Ayumi Takenaka, 2010, "How Ethnic Minorities Experience Social Mobility in Japan: An Ethnographic Study of Peruvian Migrants," Hiroshi Ishida and David H. Slater (eds.) Social Class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies, Routledge, 221-238.ペルー移民が日本で体験する社会移動について論じた論文。日本政府は特殊なスキルがある場合を除いて移民の流入を厳格に制限しているが、日本人と血縁や親族関係がある場合、特殊なスキルがなくても日本に滞在して働くことができる。それゆえ、ペルーからの移民も基本的には日系ペルー人であるが、日本人の配偶者であったり、不法滞在していたり、特殊なスキルがあったりして日本に住んでいる非日系ペルー人もいる。日本に住んでいるペルー人の多くは臨時の非熟練プルーカラーとして働いており、それは日系も非日系も大差はない(ペルー移民の間では残業時間が長いほど収入が上り、ステイタスが高まると考えられているそうで、あまりに私とは違う世界で興味深かった)。
しかしペルー本国では、日系人は医者、技術者、弁護士といった中産階級の職にしばしばついているにもかかわらず、日本では非熟練ブルーであるために、下降移動を経験することになるという。ただしそれにもかかわらず日本で働いているのは、ペルーで技術者をやるよりも日本で非熟練ブルーをやったほうが賃金が高いからだそうである。それほどまでに日本とペルーの間には人件費に格差があるということなのだろうか。さらに日系ペルー人はネイティブの日本人のように見えるにもかかわらず、ネイティブのように日本語を理解できない場合があるため、そうと気付かない日本人から知能が低いとか愚かであるといった誤解を受けることもあるという。一方、非日系のペルー人の多くはペルー本国でも労働者階級なので、日本への移民によって地位の下降を経験することはまれであるという。もちろん収入は増加する。
ペルー人が日本で上昇移動できるとすれば、それは事業に成功することであるが、それは今のところまれであるという。移民がエスニック・ビジネスで成功する事例は、米国の研究でよく紹介されているが、2005年ぐらいまでの日本におけるペルー人に関して言えば、そのような成功事例はまれであるという。エスニック・ビジネスはエスニック・コミュニティの人々を投資家、顧客、従業員として動員することが多いが、ペルー移民に関してはそのようなコミュニティが未発達であるという(ただペルー人向けのコミュニティ・ペーパーは存在しているようだが詳細は不明)。その一因として、上記の日系と非日系のあいだの階級/人種的な対立があるという。日系ペルー移民は、非日系のペルー移民を違法であったり、道徳的に堕落しているといった咎でしばしば批判するが、非日系ペルー移民は日系を閉鎖的であると考えているという。このような対立はペルー本国でもともと存在していた階級/人種的対立が、変容しながらも継続しているものであるとも考えられる。
パラドクシカルなのは、単純に考えれば日系ペルー移民のほうが非日系よりも日本に適応し易そうに思えるのであるが、実態はむしろ逆であるという指摘である。事業に成功した者の比率、ネイティブ日本人と結婚した者の比率、日本語の習得、日本人との関係への積極性といったすべての面にわたって非日系のほうが日本への適応を示しているという(ただし、Takenaka も認めるように、非日系は合法的に日本に住み続けることが困難なので、日本人と結婚するなどして日本に適応した人だけが日本に残り、調査の対象となるということもあるので、セレクション・バイアスが強くかかっていることには留意が必要である)。なぜこのような逆説が生じているかというと、非日系ペルー移民のほうがエスニックな資源を多く持っているからであるという。ペルー料理やサッカー教室、スペイン語の学校といった事業が成功事例として挙げられているが、こういう業種ならば、ラテン系の容姿をしていたほうが有利であろう。また日本人と結婚したペルー人の多くはラテン系のディスコ(現代日本語ではクラブというべきなのだろうか)で日本人と知り合っているというから、やはりそういう場でもラテン系であることは有利に働くのであろう。また日系人であるがゆえに、日本語を知らないことが恥ずかしく、日本語の学習に消極的になる日系ペルー人もいるという。こうして、ある意味で「母国」にやってきたにもかかわらず、ペルー本国では自分たちよりも下にいると思っていた労働者階級のペルー人たちと同じ非熟練ブルーカラーの職に就き、非日系よりも孤立し、疎外感を強める結果になっていると Takenaka はいう。こうして上昇移動はまれであるものの、むしろ非日系ペルー移民のほうがエスニックな資源を多く持っていることで上昇移動する確率は高いというある種の逆転現象が生じているという。
この本の中では一番よくかけている論文だと思ったが、1つ気になったのは、ペルー本国での「中産階級」の経済状況である。例えば、仮に私の祖父がドバイ人でドバイで港湾労働者をやれば日給4万円もらえることがわかったとしても、今の仕事を辞めてドバイに移民しようとは思わないだろう。私は体力に自信がないし、ドバイで数年働いてある程度のお金をためることができたとしても、日本に帰って来た後の仕事が不安なので、あえて今の仕事をやめようとは思わないのである。ペルー社会で日系が相対的に高い地位にあるというのは本当なのだろうが、ペルーで医師や弁護士の仕事を持っていたにもかかわらずそれらを辞めて日本で働こうなどと本当に考えるのだろうか。普通に考えたら仕事がうまくいっていない日系人が日本に来ていそうなのだが、それは私の偏見だろうか。あるいは、ペルーの経済状況は著しく悪いとか、政府の規制のせいで特定の職種の賃金が低く抑えられているとかの理由で、ペルーでは中産階級でも非常に生活が苦しいということなのかもしれない。誰か詳しい人がいたら教えて下さい。