Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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富永 1990 『日本の近代化と社会変動: テュービンゲン講義』

富永 健一, 1990, 『日本の近代化と社会変動: テュービンゲン講義』講談社学術文庫.
機能主義的な近代化論で日本の近代化の過程を記述/説明した著書。ドイツでの講義ノートがもとになっており、実際には日本史の概説がかなりの部分を占めるが、以下では近代化論にかかわる点だけ要約する。 富永によれば、パーソンズ流の近代化論がすべての社会に当てはまると強弁する社会学者がいる一方で、「日本は特殊なので欧米の理論は当てはまらない、XXXXは特殊なので、理論をあてはめられない」、といった特殊論の対立があるという。富永は日本は欧米と異なる条件下で近代化してきたので、欧米の理論がそのままあてはまるわけではないが、後発近代化論といった形で、日本の近代化を理論化することは可能であるという。

日本をはじめとして、遅れて近代化をスタートさせた社会=国家が直面する問題は、すでに近代化した社会の産業技術や政治・社会制度、文化をどう自国に取り入れるのか、という問題である(社会=国家とは限らないことには富永も自覚的)。技術や道具的な知識の輸入は比較的容易であるが、制度の輸入はそれより難しく、文化の輸入は最も難しい。なぜなら技術のパフォーマンスは客観的にわかるが、制度のパフォーマンスは不明瞭なことが多く、文化に関しては最もよくわからないからであるという。

それゆえ、近代化を考える際にも、産業化、政治的近代化、社会・文化的近代化の3つの側面からアプローチするのがいいということになる。産業化とは、産業革命に代表されるように、技術革新を応用して、生産性を向上させ、経済発展を導くプロセスである。政治的近代化とは富永によれば民主化である。民主化は近代化の過程でほとんどの西欧諸国が経験したものであり、近代化の重要な要素であるという。さらに社会的近代化とは、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行であり、文化的近代化は知識の合理化・科学化であるが、本書ではほとんど扱われていない。

以上のような議論から明らかなように、日本は明治維新以降、産業化にはある程度成功したが、政治的近代化は立ち遅れ、社会・文化的近代化はまったく不十分というのが、富永の見立てである。産業(経済)・政治・社会・文化という分類はパーソンズの AGIL 図式に対応しているわけであるが、これらの4つのサブシステムは一定の自律性を持つものの相互に依存しているので、産業化だけが成功し続け、他のサブシステムの近代化は停滞したままということは考えにくい。富永によれば、民主化の遅れが特定の財閥に偏重した経済を生み、健全な市場の発展を阻害したし、そのような偏重の背後には、企業組織が十分にゲゼルシャフト化しなかったという事実があるという。このような事態こそ戦前の日本が近代化を十分に成し遂げられなかった原因であるという。

このような事態は敗戦によってある程度改善する。農地改革、財閥解体、新憲法の制定による民主化によって、市場はある程度育成されたし、民主化も進んだ。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行も、ある程度進んだという診断である。しかし、1990年時点では、これらの近代化はまだまだ十分とは言えず(つまり、欧米よりも遅れているということか?)、近代は未完のプロジェクトといった結論になっている。

富永はあまりはっきりとは書いていないが、このようなプロセスは、日本と類似した条件化にあるその他の後発近代化社会にも当てはまるはずである。確かに韓国でも台湾でも中国でも産業化が最初で、民主化はそれよれも遅れている。ゲゼルシャフト化ははっきりわからないが、例えば少子化は概ね経済成長と歩みをともにしているので、遅れてくるとはいえないだろう。しかし、少子化はゲゼルシャフト化の指標としてはラフすぎるかもしれないので、もっとまじめに検討する必要があろう。

理論的に気になるのは、富永の議論における「価値」の位置づけである。価値は社会と個人をつなぐものと位置づけられており、人々の行為を導いたり、正当化したりする。産業化や民主化が達成されるためには、人々がそのように行為する必要があるが、産業化や民主化を促す行為がなされるためには、それらを正当化したり、それらにつながる価値が存在しなければならない。そのような近代的価値として、資本主義の精神、民主主義の精神、自由平等の精神、合理主義の精神の4つをあげており、それぞれ経済、政治、社会、文化に対応している。このような価値の変化が起きたり起きなかったりするメカニズムについては特に触れられておらず、とにかく近代的な価値が普及したりしなかったりしたという事実だけが(それもあまりちゃんとした証拠があるわけではないが)断片的に触れられている。

近代化論ってやっぱりめんどくさい、というのが印象である。富永が指摘するように近代化は18〜20世紀ごろの欧米でおきた社会変動を総称するための概念であるが、一口に欧米といっても様々で、産業化の度合いも国によって大きく異なるし、民主主義が育たなかった国もあるし、ゲマインシャフトが強力であり続けた国もあるし、合理化の遅れた国もある。欧米の18〜20世紀ごろのすべての欧米諸国で起きた変化に近代化概念を限定すると、その内実はごく限られたものになってしまう。しかし、一部の国で起きた変化を近代化に含めるならば、どのような変化を近代化に含め、どれを含めないのか、という問題が起きてしまう。統計的に取捨選択して処理するというやり方も想定できるが、ちゃんとしたデータがないとこれもうまくいかないだろう。それで結局みんなある程度は恣意的な近代化定義をすることになるのだが、富永は AGIL に対応させて、4種類の変化を選んでいるが、私なら民主化ではなく、官僚制化と国民国家化を政治的な近代化として定義するだろう。ナショナリズムはほとんどの近代国家が経験しているし、官僚制の発達も近代社会では不可避だから。とはいえ、何を近代の中核に位置づけるのかという問題は、やはりデータや論理だけでは解決できないうえに、こだわっている研究者がたくさんいそうなので、「めんどくさい」のである。

富永の議論では、価値の変化が近代化を導くということになっているのだが、なぜ価値が変化したりしなかったりするのかが不明なうえに、価値の変化が社会システムの変化と区別して測定されていないので、ほとんど反証不可能(つまり科学的な議論としては出来が悪い)というか、トートロジーという印象がぬぐえないのである。歴史的な変化に関する研究なので、データが限定されるのは仕方ないのだが、いくらでも自分のストーリーに合うように事例を並べることは可能なので、恣意的過ぎるという感じがどうしてもしてしまうのである。

ただ本書は論述が大変わかりやすく、読みやすい。文化の伝播や混淆の問題にも正面から取り組んでおり、近代化論を学ぶ上では必読文献なのではないだろうか。今どき近代化論でもないだろう、と思われるかもしれないが、モダニティをどうとらえるかは、これからの社会の行く末を考える上で決定的に重要である。ポストモダニズムは近代化論のような大きな物語を否定したが、グローバル化や規制緩和/格差拡大論も、近代化論の系譜に位置づけられる。近代化は古くて新しい問題であり、依然として社会学の重要な研究課題なのである。

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