Jan O. Jonsson, David B. Grusky, Matthew Di Carlo, Reinhard Pollak and Mary C. Brinton, 2009, "Microclass Mobility: Social Reproduction in Four Countries," American Journal of Sociology, Vol.114 No.4, pp.977-1036.ミクロ階級論にもとづいて、米国、ドイツ、スウェーデン、日本の世代間移動の分析をした論文。欧米の社会階層・社会移動の研究では、「階級 (class) vs. 地位 (status)」という対立が存在してきた。階級論は、人々の間に社会的な資源の分配や生産関係をめぐって明確な分断線が存在することを強調する。それゆえ、社会移動の文脈では、少数の階級カテゴリー(たとえば、サービス階級とか、非熟練マニュアル階級)のあいだで人々がどう移動するかが問題になる。とうぜん階級間の移動はあまり起きないと考えられている。いっぽう、地位論では、そのような明確な分断線の存在を仮定しない。もちろん地位の上下はあり、収入や威信に応じて細かく地位はわかれており、移動は起きにくいと考えられているが、相対的に近い地位どうしの間では、相対的に移動が起きやすいと考える。階級論がカテゴリカルにものを考えるのに対して、地位論は地位を数量化してとらえる。それゆえ、階級論では移動表の分析、地位論では、地位達成モデルのような分析法が典型的には用いられる。Jonsson らは、階級論を大階級アプローチ (big class approach)、地位論を漸次アプローチ (gradational approach) と呼んでいる。
ちなみに、日本では階級はマルクス主義、階層や地位は非マルクス主義者の用語という考え方が広く行きわたっているが、欧米ではマルクス主義者でなくてもカテゴリカルに人々の経済的な立ち位置を分類する場合は、階級という用語を使うのが一般的で、かなり昔(私の印象では1960年代ぐらい)からこういう用語法はある。日本でも最近では非マルクス主義者が階級という用語を使うことが増えてきており、欧米に状況は近づいてきているのだが、上記のような歴史的経緯があるので、混乱が生じることもある。
さて、脱線したので話を本筋に戻す。このような大階級アプローチと漸次的アプローチには一長一短あり、米国の研究者にやや漸次的アプローチの支持者が多く、ヨーロッパに大階級アプローチの支持者が多いと言われており、社会構造の違いを反映しているのかもしれない。ただ近年では大階級アプローチのほうがかなり優勢という雰囲気である。Jonsson らは、これら二つのアプローチとは異なる第三のアプローチ、ミクロ階級アプローチを提案する。ミクロ階級とは、階層研究者が「職業」と呼んでいるもののことである。大階級アプローチは 2〜10 程度の階級の存在を仮定することが多いが、ミクロ階級論ではもっと多く(この論文では 82 )のミクロ階級が仮定されている。例えば、大階級アプローチでは「専門・管理」といった大雑把なカテゴリであるのに対して、ミクロ階級アプローチでは、もっと細かく「法律家」「医療専門家」「自然科学者」「建築家」「会計士」... といった小さなカテゴリを「階級」とみなしている。
確かに日本の感覚で社会的再生産のメカニズムを考えると、ミクロ階級のほうが現実に合っていると思われることは多くある。社会的再生産には一次的効果と二次的効果の二種類が考えられる。これは Boudon が学歴達成のメカニズムについて論じたときの用語だが、世代間移動についても同様の分類が可能である。一次的効果とは、ある階級や地位に到達するために必要な資源(学力、文化資本、経済資本や社会関係資本)による社会的再生産のことであり、二次的効果とは、アスピレーションを媒介とした社会的再生産である。いずれも、大階級のレベルで生じているというよりもミクロ階級のレベルで生じていると考えるほうがもっともらしい。
