBACK
 
「中高年期の肥満に対する社会経済的地位と遺伝、コーホートの影響」Liu & Guo 2015

Hexuan Liu and Guang Guo, 2015, "Lifetime Socioeconomic Status, Historical Context, and Genetic Inheritance in Shaping Body Mass in Middle and Late Adulthood," American Sociological Review, Vol.80 No.4, pp.705-737.
中高年期の Body Mass Index (BMI) に対する、出身階層、学歴、資産、遺伝、出生コーホートの効果を、交互作用も含めて検討した論文。肥満は健康に悪影響を及ぼすだけでなく、見た目の印象を悪くするという説もあり、現代人にとっては、重要な問題である。周知のように BMI は肥満の簡便な指標として用いられている。これまでの研究では社会経済的地位 (Socio Economic Status: SES) が高い人ほど BMI が低いと言われている。SES に関しては、出身家庭の SES を重視する研究もあれば、出身階層から現在までの階層履歴の累積的な効果を強調する研究もあれば、移動を重視する研究(明示されていないが、上昇移動した人は BMI が低く、下降移動した人は BMI が高い、という説と思われる)もある。また、遺伝の影響も指摘されている。近年のヒトゲノム解析の発展によりにどの遺伝子が BMI に影響するのかある程度わかっているが、最近の遺伝研究では、遺伝子が病気の発病や肥満に及ぼす影響は環境によって異なるとされており、単純な遺伝決定論よりもずっと洗練されているようである。

この論文の第一の目的は、中高年期のサンプルで BMI に対する SES の履歴と遺伝子の交互作用効果を推定することによって、遺伝子の BMI に対する影響が SES の履歴によってどう異なるのか(言い方を変えれば、SES の効果が遺伝子によってどう異なるのか)を検討することである。この論文で注目されているもう一つの環境要因は、コーホートである。コーホートによって生活習慣が異なるのは珍しい現象ではなく、それが BMI に影響を及ぼすことも先行研究によって指摘されているそうで、BMI の平均値は最近のコーホートほど高いそうである(ただし、時代や年齢の効果をきちんと識別できているかどうかは疑ってみたほうが良いかもしれない)。それゆえ、コーホートと遺伝子の交互作用効果を明らかにすることがこの論文の第二の目的である。第三の目的は、コーホート× SES の履歴×遺伝子の交互作用を検討することにより、SES の履歴と遺伝子の交互作用効果がコーホートによってどのように異なるのか明らかにすることである。

データは Health and Retirement Study で、50歳以上の米国の一般人 (U.S. public) に1992〜2012年の間に1年おきに実施されたのパネル調査からきている。この調査は世帯単位のデータで夫婦ペアでデータをとっているらしい(単身者の扱いは不明)。SES の履歴は

  • 16歳時の父親の職業(明示されていないが連続変数なので Socio-Economic Index と推測される)、
  • 本人の教育年数、
  • すべてのタイプの資産、年金、等など(明示されていないが、調査時点のものか?)
をそれぞれコーホートごとに Z 得点に変換したものをもとにして、以下の3つの尺度で測定されている。
  • 幼少期の SES: 16歳時の父親の職業をそのまま使用。
  • SES の累積的優位 (cumulative advantage): 上の三つの指標がすべて高い値ならば3,二つが高い値ならば2、一つが高い値ならば1、すべて低い値ならば0を与える(「高い」の基準は不明だが、High, medium, low に分けるとされているので、67パーセンタイルより高いかどうかと推測される)。
  • SES の移動パターン:上の三つの指標を元に「一貫低」「一貫高」「上昇移動」「下降移動」の4種類に分類。
遺伝子の測定については、私の専門外でよくわからないのだが、32 BMI Related single nucleotide polymorphisms をもとに遺伝的な太りやすさをしめす連続変数として尺度化されている。これは Genetic Predisposition Score (GPS) と呼ばれている。

分析には交差分類混合効果モデル(計量経済学者の用語で言えばランダム効果モデルの一種)が用いられているのだが、パーソンイヤー・レベルと、世帯レベル、時点レベルのランダム効果がモデルに導入されているが、なぜか個人レベルのランダム効果はない。時点レベルのランダム効果は時系列相関 (AR1) を仮定している。

遺伝的な太りやすさ (GPS) と BMI のゼロ次の相関は、このデータで一番古いコーホートである 1924年以前生まれで 0.013 で有意ではなく、一番新しいコーホートである 1948-53 年生まれでは 0.162 で有意である。概ね新しいコーホートほど相関が強くなる傾向が見られる。これはその他の変数を統制しても同様の結果である。SES の履歴に関しては、3つの尺度すべてに関して低階層ほど BMI が高いという傾向が見られる(移動パターンに関しては、一貫低、下降、上昇、一貫高の順で BMI が高い)。

SES の履歴と GPS の交互作用、およびコーホート× SES の履歴×遺伝的太りやすさの交互作用に関しては、累積的な SES と移動パターンでは有意な交互作用効果がいくつか見られた。傾向としては、遺伝的に太りにくい人たちの間では階層間格差はほとんどないが、遺伝的に太りやすい人の間では階層間格差が存在する(低階層ほど BMI が高い)、という結果であった。言い換えれば、低階層ほど遺伝的な太りやすさの影響を受けて実際の BMI も高くなりやすいが、高階層では遺伝の影響は限定的で、遺伝的に太りやすい人でも高階層だと実際には BMI はあまり高くない、という結果であった。このような交互作用効果が顕著に見られるのは、もっとも古いコーホートにおいてであり、新しいコーホートほど交互作用効果は縮小し、低階層ほど、そして遺伝的に太りやすい人ほど、実際に BMI も高い、という主効果のみが検出されるようになる。

理論的な背景が書かれておらず、探索的な議論なので、分析のやり方にはいくらでもケチを付けることは可能である。例えば、因果の向きは、SES が BMI を高める、と想定されているが、逆の因果も考えられるので、内生性を統制したいところである。また、交互作用効果はすべて有意になっているわけではないので、Wald 検定や尤度比検定が必要と思われるが、なされておらず、第一種の過誤を犯す確率は 5% よりも高くなってしまっている。等など、いくらでも批判できそうではある(が、これまでの研究成果から因果の向きなどはわかっているのかもしれない)。

しかし、遺伝はセンシティブな問題なので日本の社会学ではほとんど扱われていないが、非常に重要である。米国では遺伝に関しては激しい論争があり、最近では上記のように、遺伝決定論や環境決定論のような単純な議論ではなく、遺伝と環境の交互作用を記述・理論化していくというアプローチが、遺伝情報を積極的に扱っている社会学者の間では主流となりつつあるように見える。

個人的に興味深かったのは、米国人の BMI が日本人よりも高いというのは常識的に知っていたが、このデータだと 28.1 で、標準的とされる 18.5〜25 の範囲をかなり超過しており、私の想像以上だった点である(ちなみに平成22年国民健康・栄養調査で日本の50〜69歳ぐらいの BMI の平均値を見ると 23 ぐらい)。

また、私の偏見では米国人は昔は、フライドポテトやステーキなど高カロリーな食事をとっていたが、最近は痩身規範と健康志向の強まりによって痩せた人が増えているのかと思っていたが、少なくとも 1953年生まれまではそれとは逆で、むしろ新しい世代ほど BMI が高い(もちろん年齢などもを統制しても)のである。ただし、標準誤差とサンプルサイズからコーホート別の BMI の標準偏差を計算すると、3.9, 4.6, 4.7, 5.5, 5.7 で最近のコーホートほどばらつきが大きくなっている(F検定すると 5.5 から 5.7 への変化は p = .08 でぎりぎり有意ではなかったがそれ以上の変化があればだいたい有意になりそう)。分布を見てみないとわからないが、極端に太っている人や痩せている人が増えているのかもしれない。

