Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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社会学雑誌に関する(正しい、あるいは誤った)思いこみ

Lowell L. Hargens, 1991, "Impressions and Misimpressions about Sociology Journals," Contemporary Sociology, pp.343-349.
社会学の雑誌の特徴について論じたもの。"Featured Essay" なので、いわゆる論文とはちがうのかもしれない。さて、Hamilton(1991) によれば、社会学の雑誌論文のうち、出版後4年以内に参照される論文は、23%にすぎないという。つまりたくさんの論文が出版されているが、それらはほとんど読まれていないか、読まれていてもその後の研究の役に立っていないと示唆されているのである。こういった現象の背後には、社会学雑誌の数の急速な増加があり、どんなにひどい論文でもどこかの雑誌には掲載できると揶揄する研究もあるという。Hargens はこういった議論はすべて思い込みであり、現実を正しく認識していないという。Hamilton(1991) は、データに論文だけでなく書評の類まで含んでいるので、参照率が低いのは当然であるという。著者らの推計では、社会学の論文の43%が1年以内に参照され、83%が6年以内に参照されている。また、確かに社会学関係の雑誌は増加しているのだが、それ以上にアメリカ社会学会の会員が増加しているので、論文が掲載される確率が上がっているという議論には根拠がないという。
表1 社会学の雑誌の数(p.344 Table 1 より作成)
1968年 1980年 1990年
社会学雑誌の数 138 229 245
表1を見ると、社会学関係の雑誌は、1968年から1980年の間に大きく増加しているが、この時期にアメリカ社会学会の会員は倍増しているという。それゆえ、どんなにくだらない論文でも雑誌に掲載できるという議論には根拠がない。

 ただし、社会学の雑誌には自然科学系の雑誌とは異なる特徴があるという。第1に、社会学(およびその他の社会科学)では発見をめぐる競争がほとんどない。それゆえ、査読や出版までのスピードがあまり重要ではないため、自然科学系よりも雑誌の重要性が低い。第2に、社会学の雑誌は分散度が高い。すなわち、American Sociological Review のような主要誌に掲載される論文は年間50本程度で、その他の論文はその他の雑誌に掲載される。物理学では少数の雑誌にたくさんの論文が掲載されるらしいが、あまりちゃんとしたデータは示されていない。第3に社会学では雑誌論文よりも本のほうが参照されやすい。雑誌論文の文献リストのうち本の割合は 60%、本の文献リストのうち本の割合は 75% であったという。これらは1980〜81年ごろの論文が報告している推定値なのだが、私の実感からいうと、最近では本が参照される割合はもっと下がっていると思う。

 このように参照される本の中でも、マルクス、レーニン、ヴェーバー、パーソンズ、マートンといった古典が参照されることが多いという。その理由として、 "Packaging" (「包装」と訳すべきか?)を Hargens はあげている。何が重要なトピックかについて研究者の間で合意がない場合、論文の著者は自分の研究をさまざまな読者にとって重要と思えるような文脈におくよう努力する必要が生じる。Packaging とは、このような作業を指しているわけである。Packaging には先行研究に対する包括的な参照が必要になることもあるため、論文の分量はおのずと長くなりがちである。そのため、雑誌論文よりも本が好まれるのではないかと Hargens は述べている。話を元に戻すと、古典を参照することは、Packaging の戦略として有効だと考えられているのである。

 言っていることは正しいのだろうが、Packaging というメタファーは不適切ではないだろうか。つまり、このメタファーは、論文の本体が商品そのもので、論文のイントロは、包装紙やパッケージと見立てているわけだ。例えばコカコーラの缶のデザインが論文のイントロで、中身の飲料が論文の本体というわけである。包装紙と缶のデザインではだいぶニュアンスが異なるのだが、少なくともイントロを包装紙と見立てるのは不適切だと私は思う。なぜなら、イントロダクションは社会学の論文で決定的に重要な部分であり、それを論文の内容と独立させて捉えるのは不適切だと考えるからである。また、論文のイントロは、必ずしも商品の包装やパッケージのように一番可視性の高い部分というわけでもないし、缶のデザインのように、商品のイメージを視覚的にアピールするような機能を持っているわけでもない。イントロダクションは、社会学の論文で本質的な役割を果たすのであり、単なる「包装紙」ではないと、私は言いたいのである。

 話は変わるが、以前、社会学の古典こそ、さまざまな社会学者がコミュニケーションするための基盤となるといった趣旨のことを論文に書いたことがあったが、似たようなこと(古典への頻繁な参照が社会学を統合する機能がある)を Hargens も書いていたので、改めて意を強くした。ただし、日本では最近はあまり古典も参照されなくなってきているような気がする。英語圏の場合、Annual Review of Sociology のようなレビュー論文が、学問分野を見渡し、共通の課題を構成する役割を担っているのだが、日本の場合、レビュー論文と通常の原著論文の違いすらちゃんと認識されていないことが多いように感じる。ふつうレビュー論文はその分野のエースや大物が書くのだが、日本では半端な知識しかない院生がレビューもどきをやっていることがときどきあって(米国でもあるのかもしれないが)、なんだかなーと思うこともある(博論などでは本論の前に包括的なレビューが求められることが多いので、若い人はレビューしなくていいということではありません。念のため)。

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