例えば、弁護士の娘は、「父(または母)のような専門・管理職になろう」と思うのではなく、「父(または母)のような法律家になろう」と思う可能性が高いのではないか、ということである。これはアスピレーション(二次的効果)の例であるが、文化資本に関しても専門管理職に共通の文化資本というものもあるだろうが、法律家という狭い世界で共通する文化資本のほうが重要かつ地位達成の際に重要であるように思える。社会関係資本も、専門・管理職全体に薄く広いネットワークを持っている法律家よりも、法律家という狭い世界の中に濃いネットワークを持っている法律家のほうが多そうであるので、世代間再生産の文脈ではミクロ階級の重要性は無視しえないように思える。もちろん、学力や経済資本のようにミクロ階級レベルよりも大階級レベルで重要そうな再生産の媒介要因もあるので、大階級も無視できない。そのことは Jonsson らも認める通りである。
さらに、このようなミクロ階級レベルでの再生産は、職業別組合が発達した国(この論文では米独)で相対的に強く、逆にコーポラティズムの発達した国のように大階級を代表する組合が発達しているような国(この論文ではドイツとスウェーデン)では、大階級レベルでの再生産が強い、という仮説を Jonsson らは立てている。日本はどちらの組合もそれほど強くないので、ミクロ階級レベルでも大階級レベルでも社会的再生産が弱いと予測されている。
実際に対数線形モデルで分析してみると、社会的再生産の程度は個々の階級で様々なのであるが、総じてミクロ階級レベルでの再生産が圧倒的に大きいという結果である。例えば、専門管理の非移動パラメータ(移動表の対角線上の被移動セルに対応するパラメータ)は 0.45 であるが、専門管理に該当する9つのミクロ階級の非移動パラメータの平均は 1.55 程度である(Table 5 の No SES Gradient の列の数値より)。このような結果は男女ともすべての国で同様となっている。漸次的アプローチに関しても RC モデルで SEI が再生産に及ぼす影響が同時に推定されているが、比較が難しい。ただ尤度の変化を見ると、大階級より若干影響力が強そうであるが、ミクロ階級よりは顕著に弱い。
ただし、男性に比べると女性のほうがミクロ階級レベルでの再生産が弱い(非移動パラメータの値が小さい)傾向がある。これについては、ミクロレベルでは性別職域分離が強いため、父親と同じ職に就くことが娘には難しい(この分析では父職を出身階級の指標としている)からであろうと解釈している。また、国による違いを見ると、ドイツとスウェーデンで大階級レベルの再生産が強いというのは予測通りであったが、ミクロ階級レベルの再生産が強いのは、日本とドイツであり、米国とスウェーデンで相対的に弱かった。日本と米国が予測通りになっていないのだが、その理由は触れられていない。また年齢と時代による非移動パラメータの変化を見ると、大階級レベルでは再生産が弱まる傾向がしばしばみられるのに対して、ミクロ階級レベルでは加齢および最近になるにしたがって、再生産が強まっており、どのレベルで再生産を見るかによってトレンドに違いが生じることが指摘されている(が、サンプル数の問題を考えるとどこまで信じていいのかは微妙)。
再生産が大階級レベルだけではなく、もっと細かい職業レベルでも生じているということは、社会移動の研究者であれば誰でも知っていたことであるが、どちらがどの程度重要かについては不明であった。職業レベルでの再生産のほうが圧倒的に強力であるということを示した点にこの論文の価値があると思われる。このような分析が可能になったのは、ミクロ階級レベルでの移動表分析が可能なほど比較可能な大量のデータセットが蓄積されてきたからである。この論文の場合、82行×82列=6724セルの移動表が分析されているので、とうぜん莫大なサンプルが必要になる。さらにこのような計算を一定の時間内に実行できるコンピュータが使えるようになったことも、この研究が可能になった背景であろう。分析は「力まかせ」だが、論述は周到でよく練られている。ミクロ階級論はこのように膨大なサンプルを必要とするので、どれほど現実的かは微妙だが、おもしろいとは思う。ミクロ階級論については、「ミクロ階級論の可能性:職業126分類の衝撃」という記事も参照されたい。