それから、GPS と BMI の相関はもっと大きいのかと思っていたが、全サンプル平均で 0.13 であまり大きくなくて安心した。もちろん遺伝子の研究が進めばもっと予測力の高い尺度が作れるようになるのかもしれないが。

「セクシャルハラスメント、職場のジェンダー秩序、権力のパラドックス」McLaughlin et al. 2012

Heather McLaughlin, Christopher Uggen and Amy Blackstone, 2012, "Sexual Harassment, Workplace Authority, and the Paradox of Power," American Sociological Review, Vol.77 No.4, pp.625-647.
どのような状況でセクハラが起きやすいのか分析した論文で、しばらく American Sociological Review でダウンロード回数トップだった (5/1 現在で2位)。セクハラのターゲットとして、職場で弱い立場の人(非熟練で不安定で、最低の職階)が狙われやすいとする説がある一方で、むしろ女性なのに高い地位にある人や逆に男性なのに女性的にふるまう人が狙われるとする説がある。後者の仮説によれば、職場の伝統的ジェンダー秩序を乱す人が狙われやすいわけで、このような反動は男性が優位な職場で起きやすいと考えられる。

セクハラの被害者は女性が大多数(この論文のデータでは 6〜8 割程度)なので、上の 2つの仮説は概ね対立しているといえる。著者は後者の仮説(職場のジェンダー秩序を乱す人が狙われやすいとする説)に肩入れしており、その当否を検証している。データは 1988年にミネソタ州の St. Paul という町の公立中学に通っていた3年生を対象とするパネルデータである。もちいるのは、2003年と2004年のウェーブ(つまり対象者が29〜31歳ぐらいになった時の調査)のデータで、セクハラについて以下のような経験を(職場で?)したか尋ねている。

  1. 攻撃的な (offensive) 写真やポスター(を見せられたこと)
  2. にらまれたりジロジロ見られたりして不快になったこと
  3. セックスについて話しかけられたこと (attempts to discuss sex)
  4. 性に関するほのめかしや攻撃的な意見(を見聞きしたこと)
  5. 体に触れられて不快になったこと
  6. 断っても繰り返しディナーや飲みに行くよう誘われたこと
  7. 望まない性交渉を持つように誘われたこと
  8. 職場で有利に取り扱ってもらうのとひきかえに望まない性交渉を持つように持ちかけられたこと
従属変数は、2004年に、
  • 上記の 8 項目のうち一つでも経験したことがあるかどうか、
  • 経験した項目数
  • 上記の 8 項目をどれか経験しなおかつそれを経験した女性がその行為をセクハラとみなしているかどうか(女性のみのサンプルで分析)
である。セクハラに関しては、当事者がどう受け取っていようとある種の行動をセクハラと定義するようなアプローチと、当事者がその経験をセクハラとみなすかどうかで定義しようとするアプローチがあり、一長一短だと(私は)思うのだが、この論文では両方のアプローチを採用している。

主な説明変数は、以下の 3 つ。

  • 本人が部下を持っているか。
  • 本人の女性性 (femininity) 。単純に自分が男らしいか女らしいか5段階で評定してもらい、それをなぜか二値変数に変換して用いている。
  • 本人の職場の産業で働いている人に占める女性の比率。
また、統制変数として 2003年にセクハラを経験したかどうか(従属変数のラグ変数)を投入したモデルも検討されている。これは内生性を統制するためだと説明されているが、こんな中途半端な方法が適切なのかどうかは不明である。

分析の結果、男性については部下がいるかどうかはほとんどセクハラ経験とは関係ないのに対して、女性は部下がいるほうがセクハラを経験しやすいという傾向が示されている。これは上の3つのセクハラ指標のどれをとっても同じで、前年のセクハラ経験を統制しても一貫して有意な結果が示されている。また、女らしくない女性、男らしくない男性のほうがセクハラ経験をしやすい傾向が示されているが、一貫して有意になっているのは、「一つでもセクハラ経験があるか」を従属変数とした場合で、経験項目数はラグ変数を投入しない場合だけ有意、主観的にもセクハラとみなしているかどうかを従属変数とした場合は有意にならない。職場の産業の女性比は主観的にもセクハラとみなしているかどうかを従属変数とした場合だけ有意になっている。

McLaughlin, Uggen, and Blackstone はインタビュー結果の検討も合わせて、職場の伝統的ジェンダー秩序を乱す人が狙われやすいという説を支持している。セクハラ経験のストーリーは男性の私が読んでも胸くそ悪くなるようなもので、2004年の米国でも(というよりもむしろ、米国だからこそというべきか?)ひどいセクハラがなされていたことがわかる。セクハラの典型的なイメージとして、上司が部下の女性に性関係を迫るというものがあると思うが、実際には全セクハラの 1〜3 割程度で、同僚や部下からのセクハラのほうが多い(4〜5 割程度)という結果である。また顧客からのセクハラも少なからずあり、やはり上司からのセクハラと同じかそれ以上になっている。

論文のタイトルの Paradox of Power というのは、出世して職階が上がれば職場での権力は増すはずであるが、それにもかかわらず女性の場合はむしろセクハラの被害にあいやすくなるから、パラドックスだという話なのだろう。データが 30歳前後の男女に限定されているので、もうちょっと幅広いサンプルで検証したいという気はする。また、男女をあわせたサンプルで、一部の変数だけ性別との交互作用をとるというやり方で分析しているのだが、普通に考えれば男女でかなり違った結果になると思うので、男女別で分析した結果も見たいところである。とはいえ、セクハラに関しては事例の紹介と、「誰でも被害者になりうる」といった間違ってはいないが学問的には安易な主張をよく聞くので、こういう研究は高く評価したい。

「15分だけの名声? 印刷物に見る知名度の社会階層とその変動」 van de Rijt et al. 2013

Arnout van de Rijt, Eran Shor, Charles Ward and Steven Skiena, 2013, "Only 15 Minutes? The Social Stratification of Fame in Printed Media," American Sociological Review, Vol.78 No.2, pp.266-289.
「知名度」の時系列的な変化を調べた論文。社会階層論では、学歴、職業、収入といった比較的調べやすい指標で社会的地位を測ることが多いが、名声 (fame) も重要な社会的資源である。名声があることが、収入の増加や出世につながることは珍しくないし、名声が名声を生むといった自己強化的 (self-reinforcing) なプロセスの存在もよく知られている。このような名声の安定に関しては、二つの対立する説がある。ここではこれらを High Mobility Hypothesis と High Mobility Hypothesis と呼んでおく。Low Mobility Hypothesis とは、名声は変化が激しく、あっという間に名声を得たかと思うとすぐに失ってしまう、ようなものだという説である。アンディ・ウォーホルの 15 minutes of fame という言葉がこの説を象徴している。一方で、名声が名声を生む、という現象から明らかなようにいったん名声をえればその後もその名声は持続しやすいとも考えられ、だとすれば変化はそれほど大きくないはずである。このような説が Low Mobility Hypothesis である。どちらが正しいのか、検証するのが一応のこの論文の目的である。

