Alejandro Portes and Julia Sensebrenner, 1993, "Embeddedness and Immigration: Notes on the Social Determinants of Economic Action," American Journal of Sociology 98:1320-50.
著者によれば、一口に social capital といっても、その源泉(source) は様々であり、社会化によって生まれる social capital もあれば、交換によって生まれる場合もある。著者が特に注目するのは、移民のコミュニティに典型的に見られる social capital の2つの源泉である。1つは bounded solidarity 。ある集団に共通する困難を通して、共感や仲間意識が高まることで、信頼やネットワークが強化される。移民の例では、移民グループに対する差別や排除の経験が、移民集団を一つの「共同体」に変容させる場合が、bounded solidarity である。2つ目の源泉は、enforceable trust である。ある共同体が強力な監視体制と賞罰システムを発展させているような場合、共同体の成員に対する裏切りやそこからの離脱は、高い確率で制裁を受ける。それゆえ、成員が同胞を裏切る確率は低いと予期される。それゆえ、同胞を安心して「信頼」できるというような場合、この soical capital の源泉は、enforceable trust であるというわけである。
このように、著者の social capital に対する見方は両義的である。一般に social capital はアノミーや社会の解体を防ぎ、効率のよい経済発展を支える善なるものととらえられがちである。しかし、必ずしも social capital はよい面ばかりではない。強い共同体は、フリーライダーを生んだり、個人の自由を制限したりする。共同体の同胞はあくまで平等であらねばならず、どんなに努力をした結果であれ、1人だけ豊かになることは許されない。ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も、資本主義の初期においては、共同体が経済発展のくびきになっている事例を指摘していたではないか。
内容に比してややタイトルが大きすぎる感じはするが、1993年という時点を考えると、時宜を得た論文であったと思われる。social capital という概念は相変わらず曖昧模糊としたままだが、その内実を分類し整理した点で評価できる。また、social capital を祭り上げるような風潮に対してバランスをとる上でも、こういった議論の価値は高く評価したい。