Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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「抵抗の快楽」を見下ろす悦楽?

盛山先生がカルチュラル・スタディーズの例としてこの本をあげていたので、質的データ分析の講義のために読んでみたが、あまりに陳腐なので1章と2章だけ読んで投げ出してしまった。「こんな見方もできます」型の典型的なケースであろう。著者は、ポピュラー・カルチャーを資本制または家父長制からの「逃走」または、それらに対する「抵抗」として読み解く。例えば、ショッピング・モールで失業中の若者がたむろすることは、資本制に対する「抵抗」とみなすこともできるそうである。そういう「見方」も確かに可能であろう。出生率の低下も家父長制に対する若者の「抵抗」あるいはそれからの「逃走」の結果だという「見方」も可能であろうし、大学で講義中に私語をして、講義を妨げる学生たちも、支配階級に対して「抵抗」しているのだという「見方」も可能であろう。フィスクは自分たち大学教員が支配階級の一員だなどとは思っていないだろうが、もしもそうならば、若者に煩わされるショッピングモールの店員や警備員も支配階級の一員ではない。本当の支配階級(政治エリートや大企業の重役クラスのことか?)はその程度の「抵抗」では、抵抗されていることにすら気づくまい。いずれにせよ、どのような現象でも「逃走」または「抵抗」とラベリングしてそれらしい解釈をすることは可能であろうが、そんな作業に学問的な価値があるのだろうか。その程度の議論でいいならば、毎月論文が書けそうである。

著者自身も認めるように、このようなポピュラー・カルチャーに対して別の「見方」をすることも可能である。例えば、ショッピング・モールにたむろする若者は、支配体制の再生産に奉仕しているという「見方」も同様に可能であろう。著者は、このような別の見方はポピュラー・カルチャーの権力を揺さぶる側面を無視しているので、「不十分だ」という。しかし、すべてを考慮した議論などできない以上、あらゆる議論は「不十分」なのであり、「不十分」だという批判は、批判として「不十分」だといえる。言い換えれば、フィスク自身がモールを分析する際にも、障害者に対する抑圧も、人種差別も、経済的なメカニズムも、地政学的要因も考慮に入れておらず、「不十分だ」ということになろう。結局、フィスクの「ものの見方」はさまざまなものの見方の一つに過ぎず、とりたてて妥当性が高いという証拠はどこにもないのである。

これがカルスタだというのならば、カルスタなど学問的にも政治的にも無価値だ。本気でポピュラー・カルチャーが支配体制に対する抵抗、またはそれからの逃走であると考え、そして、そのような抵抗や逃走が支配体制を揺るがす可能性を持っていると信じるのならば、そして現在の支配体制を本気で転覆しようとする気があるのならば、ポピュラー・カルチャーの研究者がやるべきことは、ひとびとの文化的な実践を支援することであって、上から見下ろして偉そうにあれこれと、その「意味」を解説してみせることではあるまい。フィスクが書いていることを本気で信じるならば、彼がやるべきことは、モールで若者がたむろすることの「意味」を読み解くことではなく、彼らの抵抗がより効果的になるよう支援すること、それはすなわち、彼らがたむろすることから得られる「快楽」をさらに強めたり、継続的にしたり、よりよいものにしたりするのを助けることであろう(フィスクは抵抗からは快楽が得られるという)。

しかし、正直言って著者が本気で一般民衆の側に立って支配階級と戦う気があるとは思えない。いやフィスクに言わせれば、フィスク自身の書くという実践も快楽をもたらすものであり、それは支配体制を揺るがす可能性のあるポピュラー・カルチャーの一部なのだということなのかもしれない。しかし、大学教員という明らかにミドルクラスの成員が、印税でもうけながら(英米の学術書でどの程度もうかるのかは知らないが)、あたかも「一般民衆を代弁しています」みたいな顔をして書いた本を読むのは不愉快である。私はローティやイーグルトンとともに、こういったポーズだけの左翼には異議申し立てをしたい。

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