データは 2004〜2009年の間に米国で公刊された新聞、週刊誌などの定期刊行物、他国の英字新聞(合計 2200 誌のビックデータ!)で、これらの定期刊行物の中にあらわれた名前の中から、10万個の名前を無作為抽出している。これらの名前が毎年、いくつの記事の中にあらわれるかを数え、これを「名声」の指標としている。ただし、肯定的な記事ばかりとは限らないので、知名度とでもいったほうがよいだろう。また、同姓同名の人がいるとややこしいので、ありふれた名前(サンプルの中の期待出現頻度が1より大きい名前)はサンプルから除外している。なお、そもそも 2200 の定期刊行物に出てこない名前は分析の対象にならないので、それがサンプルに歪みを与えている(名声の変化はおそらく過大に推定されている)点には注意が必要である。

分析の結果、知名度の時系列相関は、0.35 程度、今年出現した名前に占める前年も出現した名前の比率は 0.85 程度で、名声の変化は大きいというべきか、小さいというべきか、微妙な結果である。ただし、非常に興味深いのは、知名度の高い名前ほど変化が小さい、逆に言えば、知名度の低い名前ほど変化が大きい、という事実である。つまり、非常に高い知名度を獲得してしまえば、その知名度は非常に強い自己強化性を発揮するが、低レベルの知名度の場合は、変化が大きい(圧倒的に知名度は下降する場合が多い)ということである。

いわゆるビックデータの解析で、検定や区間推定は一切されていない、というか、必要ない。van de Rijt, Shor, Ward, and Skiena は Low Mobility Hypothesis が支持されたと主張しているが、そもそもどの程度、知名度の変化が小さければ、 Low Mobility と言っていいのか、線引きする基準が存在しないので、仮説の設定とその操作化に問題があるというべきであろう。しかし、分析結果は上記のように非常に興味深い。時系列データ解析的に言えば、知名度に関して自己相関があり、知名度が高いほど自己相関も強まるということだが、知名度に影響を与えるようなその他の変数(収入や社会的地位など)との関係を考慮すると(そういったデータを入手するのは困難なのであろうが)、もっと議論を展開させられるかもしれない。

アカデミー賞狙いの報酬とリスク Rossman & Schilke 2014

Rossman, G. & O. Schilke, 2014, "Close, But No Cigar: The Bimodal Rewards to Prize-Seeking," American Sociological Review, Vol.79 No. 1 pp.86–108.
アカデミー賞を「ねらった」映画の実際の興行収入を分析した論文。映画や小説のように、賞をとった作品が多くの利益をあげ、とれなかった作品はまったく売れない、といった現象が起きるマーケットは珍しくない。それゆえ、このような賞の機能を分析することは、文化的生産物の流通や需要を考えるうえで重要である。Rossman と Schilke は、以下のような特徴を持つ賞に注目する。
  • 消費者は購入する財(この論文の場合なら見る映画)を決める際に、賞を参考にする
  • 賞が、財の売れ行き(映画の興行収入)に関して、顕著な非連続性を作り出す(賞を取れればバカ売れするが、とれなければまったく売れない)。
  • 賞の審査員にアピールしようとすると、一般消費者へのアピールは犠牲にせざるをえない。
こういったタイプの賞は、経験財 (experience goods) に関するものが多いという。経験財とは、財(やサービス)を購入する前には、その財から得られる効用が不明なもの(そしてほとんどの消費者はその財やサービスを2回以上購入することはないもの)のことである。映画や小説のように、見たり読んだりしなければその面白さを事前に知ることはできない財やサービスの場合、事前にその面白さを推し量るために、賞が参考にされるというのは当たり前のことであろう。

また、審査員の持つ知識や好みは一般消費者のそれとは大きく異なる場合がある。そのような場合、審査員から高い評価を得ようとすると、一般消費者の評価は得られないかもしれない。このようなタイプの賞をとるために、お金をはじめとしたさまざまな資源を投資することは、ハイリスク・ハイリターンな賭けになることは容易に想像がつくだろう。このような構造のゲームの典型が、タロックくじ (Tullock Lottery) である。タロックくじは以下のようなルールのくじである。くじの参加者 i は複数存在し、掛け金 xi を自由に決められる。くじの当選者は一人だけ(複数いてもいいが議論を単純化するために一人にしておく)で全員分の掛け金を総取りできる。当選確率は、全員の掛け金に占める自分の掛け金の比率である。i 以外の全員の掛け金の総和を X とすると、i の期待利得は、

である。つまり、掛け金をどんどん増やせば、くじで当選する確率は高まるが、はずれたときの損害が大きくなるので、それらが相殺しあって、いくらかけても期待値は変わらない。いっぽうこの賭けの分散は
であり、掛け金が大きくなるほどばらつきも大きくなる。つまり、利益が得られる場合と損失が生じる場合の差が大きくなる。Rossman and Schilke は、アカデミー賞もこのタロックくじと同じ構造を持っていると主張する。それゆえ、アカデミー賞が取れそうな作品を作っても、期待利得は上がらないし、賞にノミネートされなければ(賞を狙わなかった場合よりも)かえって利得は下がるという仮説をたてる。

データは 1985 年から 2009 年の間にロサンゼルスで公開された映画(アニメやドキュメンタリー、外国語の映画は除く)で、これらの映画の利益率(売り上げを予算額で割った値)が主な被説明変数である(売り上げと予算額がわからない映画もかなりあり、それがサンプルに歪みを与えている点に注意)。これを予測する主な説明変数は、それらの映画がアカデミー賞で何部門にノミネートされたかの対数のようなもの(正確には Inverse Hyperbolic sine で ) と、オスカー・アピール度である。オスカー・アピール度とは、映画のジャンルやキーワードが過去のオスカー映画にどの程度類似しているかや、封切の時期(年末に封切られるほどノミネートされやすい)、オスカー受賞経験のある監督などを使っているか、などで予測したオスカー・ノミネート部門数(の対数)である。映画のジャンルやキーワードで、ノミネート部門数を予測できるのか半信半疑であったが、確かに有意な効果がある。ちなみにホラー映画やファミリー向けの映画はノミネートされにくく、重厚な人間ドラマがノミネートされやすいらしい。このオスカー・アピール度だけで利益率の対数を予測する単回帰分析をすると、有意な効果がない。ところが、オスカーに実際にノミネートされた部門数(の対数のようなもの)をモデルに投入すると、部門数はもちろん正の有意な値を示すが、オスカー・アピール度は負の有意な値になる。つまり、仮説を支持する結果が得られている。

分析の細かいやり方については、いろいろ批判は可能だと思う。例えば被説明変数は、普通に考えれば利益率ではなく、純利益のはずだ。映画のプロデューサーは利率ではなく、利益の総額を最大化しようとするのが普通だろう。また、用いる変数の分散やレンジなど基礎的な統計が示されていないため、効果の大きさについて評価することができない。著者は、賞狙いがハイリスク・ハイリターンであることや、ノミネートされた作品とされなかった作品の間の格差の大きさを強調するのだが、本当に大きな格差があるのかどうかは分析結果からはよくわからない。

とはいえ、いろいろ興味深い点も多かった。私は、アカデミー賞は十分に大衆的な映画賞で、芸術的な観点などほとんど考慮されていないのかと思ったが、米国の大衆は私が思う以上に大衆的だということだろう。また、キーワードやジャンルといった単純なデータでそこそこノミネートを予測できるということにびっくりした。

