Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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アカデミック・キャピタリズム時代にハーバマスの「近代:未完のプロジェクト」を読む

ハーバマスが1980年にアドルノ賞を受賞した際の講演録。この講演録は、この訳書の最初の40ページほどで、その後は別の論文がいくつか収録されている。この記事では、その最初の40ページほどの講演録に関して論じていく。ハーバマスによれば、近代化にともなって、芸術、学問/科学、道徳/法の3領域は生活世界からは独立した独自の価値領域として分化していった。これによって専門家による独自の論理(合理性、普遍性など)にしたがった自律的な知的活動が可能になったが、そのせいで「各種専門家と広範な公衆との距離が拡がってきた」(pp.22-23)。そのため、3領域でどのような発展があってもそれが生活世界の改善にはつながらず、むしろ「文化的貧困化の危険が増大している」(p.23) という。これは啓蒙のプログラムの危機である。啓蒙主義の立場に立てば、3領域の発展は生活世界を豊かでよりよいものにするために役立つはずであり、役立たなければならないからである。

このような生活世界とそれぞれの専門領域の乖離を打破しようとする(ハーバマスはこれを「文化を止揚する」という言い方で表現している)運動が当然出てきる。そのような芸術の側からの失敗した運動の例としてシュルレアリズムがあげられている。シュルレアリズムは、

芸術と生のあいだの、虚構と実践のあいだの ... (中略)... 相違を取り除こうとする企てであり、すべては芸術であり、誰もが芸術家であると宣言しようとする試みであり、そして、いっさいの基準を取り払って、美的判断を主観的体験の表現に合致させようとする試みである (p.31)
という。つまり、シュルレアリズムは芸術という生活世界からは独立した価値領域を生活世界と融合させようとしたのであるが、失敗に終わったということである(なぜ失敗したのか、どうして「失敗」したといえるのかは不明)。さらにこのような「文化の止揚」の試みは、「テロリスト的行動」に結びつくかもしれない。「テロリスト的行動」の例として、政治の美学化や道徳的厳格主義が挙げられているが、具体的にどのような現象を指すのかは不明。このような失敗した過激な運動は、近代、あるいは啓蒙のプロジェクトの鬼っ子ではあるが、近代や啓蒙そのものの失敗の証拠にはならない、というのがハーバマスの主張である。近代や啓蒙に対する反対運動はこの点を見誤っているというのである。

シュルレアリズムのような「文化の止揚」の失敗からの教訓は、第一に「強固な自律に即して (eigensinning) 発展してきたひとつの文化領域〔芸術〕というこの容器を壊してしまったら、中身も流れ去ってしまうということである」(p.32)。第二に、

生活世界における相互理解のプロセスは、これら全領域 [芸術、学問/科学、道徳/法] にわたる文化的伝統を必要としている。したがって合理化された日常生活をそれにともなう硬直した文化の貧困から救うために、どれかひとつの文化領域 ――ここでは芸術の領域ということになるが―― を無理やり開け放ち、専門化した知識の集積体にひとつであるものにすべてを接合しようとしても、どだい無理ということになる (p.32)。
このような教訓がどうして引き出しうるのかも、説明がないので不明である。

それでは、誤った「文化の止揚」を避けつつ、生活世界と3つの価値領域のあいだをとりもち、生活世界をよりよいものにしていけばいいのか? ハーバマスは、3つの価値領域の自律性を守っていても、素人の一般市民によって「生活世界の視角から専門家の文化が吸収獲得される」(p.39) ことに希望を見出している。例として素人が芸術作品の鑑賞から、自分の人生にとって意義のある何かを掴み取るような体験をすることがあげられている。

3つの価値領域と生活世界の乖離が進行しているというのが大前提の議論なのだが、何を根拠にそういえるのか、まったく不明である。1980年ごろのドイツの状況はよくわからないのであるが、芸術も学問も法・道徳も、専門家システムを支えるためのお金が流れ込んでいるから、持続しうるわけで、乖離が大きくなりすぎれば、政府や企業や一般市民は、これらの3つの領域のためにお金を払おうとしなくなるので、一定以上の乖離は起きにくいように感じるのである。シュルレアリズムが例に挙げられているところから見ても、時代状況として20世紀の前半や半ばといった、福祉国家の黄金時代、右肩上がりの成長の時代が想定されているのかもしれない。そうであれば、3つの価値領域と生活世界の乖離が進行したという話ももっともらしいのであるが、市場原理が3つの価値領域に侵食している今日、消費者=素人のニーズから3つの価値領域が乖離していくというストーリーにあまり説得力を感じられないのである。

市場原理というと、経済システムが3つの価値領域を植民地化している、という議論に持っていかれるのかもしれないが、市場のニーズとはけっきょく消費者=素人のニーズである。お金をたくさん持っている個人や組織のニーズほど市場のニーズとなりやすいので、生活世界のニーズ(そんなものがあればの話だが)と一致はしないが、しかし、自律性が強すぎて乖離が進みすぎている、という印象は、アカデミック・キャピタリズムが進む今日、とうてい持つことができないのである。

ハーバマスのあげる解決策も、芸術にはある程度あてはまるのかもしれないが、科学や法の領域では難しかろう。また芸術に親しむ一般市民の数など限られたものであり、あのような例を指摘するだけでは、あまりに具体策に欠けるといえよう。とはいえ、ポストモダニズムが華やかなりし時代に、啓蒙主義の可能性を強く打ち出し、安易に啓蒙主義の死を語ることが誤りであることを指摘したことに大きな価値があったのであろう。

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