Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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『プラグマティズムの思想』を読む

 プラグマティズムの解説本。パースから始まって、ジェイムズ、ミード、デューイ、モリス、クワイン、ローティまで紹介してある。平易な文章で読みやすいが、難しい問題もさらっと流してあるので、わからない部分はぜんぜんわからない。詳しく知りたい人は原著や個々の哲学者に関する著作にあたるべきであろう。そう割り切って考えればいい本である。最近、こういう本を書く人が減っている気がするが、この本もオリジナルは1997年に書かれている。

 私の関心から興味深いのは、行為と知識の関係と、可謬主義の問題である。知識は行為のために探求されるという考え方は説得力があるが、思索のための思索、思索そのものが楽しく、それ自身が目的となる場合もあるし、そういう思索にも何らかの正当な地位を用意してやりたいという気持ちも少しする。しかし、行為のための知の探求というプロセスは非常にわかりやすく、一般の人にもなじみやすい。このような考え方にもとづけば、実際の行為には何の役にも立たない、個人的な好奇心の追及は無意味ということになる。無意味かどうかはともかく、本人が楽しめたとしても、社会的にはその価値を評価されなくても仕方ないという気はする。

 可謬主義とは、われわれは間違いうる、という考え方である。パースからデューイあたりまでは、真理(大文字のTruth)はどこかに存在し、それに近づきうるというニュアンスが強いのに対して、クワインがこれを否定し、ローティがそれをさらに押し進めたようである。クワインの場合、科学理論ないしは言語の総体は、そのふちで経験と接していると考えていたので、調査や実験の結果は、理論を制約する。しかし、ローティの場合、なぜかそういう考え方を捨ててしまっている。

 著者はローティの相対主義的な主張(真理は存在しない)には批判的であるが、私自身はアンビヴァレントである。ローティの議論が相対主義的なのは、彼が哲学者や文学者と主に「会話」しているからかもしれない。ローティは事実によってある議論の正しさは決まらない(というか、正確には正しいとか正しくないとか言う議論には意味がない)ので、哲学者にとって重要なのは「会話」の継続であり、その中でいかに魅惑的な言語ゲームを紡ぎ出すかにある。こういう議論は哲学や文学の世界では説得力があるのかもしれないが、社会科学や自然科学の世界では、事実を無視したり軽視したりするわけにはいかないだろう。そういう意味では、私も魚津氏の主張に賛成である。

 しかし、クワインが言うように、私たちが持っている経験的知識と矛盾しない理論ないしは言語の体系は複数存在しうるわけで、そのうちのどれがいちばん正しいのかという議論は無意味であり、プラグマティックな考慮をするほかない。そういう意味で大文字のTruth は存在しない以上、ローティの議論もあながち否定しにくい。しかし、プラグマティックに考えたときに、素朴実在論のほうがわかりやすく、予測可能性も高いので、素朴実在論を選ぶべきだという気はする。

 前にも書いたが、ローティの「対話を続けることが大事だ」という主張には賛成なのだが、単に対話を続けるだけならば簡単であり、何もプロの哲学者や文学者(やその他の科学者たち)を税金を使って養う必要はない。哲学も科学も文学のジャンルの一種に過ぎないのならば、大学は必要ないということになるだろう。自らおもしろい本を書いて、印税で生活すればよいのである。それができる研究者は一握りの人々であろうが、実際には対話すら怠っている研究者がいるのは嘆かわしい限りである。 研究者に求められているのは、単に対話を続けるだけでなく、新しい発見であり、なんらかの「役に立つ」研究成果のはずである。

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