片山他 2015「図書館は格差解消に役立っているのか?」

片山ふみ・野口康人・岡部晋典「図書館は格差解消に役立っているのか?」SYNODOS, 2015.12.07 Mon
図書館利用と社会階層の関係を分析した記事。いわゆる学術論文ではないが、興味のある問題なので、コメントしておく。知識や教養をすべての人にとってアクセス可能とするために、図書館は重要な役割を果たすと期待されている。それゆえ、図書館の利用と社会階層の関係は非常に重要である。著者らは図書館情報学が専門で、階層研究はあまり詳しくないと思われるので、階層研究者の視点から見ると、この研究がどう見えるかコメントしておきたい。いささか批判的なことを書くが、この研究に大きな期待を抱いているがゆえと理解していただきたい。

学歴と図書館利用が相関するのは当たり前

階層関連の変数と様々な文化活動(読書、音楽鑑賞、美術鑑賞、等々)の関連はこれまでいろいろ研究されてきており、高学歴者ほどさまざまな文化活動(特にハイカルチャーと呼ばれるようなもの)に従事しやすい、ということは繰り返し確認されている。ブルデュー風に言えば、文化活動を楽しむためには、それなりのディスポジション(性向と訳されるのか?)が必要であり、それは制度化された文化資本である学歴と相関するからである。それゆえ、当然図書館の利用も高学歴者ほど多いということは、まともな階層研究者なら誰でも容易に予測できる。また、高学歴者ほど公的なサービスの利用に積極的であることも、繰り返し確認されている。例えば、生活に困窮したときに役所に相談するかどうかを尋ねた場合、高学歴者ほどそういう意向を示しやすい。また、質的な研究でも、低学歴者が生活保護などの公的なサービスの利用に消極的であるような事実は繰り返し報告されている。当然、公共図書館の利用にも消極的になると予測される。これは公共サービスを利用するためには、公共施設の中で自然なふるまいをし、担当者とうまくコミュニケーションをとり、施設のルールを守ることが必要であるが、そのための経験や知識(お望みなら文化資本と言ってもよい)を低学歴者はあまり持っていないことが多いからであると考えられる(が、この辺をちゃんと研究した論文を私は知らない。誰か知っていたら教えてください)。

そして予測通り、この研究でも低学歴者のほうが公共図書館の利用率が低い事実が確認されたわけである。このような事実の確認を繰り返していくことの重要性は、いくら強調しても強調しすぎることはないのであるが、いささかインパクトに欠けることは否めない。著者らは学歴や社会関係資本(地域への愛着と地域活動)の効果を強調しているが、これらの変数が効果を持つことは私の目から見れば当然なので、いささかポイントを外している感じを受けるのである。

収入は図書館の利用に直接効果を持つのか

むしろ私がこの研究で興味を持ったのは、収入の効果がないということである。これは経済合理性という観点からは、いささか不思議な現象である。紙媒体の出版物を読みたい場合、本屋で買って読むか、図書館で読むか、の二択がある(もちろん、友人や知人から借りるとかネット上にフリーで掲載されていればそれを読むなど他にも選択肢はあろうがそれらはとりあえず無視)。図書館で新聞を読むか買って新聞を読むかの二択で考えた場合、経済的に余裕のある人ほど買って読みそうである。実際、パソコンの所有やスマホの購入など値段がある程度以上あるものは、世帯収入が高いほど購入しやすい。その理屈を敷衍すれば、無料である公共図書館は、世帯収入が低い人ほど利用しやすいはずである。しかし、この研究の成果を見ると、学歴などの効果を統制すると、世帯収入は図書館の利用率に有意な効果を持たない。このロジスティック回帰分析の結果は上で参照している SYNODOS の記事では書かれていないが、この記事の参考文献に挙がっている社会情報学会での報告資料には掲載されている。

新聞の例でもわかるように、図書館で主に借りられている本はせいぜい数千円なので、世帯収入が効果を持たないという可能性も考えられるが、文化活動の研究では、収入や職業的地位が有意な効果を持たないというケースがときどきあるので、これもその一例と考えられる。しかし、世帯収入になぜ効果がないのだろうか。一つは図書館の立地の問題である。以前、大阪の万博記念公園の中に大阪府立国際児童文学館があったが、非常に交通の便が悪く、自家用車があるとか、長い時間をかけて訪れる時間があるとか、そういう人でないと利用できそうになかった。もしも低所得者の利用しにくい場所に図書館があるなら、低所得者ほど本来無料の図書館へのニーズがあるが、不便さによって相殺されることで、世帯収入の効果が消えている可能性がある。これは想像の範囲を超えないが、私にとっては興味深いポイントである。

図書館は格差解消に役立たないのか?

著者らは、明確な結論を出すのを差し控えているものの、どちらかといえば、むしろ図書館は格差解消に役立たないどころか、階層の再生産を助長しているという論調である。その根拠は、上であげた学歴と地域愛着や地域活動と図書館利用の相関である。しかし、これはあまりにミスリーディングな議論である。確かに高学歴者ほど公共図書館の利用率は高いが、公共図書館が消滅したり、有料になったりしたら、今よりももっと階層間格差は広がるかもしれない。一時点だけで見た学歴と図書館利用率の相関は、何の証拠にもならない。公共図書館のおかげで今ぐらいの格差ですんでいるかもしれない可能性を想像してみるべきである。

例えば、図書館の充実している地域ほど学歴間の格差が大きい、とか、図書館をある地域に建てたら学歴間の格差が広まったとか、そういう証拠が得られるならば話は別だが、そうでない状況で学者が安易に図書館の機能を否定するようなことを匂わすのは慎むべきだと私は思う。確かに階層研究者の実感として言えば、「図書館は格差解消に役立つにちがいない」といった安易な断言を聞くと、「こいつバカじゃないのか」と思うのだが、逆に大した証拠もないのに「図書館は階層を再生産しているかもしれない」といわれても、やはり拙速な主張と言わざるを得ないのである。

ただし、繰り返すが、人々がなぜ、どのように、どんな本を読むのか、という問題は、個人の趣味の問題だけでなく、階層間の格差と密接に結びつ重要な問題である。図書館の利用と社会階層の関係に関する研究はあまり見かけないので、この研究成果には価値があるし、今後の発展にも期待している。

「社会移動における祖父母効果:イギリス出生コーホート研究からの証拠」 Chan and Boliver 2013

Tak Wing Chan and Vikki Boliver, 2013, "The Grandparents Effect in Social Mobility: Evidence from British Birth Cohort Studies," American Sociological Review, Vol.78 No.4, pp.662-678.
親世代の階級をコントロールしても祖父の階級と子の階級に関連があるか分析した論文。世代間移動の研究では親と子の階級の関連を分析するのが一般的であるが、祖父母と孫の階級の関連もずいぶん以前から検討されてはいた。親子の階級には強い関連があるので、
祖父母階級 → 親階級 → 孫階級
といった親を媒介した間接的な因果関係があるのは自明である。問題は、親の階級をコントロールしても祖父母の階級が孫の階級に直接的な効果を及ぼしているかどうかである。親だけでなく祖父母も高い階級的な地位にあれば、それだけ孫は良い教育を受け、よい仕事につける(つまり高い階級的な地位に到達できる)確率が高まるというのは、ありそうな話である。しかし、Chan and Boliver によれば、これまでの分析結果はこの仮説を支持するものもあれば、否定するものもあり、あまりはっきりした結論は出ていないそうである。そこで、イギリスの 3 つのパネル調査データを統合して、三世代社会移動を分析している。

データは

  • 母方の祖父の階級、
  • 親の階級(父か母か明記されていないが、父母揃っていれば地位の高い方、といった操作化ではないかと思う)、
  • 孫(男女別に分析)の階級、
で、これらの関係がメインテーマである。孫から見たとき祖父母は父方と母方の祖父母がいるが、この分析で母方の祖父が使われているのは、このデータは母への面接から得ているので、父方よりも母方の祖父の情報のほうが正確であるし、進化生物学的には、母系のほうが血のつながりがはっきりするので、母方の祖父母の方が孫に援助しやすい(ので、祖父母と孫の階級の関連が出やすいと期待できる)からであるという。

