Theoretical Sociology

太郎丸博のブログです。研究ノートや雑感などを掲載しています。(このページは太郎丸が自主的に運営しています。京都大学の公式ページではありません。)
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『ポスト真実』McIntyre 2018

Lee McIntyre, 2018, Post Truth, MIT Press.
自分用のメモとして拾い読みしてえた概略と感想を書く。著者は明らかにトランプ政権の嘘八百に批判的であり、ポスト真理といった状況を準備した知的先行者を特定しようとしている。ここでいうポスト真実とは
イデオロギーの優越であり、それを実践する人 (practitioner) は何かを人に信じさせようとする際に、ちゃんとした証拠があろうとなかろうと気にしない (p. 13)。
ポスト真理といった状況を準備した知的先行者とは、第一に地球温暖化やタバコの害悪や進化論を否定する科学者やシンクタンク、評論家の類である。これは自明。というか彼らは先行者ではなくポスト真実を実践しているとしか思えない。

第二に、認知バイアスの存在を指摘した一連の社会心理学的研究がある。科学者も人間なので認知バイアスから自由ではない、だから、科学的真理など信じる必要はない、といった論法に道を開いた、というわけである。もちろん社会心理学者による認知バイアスの特定は、そのようなバイアスから生じる研究上の誤りをへらすための研究法の工夫や審査制度の改善にもつながっているので、むしろ科学にとってプラスだったと私は思うが、左翼によってであれ右翼によってであれ、都合の悪い科学的発見を否定するための論拠として悪用されているというのは事実だろう。

第三に、マスメディアの偏向報道とソーシャルメディアの台頭が、ポスト真実の背景としてあげられる。テレビや新聞が結果的に誤った報道をすることや、でっちあげややらせのような虚偽の報道をすることがあるというのは周知の事実である。さらにソーシャルメディアが台頭して、でたらめがまことしやかに繰り返し流れてくる。ソーシャルメディアでは長文のレポートや出典となる正確な情報より、短くてわかりやすい主張が受け入れられやすいので、ポスト真実的な態度が普及するのにおおきな影響があったというのは、よく言われていることである。

第四の先行者はポストモダニストである。ポストモダニストの中には、一部の科学社会学者のように科学的真理を否定する人たちがおり、彼らが用いた論法が Intelligent Design (ID) 論(おおむね進化論を否定し、知性ある何かの設計にもとづいてこの世界は作られたとする説で、神の存在を肯定する人々に好まれる)によって借用され、それがさらにタバコの害悪や地球温暖化を否定する際に用いられたとする。ID 論の主導者の著作からの引用があり、確かにポストモダニズムや科学的知識の社会学の知見を進化論に応用する、といった旨の記述がある。McIntyre は単にポストモダニズムとポスト真実が類似していると言っているのではなく、ポストモダニズムがポスト真実に影響を与えた、と主張している。確かに影響関係をたどることができるのだろうが、この種の間接的効果は「風が吹けば桶屋が儲かる」というように、ほとんど無視しうることが多いので、論拠としてはいささか弱いが、知的ルーツの一つというぐらいは許されよう。

感慨深かったのは、ブルーノ・ラトゥール(構築主義系の科学人類学者で、科学的真理を相対化するような人たちにしばしば引用されている)が 2004年に Critical Inquiry という雑誌に書いたとされる論文からの引用で、自分の研究成果が悪用されていることを嘆き、自己弁護する内容である。やや長くなるが直訳して孫引きする。最近の地球温暖化を否定する議論を批判したあと、以下のように引用されている。

私が何を心配しているかわかりますか。私は事実の構築(の途中)には、科学的な確実性 (certainty) が欠けていることを示すためにいくらかの時間を割いてきました。私はそれを最重要の問題 (primary issue) としました。しかし、決着のついた科学的論争と確かな事実を曖昧にして公衆をだますことは、厳密には私の目的ではありませんでしたよね? むしろ反対に私は公衆を時期尚早に自然化され客観化されてしまった事実から解放することを意図していたのです。私は愚かにも誤っていたのでしょうか。
すべての大学院プログラムは、今でも善良なアメリカの子供たちにつらい経験をさせて以下のようなことを学ばせています。いわく、事実はねつ造されている、いわく、自然で、直接的で、バイアスのない真理への接近など存在しない、いわく、私たちはつねに言語の囚人である、いわく、わたしたちはいつも特定の観点から話している、などなど。しかし、その一方で危険な過激派がまったく同じ社会的構築の論法をもちいて、私たちの人生 (lives) を救いうる苦労して勝ち取られた証拠を否定しようとしています。私が科学研究 (science studies) として知られる分野の創出に参加したことは間違いだったのでしょうか。私たちの主張は誤解されている、というだけで十分なのでしょうか。あなたが好むと好まざるとに関わらず地球温暖化は事実だと私が主張することは、私の過ちを認める (burn my tongue) ことになぜなるのでしょうか? 論争には決着がついて善が勝った、となぜ単純に言ってはいけないのですか?(Bruno Latour "Why Has Critique Run Out of Stream? From Matters of Fact to Matters of Concern," Critical Inquiry 30 (Winter 2004): 225-248 より)
日本の構築主義者たちがこれほど苦い思いをしているのならよいのだが、ラトゥールのこのような嘆きが日本で取り上げられたのを私は知らない(が、私が知らないだけで専門家の間では話題になったのかもしれない)。

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