階級は イギリスの旧階級図式 (UK Register General Social Class Scheme) をもとに、以下の4つに分類されている。

  1. I + II: 専門/管理
  2. IIIn: 熟練ノンマニュアル (skilled non-manual)
  3. IIIm: 熟練マニュアル
  4. IV + V: 非熟練マニュアル
非熟練ノンマニュアルは無いのか、などよくわからない部分はあるが、この分類が3世代すべての階級について一貫して用いられている。男女別に 祖父 (G) X 親 (P) X 孫 (C) の三世代移動表を階層的対数線形モデルで分析すると、[GP][PC] よりも [GP][PC][GC] のほうが BIC を基準にしてもフィッティングがよい。[GC] の関連に関しては均一連関 (uniform association) モデル (階級の順序は上で言及した順番) で推定しても、逸脱度はほとんど増大しないので、BIC はさらに小さくなる。[GC] の関連に関しては条件付き独立モデルも推定されているが、均一連関モデルのほうが顕著にフィッティングがよい。この結果は孫が男でも女でも同じである。まとめると、親の階級をコントロールしても祖父と孫の階級の間には直接的な関連があり、均一連関モデルのフィッティングがよい。さらに孫の階級を従属変数として順序ロジット分析もなされているが、やはり親の階級、収入、教育年数、持ち家ダミーをコントロールしても祖父の階級は孫の階級を有意に高めるという結果である。祖父と孫の階級の関連の強さは、上の対数線形モデルだと隣接する階級同士だととオッズ比が 1.1 倍、最上位と最下位の階級だと 2.7 倍程度(男女とも)なので、無視できない大きさといえる(ただし、標準誤差は表記されていないので誤差の大きさは不明)。このような直接的な関連は、順序ロジットでは半分程度に下がる。

祖父母の孫に対する影響という問題は、平均寿命が伸び子供数が少なくなった現代においては、昔よりも強まっている可能性が考えられる。子供の数が多いと孫の数はさらに多くなるので、祖父母のもっている資源は分散してしまい、有意な効果がなくなってしまっていた可能性がある。また、孫が成人する前に祖父母が死んでしまえば、直接的な効果は生じにくいだろう。この論文では特に出生コーホートによって祖父母の効果が異なるという結果は出ていないが、少子高齢化が祖父母の効果を生み出している可能性は、検討すべき重要な問題と思われる。

ただ、分析に関してはつっこみどころがある。私が気になったのは階級分類で、4つにしか分類されていない。サンプルサイズが 1000 ちょっとなので仕方がないのだが、専門職や農業の閉鎖性はよく知られているので、本当は条件付き独立モデルが正しいにもかかわらず、これらの職業カテゴリをほかの職業とくっつけてしまったせいで、祖父母と孫の間に擬似的な直接関係が生じてしまっている可能性もある。例えば、親が専門職の場合、親が管理職の場合よりも、子は専門/管理に到達しやすいとする。しかし、分析では専門と管理を同じカテゴリにまとめてしまっているため、この差が祖父の階級の効果として現れてしまう(なぜなら、親が専門職の場合、管理職である場合よりも祖父が専門/管理である確率が高いから)。末尾にそのような架空のデータと分析の例を R スクリプトで作ってみたので、興味のある人はコピペして、本当にそうなることを確認してほしい。

# 4階級の推移確率行列
tp<- matrix(c(.8, .1, .07, .03,
         .1, .6, .2,  .1,
         .05, .3, .5, .15,
         .02, .08, .2, .7), 4, 4, byrow=T)

G <- gl(4, 16) # 祖父階級
P <- gl(4, 4, 64) # 親階級
C <- gl(4, 1, 64) # 孫階級
n.G <- rep(c(400, 800, 1200, 1600), each=16) # 祖父の周辺度数
p.GP <- rep(as.vector(t(tp)), each=4) # 祖父から親への推移確率
p.PC <- rep(as.vector(t(tp)), 4) # 親から孫への推移確率
d0 <- data.frame(G, P, C, p.GP, p.PC, n=round(n.G * p.GP * p.PC, 0)) # データをまとめたもの
head(d0, 20)

# 4階級で条件付き独立モデルの推定
loglin1 <- glm(n ~ G * P + P * C, data = d0, family = poisson)
summary(loglin1)

# 4階級で対連関モデルの推定
loglin2 <- update(loglin1, ~.+ G * C)
summary(loglin2)
anova(loglin1, loglin2) # 4階級図式で分析すれば条件付き独立モデルのほうがフィッティングがよい。

# 2階級に分類しなおした変数を作成
G2 <- G == 1 | G == 2
P2 <- P == 1 | P == 2
C2 <- C == 1 | C == 2

# 2階級モデルで条件付き独立モデルと対連関モデルの推定
loglin3 <- update(loglin1, ~ G2 * P2 + P2 * C2)
loglin4 <- update(loglin3, ~.+ G2 : C2)
summary(loglin4)

anova(loglin3, loglin4) # 2階級図式だと祖父と孫の関連が有意になる!

自己表出主義が性別職域分離を生み出す? Cech 2013

Erin A. Cech, 2013, "The Self-Expressive Edge of Occupational Sex Segregation," American Journal of Sociology, Vol.119 No.3, pp.pp. 747-789.
自己表出主義を重んじる社会における性別職域分離の規定要因を論じた論文。「男は仕事、女は家庭」といった単純な性役割意識が弱まっても、別の形の意識が性別分離を強める、といった説が、近年、ちゃんとしたデータ分析によって支持されつつある。この種の議論は以前から専門家の間ではなされていたと思うが、あくまでみんなが勝手な印象を語っていたり、そのような説と整合的な事例を紹介するレベルにとどまっていた。それが最近ではいちおう統計的なデータ分析の俎上にのるようになって来ているというわけである。古くは、大和(1995) のような例があるが、欧米では2000年代に入ってから盛んになってきたという印象である。大和の議論は、「子供を産み育てるという仕事は本質的に女性に向いている」といった意識を示す因子(愛による再生産役割)を、「男は仕事、女は家庭」といった役割分業を肯定する意識を示す因子とは直交する形で抽出でき、女性の就業や収入と関連するのは前者の愛による再生産役割を肯定する意識のほうだ、という説である。その後、類似の研究が国内でも散発的になされているが、あまり本などになっていないので、知らない人も多いのではないだろうか。一方、米国では Maria Charles がこの種の説を精力的に検証している。Charles and Grusky (2004) では、ジェンダー平等主義とジェンダー本質主義を分けて考え、前者が垂直的性別職域分離(女性のほうが社会経済的地位が低い職業に就きやすいこと)を、後者が水平的職域分離(女性のほうがノンマニュアルの職に就きやすいこと)を引き起こす、という説を唱えた。さらに Charles and Bradley (2009)では、自己表出主義の強い社会(個人の自由な選択を重要視する社会、自己表出主義については Inglehart (1997) および Inglehart and Baker (2002) を参照)においては、個人の自己イメージが大学での専攻分野を強く規定するが、男女で自己イメージが大きく異なるため、自由が認められているがゆえに、男女で専攻する学問が大きく異なってしまうという。

これらの議論のロジックは、自己表出主義的な女性ほど女性的な役割(男性なら男性的役割)を担いやすい、というものではなく、自己表出主義の強い社会では、女性も男性もステレオタイプ的な自己イメージに素直に従って、女性的(男性なら男性的)役割を担いやすい、というものである。そこで、Cech は、自己イメージと職業(あるいは大学院での専攻分野)の関連を、米国の大学生のパネル・データを使って検証している。理屈どおりならば、男性も女性も、女性的な自己イメージの持ち主ほど女性的な職業や分野を選びやすいはずである(男性の場合、男性的な自己イメージの持ち主ほど男性的な分野を専攻しやすい、といったほうがわかりやすいか)。職業と自己イメージはとうぜん関連しそうであるが、パネルデータを使ってそれを確認するという点がポイントであろう。

データは下記の4大学の学生のパネル・データである。

  • Massachusetts Institute of Technology (MIT),
  • the Franklin W. Olin College of Engineering (Olin),
  • Smith College (Smith)
  • the University of Massachusetts, Amherst (UMass)
従属変数は、学部を卒業したあとについた職種(大学院に進学した場合はその分野)にしめる女性の比率、主な説明変数は、女性的な自己イメージの強さを示す3つの指標(7件法)である。
  • Usually I am very unemotional” to “very emotional,”
  • “usually I am very systematic” to “very unsystematic,”
  • “usually I like to work with things” to “like to work with people"
これらの質問は大学2年生の時点で尋ねられている。

色々なモデルで検討がなされているが、一貫して、自分のことを unsystematic (計画的、体系的でない)だと考えている人ほど男女とも女性的な職業や学問分野に進みやすい、また、人と関わる仕事のほうが好きだと答えている女性ほど女性的な仕事や学問分野に進みやすい、という結果が得られている。その他については、有意な結果が出ることもある(性役割意識をコントロールしなければ自分を感情的だと思う男女ほど女性的な進路に進みやすい)が、あまり効果が無いという印象である。このような結果を総合的に考えると、ある種の(この論文では unsystematic だという)自己イメージは、大学生を女性的(あるいは男性的な)進路へと進ませるが、どのような自己イメージが、そのような性別分離を生むのかは、まだまだ検討の余地がある、と思われる。

また、意外だったのは、自己イメージの男女差である。この論文の大前提として、女性のほうが男性よりも女性的な自己イメージを持っている、という仮定がおかれている。ところが、この論文で用いられている3つの自己イメージの指標のうち、男女の間で平均値に 5% 水準で有意差があったのは、emotional (感情的だ)という自己イメージだけで、他の2つは、10% 水準で差がある程度である。サンプル・サイズは女性が 465、男性が 266 で、男女差は非常に小さいというべきである( unsystematic と work with people の男女の平均値の差は 0.2)。つまり、これらの3つの自己イメージが、性別職域分離を引き起こす原因とは考えにくい。

とはいえ、分析結果はいろいろ興味深く、学ぶことの多い論文であった。性役割意識やステレオタイプもあまり女性的な進路に影響を及ぼしておらず、米国が特殊なのか、このサンプルが特殊なのか、などなど考えさせられた。

会社特殊的能力が自営業主としての独立を促す? Sørensen and Sharkey 2014

Jesper B. Sørensen and Amanda J. Sharkey, 2014, "Entrepreneurship as a Mobility Process," American Sociological Review, Vol.79 No.2, pp.328-349.
会社で働く労働者が自営業主として独立することを促す要因を分析した論文。起業はイノベーションの源泉の一つであり、新自由主義的な政策とも相性がいいため、近年では起業をサポートするような政策が日本でもとられている。このような自営業主としての独立を規定する要因としては、労働者自身の選好(例えば、独立や自立性を好むか)や労働市場の状況(失業率や自営セクターの好況など)が検討されることが多いが、会社で働く労働者の人的資本や会社内での状況も検討すべきではないのか、というのが Sørensen and Sharkey の問題意識である。

起業は離職後のひとつの進路であるから、離職を促す要因は起業を促す要因にもなりうる。 特定の会社への労働者の定着/離職を規定する要因として、会社特殊的人的資本が挙げられる。会社特殊的人的資本とは、一般的人的資本の対概念で、一般的人的資本が多くの会社で役立つ人的資本(例えば、学習能力の高さ、コミュニケーション能力、健康、ストレス耐性)であるのに対して、会社特殊的人的資本は、特定の会社でだけ役に立つ人的資本(その会社内の慣行や人間関係に関する知識、その会社でだけ用いられるスキル)のことである。これらは理念型であり、両者の間には中間的な一般性の人的資本のグラデーションがある。会社特殊的人的資本が高い労働者は、とうぜんその会社に留まるインセンティブが高まる。Sørensen and Sharkey が興味を持っているのは、この会社特殊的人的資本と起業 (entrepreneurship) の関係である。

Sørensen and Sharkey のモデルは、以下のとおりである。会社で働く労働者には3つの選択肢がある。

  1. その会社にとどまり続けるか、
  2. 別の会社に転職するか、
  3. 自営業主として開業するか、
の3つである。労働者は所得が増加する確率がもっとも高い選択肢を選ぶと仮定されている。期待所得を最大化するのではない、という点がポイントで、これが後で効いてくる。

このモデルにおいては、所得は現在の会社での昇進可能性、一般的人的資本、今の会社に特殊的な人的資本、ランダムエラーといった要因によって規定される。基本的には人的資本に比例して所得も高まると仮定されているが、自分の将来の所得を正確に予測することは不可能であり、誤差が生じるとされる。このような誤差は、今の会社に留まる場合よりも、別の会社に転職した場合のほうが大きく、自営業主として開業した場合さらに予測は困難でもっとも誤差の分散が大きくなる、というモデルである。

前述のとおり、他の条件が同じならば会社特殊的人的資本が高い者ほど今の会社にとどまり続けたほうが賃金が高まりやすく、それゆえ、会社にとどまりやすい。このモデルでもそうなっているのだが、Sørensen and Sharkey が注目するのは、会社特殊的人的資本が高い者が、その次に選びやすいのは、他社への転職か、自営業主としての開業か、という問題である。以下では、特に断りのない限り他社への転職か、自営業主としての開業か、という二択で考える。結論から言うと、このモデルにおいては、会社特殊的人的資本が高い者ほど、他社への転職よりも、独立・開業を選びやすい。これは下の図のようなイメージで考えるとわかりやすい。

A さんと B さんという二人の労働者が同じ会社に勤めており、A さんは会社特殊的人的資本が低く、B さんは高いが、一般的人的資本などその他の条件はすべて同じであるとする。 B さんは会社特殊的人的資本が高いので、そのぶん所得も高い。箱ひげ図で示してあるのは、他社に転職した場合と、独立・開業した場合の所得である。箱ひげになっているのは、将来の賃金を正確に予測できない(誤差がある)ため、そのバラつきの大きさを示すためである(図の二つの箱ひげは平均が同じ値で、標準偏差が 1 と 3.5 の正規分布をする乱数を発生させて作ってある)。会社特殊的人的資本の低い A さんは他社に転職すると、かなり高い確率で所得が増加するが、独立・開業すると所得が低下する確率もかなりあり、所得上昇の確率を最大化するという考え方に従うと、独立・開業よりは他社への転職が選ばれることになる。いっぽう B さんは高い会社特殊的人的資本があるので、他社に転職しても所得が高まる確率はゼロである。いっぽう独立・開業すれば多少は所得が高まる可能性がある。それゆえ、他者への転職か独立・開業か、という二択で考えれば、独立・開業が選ばれることになる。

このような違いが生じるのは、他社へ転職した場合よりも独立・開業した場合のほうが、将来の所得が不透明でよくわからないからである。独立・開業すれば、大金持ちになれる可能性もわずかながらあるが、負債を抱えて廃業の憂き目に合う可能性もある。それに比べれば転職した場合のほうが将来の所得のバラツキは小さい。それゆえ、高い会社特殊的人的資本の持ち主には、他社への転職よりは独立・開業が魅力的になるのである。また、このような結果は期待所得を最大化するのではなく、所得が上昇する確率を最大化するという選択原理によってもたらされている。ただし、繰り返すが、もっとも選ばれやすいのは、今の会社に留まることであり、2番めに選ばれやすいのが独立・開業だという話である。

その後、収入や勤続年数など関連する諸変数の値が同じである場合に、どのような組織に所属する人が会社特殊的人的資本が高いのかを予測している。Sørensen and Sharkey のモデルでは、会社内の所得格差が小さく所得の上昇余地の低い者ほど、会社特殊的人的資本が高く、それゆえ他社への転職よりは独立・開業を選びやすい。また、上位の職位の数が労働者数に比して少なく、昇進・昇給の可能性が限られている会社の労働者ほど会社特殊的人的資本が高く、それゆえ他社への転職よりは独立・開業を選びやすい。以上の議論は、仮説にすぎないので、デンマークにおける1980〜1997年のパネル・データを使って仮説の検証がなされている。雇われて働いている人をリスク・セットとする競合リスク・イベントヒストリー分析を行うと、確かに会社特殊的人的資本の指標である現在の会社での勤続年数が長い人ほど、今の会社に最もとどまりやすく、次に独立・開業しやすく、他社への転職は最もしにくい、という結果となっている。また、会社内の賃金格差や最高の賃金も予測通りの結果を示している。

非常にわかりにくい論文で、主要なトピックも瑣末な問題のような気がして、とても難渋した。上で述べた理論モデルもオンライン・サプリメントの数理モデルを読んでようやく理解できた。論文では組織の構造が転職や独立・開業におよぼす影響を解明した、ということが強調されているが、理論モデル上の理屈では、組織構造ではなく会社特殊的人的資本が転職や起業の確率に影響を及ぼしているのであり、組織構造は会社特殊的人的資本の指標として用いられているにすぎない。そのため議論が混乱していたように思う。とはいえ、図で示したような理屈はけっこうおもしろく、不確実性下の選択のモデルとしては応用がきくのかもしれないと思った。

「プッシュ要因か、プル要因か? 女性の自営セクターへの参入」 Hughes (2003)

Karen D. Hughes, 2003, "Pushed or Pulled? Women's Entry into Self-Employment and Small Business Ownership," Gender, Work & Organization, Vol.10 No.4, pp.433-454.
女性の起業が、プッシュ要因とプル要因のいずれによって生じているのか、インタビュー調査から考察した論文。1980年代頃から欧米では自営業が増加している。それまで自営業は減少が続き、5% を切っている国も少なくなかったと思う(が、未確認)。それがこの時期に反転するのは、不況や製造業/公共部門のリストラクチュアリングに伴う解雇によって失業者が増加したと同時に、新自由主義的な政策の一環として起業に対する援助を政府が行ったからではないかと思う(が、未確認)。つまり、自営が増えた背景として、雇ってもらえないから仕方なく起業した(前職から押し出された (pushed) )という要因と、起業が容易になり、以前よりも自営業が魅力的な選択肢となった(自営業に惹きつけられた (pulled) )という要因が考えられる。前者をプッシュ要因、後者をプル要因と呼ぶ。Hughes によれば、北米に関する統計的な分析の結果からは、プル要因が強いとする研究成果が多いものの、事例研究の中にはプッシュ要因を強調する研究もあり、あまりはっきりした判断が出来る状態ではない。

そこで、Hughes は カナダの Alberta 州の 61 人の自営業主(女性)にインタビューと簡単な質問紙調査を行い、プッシュ要因とプル要因のいずれが強い影響を及ぼしているのか、分析している。質問紙調査では、起業の理由としてプッシュ要因(「他に仕事がなかった」、「失業した」、「雇い主に自由契約にされた (contracted out)」(マルチアンサー) )を挙げたものはいずれも 20% 未満であったが、プル要因(「独立したかった」、「やりがいがある (challenging)」、「柔軟に働ける (flexible)」)は 75%〜94% の女性自営業主が起業の理由として挙げており、やはりプル要因の強さを示唆している。しかし、前職を辞めた理由を尋ねると、リストラされたり、前の職場での硬直的な官僚制や政治的な駆け引き、労働時間の柔軟性の低さなどに不満を述べる女性はかなり多かった。それゆえ、プッシュ要因もかなり重要なのではないか、と Hughes は示唆している。

もうちょっとおもしろい話を引き出してくれるのではないかと思っていたのだが、期待はずれだった。Hughes 自身も述べているように、クロスセクショナルなデータ分析で、起業の理由をプッシュ要因とプル要因に分類するというのが、そもそも無理なのである。例えば、「やりがいがある」という起業の理由は、プル要因とみなされているが、逆に言えば、前職にはやりがいがなかったということであり、これはプッシュ要因とも考えられる。同じようにして、ほとんどの起業理由はプッシュともプルとも解釈できる。それゆえ、pushed or pulled? というそもそもの問題設定に無理があるのである。こんなことはインタビューをわざわざするまでもなく、わかりきったことで、せっかくのデータが生きていない。ちなみに時系列データがとれればプッシュ要因とプル要因を識別することはある程度可能である。一時点のデータであっても、起業した時期によって起業の理由が変化するならば、やはりプッシュとプルを識別することはある程度可能だと思うのだが、残念ながらそういう分析は皆無であった。

また、「女性」の自営業参入の研究という点がポイントであるはずにもかかわらず、まったくジェンダーに関しては論じられておらず、ジェンダー・ブラインドな研究の典型とも言える。男女の起業がどう違うかについて研究したいのならば、男性の自営業主のデータも当然必要なのだが、なぜか男性は調べられていない。非常に残念である。また、自営が女性にとって本当にワーク・ライフ・バランスを取りやすい仕事なのか、など面白いポイントはいろいろあると思うのだが、そういう点は論じられていない。以前にも書いたような気がするが、自営業とジェンダーの関係は、重要なテーマであるにもかかわらず、あまり研究されておらず、今後の発展が期待される。

米国映画賞ノミネートと業界の中心/周縁構造、あるいは「部内者、部外者、文化的場における神聖化をめぐる闘争」 Cattani et. al. 2014

Gino Cattani, Simone Ferriani and Paul D. Allison, 2014, "Insiders, Outsiders, and the Struggle for Consecration in Cultural Fields: A Core-Periphery Perspective," American Sociological Review, Vol.79 No.2, pp.258-281.
どのような映画関係者が米国の映画賞でノミネートされやすいのか、オーディエンスのタイプや場の中心/周縁との関係で論じた論文。文化的な場 (field) では、同業者や批評家による評価が、その場の内部での権威や権力、富の配分に大きく影響する。例えば、文学賞の選考委員が同業の小説家であったり、批評家の評価が小説の売れ行きを左右するような場合がこれにあたる。同様に法律家の評価は主に同業者である法律家によって決められていると思うが、法曹界の事情に通じているジャーナリストや学者、政治家、等などの部外者の評価も、多少は法律家の権威や権力に影響をおよぼすだろう。このように、ある文化的な業界の中での権威、権力、富の配分には、同業者と、同業者ではないがその業界に通じている人々の評価が強い影響を及ぼす(もちろん市場での商品やサービスの売れ行きも重要だろうが、そこはこの論文の主要な論点ではない)。つまりブルデューや新制度派の経済社会学の用語を借りるならば、文化的な場 (field) の部内者 (insiders) と部外者 (outsiders) の評価の両方が、場の内部での階層構造に大きな影響を及ぼすと考えられる。

部外者と部内者では、文化的な活動に対する評価基準が異なることがあることが、先行研究で報告されている。部内者は、自分と類似した文化的な活動を行う者を高く評価する傾向がある。これは自分に対する評価を堅固なものにするための戦略的な行為かもしれないし、単に自分が本当に素晴らしいと思う文化的活動を高く評価するし、自分自身もそのような活動を行っているというだけのことなのかもしれない。いずれにせよ、部内者が文化的な場の中での生存競争に生き残ってきた人々であることを踏まえると、自分と類似したものを評価するということは、これまで高く評価されてきたような活動を行う者が同業者には評価されやすいということになる。このことは、文化的な場の中核 (core) に位置する行為者の評価を高める。ここでいう「中核に位置する」とは、文化的な場における支配的な価値観や考え方に同調していることを意味する。また、友人や知人の方が赤の他人よりも高く評価されやすいというバイアスが存在するはずである。それゆえ、部内者のネットワークの中心に近い者ほど高く評価されやすいはずである。つまり、ここまで述べてきたことを要約すれば、部内者の評価のほうが保守的だということである。

いっぽう部外者にはこのようなメカニズムや傾向は想定できない。もちろん批評家も他の批評家に同調したり、逆に差異化を試みたりするということはあろうが、どちらかと言えばむしろ新しいタイプの優れた作品を発掘することで自分自身の批評眼の評価を高めようとするインセンティブがあると考えられる。それゆえ、当事者の意図はどうであれ、部内者は文化的場の構造を再生産することに貢献することが多いのに対し、部外者は、相対的に見れば、ゆらぎや変化をもたらしやすい、ということになる。

このような部外者と部内者の評価基準の相違が本当に存在するのかを確かめるために、Cattani, Ferriani and Allison は米国の映画賞のノミネートに関するデータを使って検証している。データは1992年から2004年までの間に 8つの主要なスタジオによって公開された 2,297 の映画のうち、ひとつ以上で仕事をした

  1. 監督
  2. 役者
  3. 編集者 (editor)
  4. カメラマン
  5. 美術監督 (production designer)
のパーソン・映画・イヤー・データで、従属変数は、
  • 映画人(つまり部内者)が選ぶ映画賞(例えばアカデミー賞)    にノミネートされたかどうか、と、
  • 批評家(つまり部外者)が選ぶ映画賞(例えば全米映画批評家協会賞)       〃
である。また、主な説明変数は、上の監督、役者、編集者、カメラマン、美術監督(以下、これらを総称して映画人と呼ぶ)が、映画人ネットワークの中核に位置するか、周辺に位置するかを示す、時間とともに変化する (time-varying) 二値変数である。ただし、これらの人々が制作した映画の属性も、映画人の評価に影響を及ぼすので、それらもモデルに組み込む。つまり、一種のマルチレベル分析である。

(この段落はネットワーク分析のテクニカルな話なので、興味のない人は読み飛ばしてよい)
この中核/周辺変数は、事前のネットワーク分析によって作られている。データは映画人と映画の所属行列、あるいは2モードのネットワークになっているので、これから映画人の隣接行列を作る。この隣接行列をもとに、映画人を中核と周辺に分割する。中核の内部は理念型的には、密度が1であり、中核の映画人は相互に直接つながっている。いっぽう周辺の映画人は中核の映画人の一部とだけつながっており、周辺の映画人どうしに直接のつながりはない。これはブロック・モデリングで世界システムを中核と周辺に分割する時と同じイメージであるが、探索的なブロック・モデリングでは必ずしも中核/周辺構造にネットワークが分割されるとは限らないのに対して、この分析ではできるだけ、理念型的な中核/周辺構造に近づくようにネットワークを分割している。つまり、一般化ブロック・モデリングにおける検証的なアプローチによく似ているのだが、実際のアルゴリズムがどのようなものかは先行研究が示されているだけで、この論文には書かれていない。

コントロール変数として、映画のジャンル、レイティング(性的な内容や暴力表現があるかなどを示すもの)、続編映画ダミー(ターミネーター2とか)、過去の評判(具体的には、過去3年以内に映画賞にノミネートされた回数の平均)、(同じ映画の制作に参加した他の映画人の過去の評判(本人の評判と同じ方法で操作化)、当該年に関わった映画の数、映画の売り上げトップテン入り・ダミー、が用いられている。また、層化して条件付きロジット分析がなされているが、映画賞の種類、年度、どのタイプの映画人か(監督か、役者か、それとも ...)で、層化して推定が行われている。

分析の結果、中核の映画人は周辺に位置する映画人よりも、映画人が選ぶ映画賞にノミネートされやすいという傾向が示されている。いっぽう批評家が選ぶ映画賞に関しては、両者の間に有意な差がない。これは映画や年度、映画人のランダム効果や固定効果をモデルに投入しても同じであり、ロバストな結果が示されている。コントロール変数の効果でほぼすべてのモデルで一貫しているのは、

  1. 続編映画での仕事はノミネートされにくい、
  2. 評判のいい映画人と一緒にした仕事はノミネートされやすい、
  3. 過去にノミネートされたことのある映画人は、再びノミネートされやすい、
という点である。いっぽう、映画人が選ぶ映画賞と批評家の選ぶ映画賞で、有意な違いが見られるのは、
  • 映画人は、たくさんの映画製作に関わっている映画人をノミネートしたがらないのに対して、批評家は多産な映画人をノミネートしやすい、
  • 映画人は、売上トップテン入りの映画の制作に関わった映画人をノミネートしやすいのに対して、批評家はそのような影響を受けない、
という点である。総じて、映画関係者は身内びいきで嫉妬深く(たくさんの映画に関わっている同業者を低く評価する)、商業主義的であるのに対して、批評家はニュートラル、という印象だが、そこまで言うのは言い過ぎであろう。批評家だって、このモデルでは特定されていない要因によって評価を左右されている可能性は十分あるのだから。いずれにせよ、私の漠然とした印象としては、批評家だって十分に商業主義的で嫉妬深くえこひいきをする人々のような気がしていたのだが、この分析からはそうとは言えず、いささか意外な分析結果であった。

この論文を評価する上でのキーポイントは、中核・周縁ダミーという変数の妥当性にあるように思われる。中核・周辺という2つのカテゴリに映画人を分類するよりも、映画人の中心性を連続変数として特定したほうが適切なように思えるのだが、なぜこのようなカテゴリー分けをしているのかは不明である。もしかしたら、中心性と関わった映画の数が強く相関するからかもしれない。また、中核という概念の定義が曖昧で、映画界という場での支配的な規範を内面化しているという意味で使われたり、単にネットワークの中心にいるという意味で使われたりしている。ネットワークの中心にいる映画人のほうが業界の支配的規範を強く内面化しているという理屈が背後にあるのだろうが、本当にそうなのだろうか?

しかし、データも分析結果もたいへんおもしろく、理論的にもいろいろ考えさせられた。日本の映画賞のデータを使って、誰か同じような分析をやってくれないだろうか。日本と米国では映画業界の文化はかなり違っていそうなので、どの程度、同じ(あるいは違う)結果が出るのか興味深い。

Copyright (C) 2004 paperboy&co. All Rights Reserved.

Powered by "JUGEM"